ブログ書き手:トンプソン水上敦子

Thompson Internationalを起ち上げて以来、ずっと徒然ととりとめのないことを書き続けて はや数十年になろうとしています。色々なことを、漠然と書いてきたので、時には多くの方に顰蹙をかうような文章もあったかもしれません。 ただ、これからも ゆっくりとですが、毎日この小さな英会話スクールの窓口から感じることを書き続けていきたいと願っています。どうかよろしくお願いいたします。

外回りの掃除

台風が長引き、少し弱まった9月1日にエイヤッ!と、中部国際空港への飛行機に乗りました。

そして、念願だった岐阜の郡上八幡で郡上祭り、飛騨高山を拠点に富山の八尾、おわら風の盆をみてまいりました。

岐阜県は個人的にとっても好きなところです。…なんていったって 大好きな綾野剛さんの出身地でもあるし>m<

さて、なぜに岐阜の街並みは大体 どこもそろって美しいのだろうか。と、思うことに
これは外回りの徹底した清掃のおかげなのではないか? と、朝の散歩をしながら色々なお宅の前を通っても、ほとんどの家がピシッと 家のまわりに雑草を生やすことなく、ゴミなどは無論あるはずもなく、落ち葉一つ落ちていないという状態を保っています。下手をすると水をまいてスッキリとしているお宅までみあたります。

こういう手当をしているお宅からは、家のお金のかかり具合とは関係なく実に立派な雰囲気が漂ってくるような気がします。

札幌で、住みながらも不思議に感じて仕方のないことは、どーして 大邸宅と称されるようなお宅で雑草を生やし放題にしても平気でいれる家が多いのだろうか。ということです。
店を構えていても 店回りの清掃に時間をかけているところは 光り輝く宝石のように目立ちます。普通は逆だと思うのですが…。

なぜだろう なぜ岐阜や他の多くの県の人たちに出来て、北海道 札幌の一角の街並みの人たちに出来ないこの差は何なのだろうか。と

家の教育、土地の風習を 北海道人は 受け継がなかったので、開放的だとよく称されます。
開放の自由とひきかえに 外回りをきれいにするという意識が身につかなかったのかな。に、しても もったいない。

関西の友人は、朝起きたらまず、家の前を掃くように親からの手伝いを言いつけられたと言っていました。
その差なのかもしれません。身につくには時間のかかるものかもしれません。が、身につけようと意識したら身につくものであると信じて
朝 2日に1回は 家、店の前の雑草をとり、掃き、水をまく。時間にすれば10分というところです。

Doting our cat.

親ばかのように 我が猫がかわいくてかわいくて、仕方がないという 困った飼い主です。

きかない猫なんですよ。しかあし 寝ている時がもうかわいくて仕方がなくて 隣のベッドに眠りながら そのかわいさを見たくて 夜中何度も起きて 写真撮るために タブーの スマホを寝室持ち込みを許したり。

眠りが浅くなって困っています。

この猫の特徴は、飼い主が起きるまで 必ず ベッドでじっと眠り続けるところです。
普通 猫は明け方4時頃活動し始めます。 動き回り始めます。うるさいほど。
それが この猫は 飼い主の起床時刻まで(どちらか一人が起きるまで)必ず じっと 眠ろうと頑張ってくれます。

そして ある夜(これは シャッターチャンスがなかなかつかめなくて撮れていないのですが、子猫の時からある ラッコのぬいぐるみを手繰り寄せて 自分の枕にして 身体を人間のように横たえて 眠っている姿が 笑いを誘う姿でした。今度 いつか 必ず その一枚撮れたらおみせしたいです。

すみません おつきあいいただき 感謝。


女ざかり

 円山動物園と北海道神宮の間の裏山道に抜けるあの道を、ゆっくりと車で降りてきていました。
球場のあたりの雑木林の中を小さな子供を連れて歩いている女性がいました。
遠目から、銀色のスカートをはいているのが映りました。 銀色?と 自分の目を疑いました。

 銀色のロングスカート、けっこうボリュームのある。 うっそでしょ?…と、自分のファッションの常識範囲の中では受け入れがたく、近寄りながらもすんなりと受容機能が働くまで時間がかかりました。

 いくら老眼が進み、運転用の眼鏡は必要ないと言われた自分の目でも、それこそ目を疑う気持ちで、信号に近づく彼女に近づいてきました。

 運のよいことに車道が赤になりました。車を停めて(とめて)彼女をゆっくりとみることが出来ました。

 本当に銀色の長いスカートを身に着けていました。遠目から見たときは、どんなイカレタ感じの人がそんな無謀なファッションをしているのだろうか。と、一瞬拒否反応の動いた目でみたその女(ヒト)は、とても美しいひとでした。
 ファッションが好きな人なのでしょう、シルバーに光り輝くたっぷりとしたスカートに、白いぴったりとしたTシャツに白いベースボールキャップ。小麦色の焼けた肌は若々しく、小さな子供の手をひいて颯爽と歩いて行きました。

 銀色と、白と、そして小麦色の粒子が目の前を爽やかに、その暑い空気の中を通り抜けるように去っていきました。

 私はその粒子を素直に目で追いました。 爽やかで、美しく、そして ああ 女の盛りだなぁ と 首を横にしてまでもうっとりと眺めていました。 車道は青になっていたのでしょうか。 後ろに車がいなかったから良かったものの、クラクションを鳴らされていたのかもしれません。それくらい長い間、私はうっとりしていました。

 30代の女性は、思いっきりお洒落を楽しめばよい、そして自分の女の盛りを十分に享受した方がいい。と、その季節を過ぎてみると本当に心からそう、思います。
 30代はきっと色々と大変なこともあるかと思います。思い悩むことも多い季節であるだろうし、ミクロにみると苦悩に満ちた毎日なのかもしれません。
 おそらくおそらくですよ…その苦悩も30代を美しくさせる美容液に繋がるのかもと思います。

 苦悩に満ちた50代は心配になるけれど、葛藤に苦しむ30代というのも影が光を強調するようでいいものなような気がします。

 全て光のあたる面だけで生きてゆこうとする人にも、屈折した考え方しかできないと、自分に悩む人にも、30代は公平に与えられ、その季節の中で光と影をきれいに美しく描いていける時にいるのですよ。と、私などメガホンを使って言いたいくらい。
お洒落して、美しくして、私たちの目を楽しませてください。 そうすると みている私たちも楽しくなって あら あれいいな 買ってみようかなとか思ったり。 社会全体が美術館のようになればいいのになぁと きれいなものをみると嬉しくなるもんですよ。
 

 

 

秘すれば花

 けっこう深刻な歯の治療を始めて、8年近くが過ぎようとしている。
 時間のかかるもので、先生との出会い、そして手術への決断等、また時間をおきながら治療を進めていかなければならなく、気が付くと、父が亡くなってからと同じくらいの月日が経っている。が、これもやっと10月くらいには、ひと段落つく希望が生まれ、気持ちも少し前向きに明るくなりつつある今日この頃です。 8年近くもずぅーっと暗い気持ちでいたわけではありませぬが、まぁ 気持ちが晴れ晴れとしたということは数えるくらいしかなかったのでは?と、ここにきてみて振り返ると けっこう身体的にシンドイものでした。

 その月日のなかで 大病をした人の気持ちに、ほんの少しとは自戒しながら、それでも少し寄り添うことのできた気もし、また、これは ある発見のひとつに、歯の治療過程にあたり見た目がどうとかこうとかよりも、口内の違和感から自然と口が重くなり、話し切る自信がなくなることから、自ずと黙る 言わない。という行為に繋がりました。

 言葉足らず、情報伝達不足は仕事のうえで大変な失礼にあたることは重々承知していますが、プライベートでは喋らないということは、これはとても大切な行為だったのではないかと… いいだけ無駄にだらだらと垂れ流しにしていた過去の発言をもう一度かき集めて 何かの袋にいれて どこかへ 捨ててしまいたい。
いや! 無かったことにしたい。と、口から出た言葉の大切さに気付くのが歯の治療と共にというのが、情けなくもほんと、そうでありました。
かといって こうやって どうでもいいことを書きつらねヒンシュクをかってしまう自分はとめられないのですが。
こういう人を自己顕示欲、自己主張が強いと言ってしまうのです。おそらく。

 池波正太郎さんという作家が晩年無口になったといいます。これは病気をなさってからとまた、歯の具合が悪くなってから人と話すことが億劫になり、不機嫌なことが多く、同時に寡黙になられたとか。

 池波さんくらいのヒトなら いくら話されても、ありがたく多くの人は傾聴したでしょうが、普通の人は少し黙るくらいでちょうどよいのでは。秘すれば花とは こういう場合に使ってもよいのでしょうかと思いました。

 特にお酒の入ったときとかは、お酒の入っていない時よりついつい滑らかに出てきてしまう言葉を 70%くらいまで抑えて削り、人の話に耳を傾ける。自分自身では少し物足りないくらいの…、そういう行為に努めたいものです。 それが自然に出来るようになればいい ああ 出来るようになれますようにと祈るばかりですが。

 思い起こせば、人間関係のなかで友人だと思っていた人に対する賛同できない点、または感性の違いからくる不愉快な感情などを口にしてどうするのか?と、これまでの自分なら、言わないとギクシャクしてしまうと、相手に直ぐに深く考えもせず伝えたような行為も、口にするのも面倒だと思っているうちに、いやまてよ、言ってギクシャクするくらいなら言わないでギクシャクしていた方が余程良いのではないか? と、そのうちグレーのゾーンに落ち着き、ああ 言わないでよかったのかもしれない…と、最終的には至ってしまうことが、ずっと口の重い人でいれる利点だと思います。
 
 そして 黒でもなく白でもない振る舞いを、生まれて初めて意識して試みると、あれ? これって 自分もおそらくある人からそういう扱いゾーンにいたことが多々あるのでは? と 白と黒としか知らない自分からすると愕然と、ハッ!と背筋が寒くなり、精神的にもゆっくりとブロウが効き、改めて自分の言動を反省する気持ちになりました。

 しかし不利な点は、口の重い人は どこかで発散をしないと、なにか神経の病にかかってしまうのではないか? とも思ったりもします。

 発散型でないと神経を病む。 これが私の出した結論でした。

 父の方の血統がそういうタイプが多く。決して人に自分の心のうちをみせない。曝け出すことを恥としている。なんだか イギリス王室の掟のようなことを信条としてました。 私の知る限りでは父の母、祖母が特にそういう人でした。
美しい人でした。そして柔和な顔で 祖父の仕事に一役も二役も買うことの出来る よく出来た妻であり 母でありました。
祖母の口癖は、みっともない真似は例え、夫にも子供にもみせたくなかった。と、なぜか 晩年 孫である私に よく昔のことを話して聞かせてくれました。

 他人の悪口など口にするのはみっともない。そして 自分の実家の恥となるようなことは一切家族に知らせなかったというから 閉ざされた口元もここまでするのには、並の根性ではないな…と孫の私に思わせた。晩年はそれでも色々なことを孫の私には話して聞かせた祖母は、あれは いったいなんだったのだろうか?…と、おそらく 残り時間が少ないことと、体力の限界があって 黙していることも疲れたのかまた、または、おそらく、パーキンソンかなにかにかかっていたのだと思うのです。 当時はパーキンソンという診断がつかなかっただけの話であり、パーキンソン病の特徴に、ある時期独白のようなモードに入る。と、父の症状をみて、祖母もそうだったのでは?と思いました。

 父も祖母も口に嗜みのあった人たちでした。 だから 同じ神経の病気にかかったのかはともかく、母かたの親族たちは おおくが 100歳近くまで 神経系を病むことなく 長寿でいれる。また、いれたことは あれは みーんな 発散型 または、愚痴をだらだらか 口から適当に 人を批判し勝手なことを言い、血族集まっては ああだこうだと お互いがお互いを 批判し合い、 ちびくろサンボのライオンがくるくる回って走っているうちにバターになってしまうといったような、もう、みんながバター 同化 同レベル バタバタ そんな感じです。

 バターになり長生きするか。孤高な花となり、神経を病むか。
融合できるケースを知っていたら 教えてください。 どうか。

夏の終わり

 夏が終わりそうですね。
今日からThompson Internationalもスタートしています。

 どんな夏を過ごされましたか? わたしは 課題にしていたカフカの感想文を書きました。
友人たちが二回ほど家に来てくれました。楽しい時間を刻むことが出来ました。
 夏の暑さに加えて、フェンスをつけたりとしたからでしょうか。松の木が一本、元気がなくなり心配してます。 針葉にシャワーをあてて洗う気持ちで水をかけながら、弱っている葉を手でこすりながら落としたり、ゆすったりなんだりもした夏でした。そして トンプソンが帰ってきたので、後ろにある山林の枝をはらったりとしてみました。

 植物、動物は環境の変化で 弱ったり 生き生きとしたりもするから、心が離せません。

 日中は普段一緒にいることの出来ない猫にも たくさん話しかけて可愛がってやると 嬉しいのでしょう。顔が笑っているようにみえます。そして 少し太ります。

 夏が終わってゆきます。
 あれだけ 嫌いだった 秋がそんなに嫌ではなくなって… これも 生きてきた変化の成せるものなのでしょうか。

 また 淡々と毎日をつないで 次はどこの点に向かってゆくのかなと まず あの弱っている木が元気になればいいなと それくらいしか考えられない小さな毎日の積み重ねですが……。



 

 

Summer Holiday のお知らせ

8月13日の週は一週間夏休みをいただきます。
夏期講習以外のレッスンはお休みとなります。
8月20日火曜日より通常OPENします。

夏、良い時間となりますように 水、乗り物の事故には十分きをつけて。
豊かな秋の季節を迎えましょう。

Thompson International

Black Monday と Olympics と 暑(熱)い夏

  Olympics 男子バレー 熱い戦いでしたぁ・・・
スポーツ音痴には こんな戦いが出来る人たちというだけで ただただ リスペクトの眼差しを越えて 同じ人間とは思えないような すばらしい… と感動してました。
 このオリンピックで初めて、観戦し続けた試合の一つ。日本 VS イタリア戦。
 
 試合の真っ最中にも関わらず細切れにニュースが挟まれて、その内容は 株の変動、好ましくない方向への動きに対する動揺を知らせるもので…Black Monday を越える と 恐怖心を煽りたて、短い情報の中で精一杯の警笛を鳴らす。

 バレーボールどころでなくさせるくらいの勢いのあるその報道は、あまりソチラ系のものに重きを置いていない自分は集中してバレーを観れるが、これは試合中継の板挟みになっている人も多いのだろうな。と、想像が出来るものでした。

 オリンピックなのか 株の暴落なのか どちらかにニュースは統一できないものか…と思っても そうはいかないのがこの世の動き… 投資信託系ならそんなに打撃はないのだろうけれど、株の一本釣りの方は一体どういう具合なのだろうか…
 Aさんに聞いてみたいが 聞いてもよいものだろうか…とか スポーツ観戦も落ち着いて出来なくさせる その方がよほどBlack Monday の印象強いわ…と どっさりと疲れた感の残る一日に それこそ変動してしまいました…もう…

 
 

夏のひとやすみ

 同居人が長い間留守するひとときを、夏のひとやすみと呼んでしまう自分がいる。
自分にとって夏休みとは、お盆の連休ではなくこの時期にあたる。

 家族を持ってしまうと日常に麻痺して当たり前になる日常の繰り返し。それは素晴らしく健康的で良いことの方が多いはずなのだけれど。
 勝手気ままに暮らせる数日というのは、思いのほか肩の荷が下りた気分になる方は多いのではないか。と、思う。

 夏の一人の夜に、カフカの感想文を書こうなどと高尚なことを考えていたスタートが
Netflixの全主導権を得たとたん、日本映画を毎晩楽しみにする始末。カフカどころではなくなっている。

 豊川悦司、綾野剛の「地面師」を瞳孔全開でみ。三丁目の夕日で涙する、そんな夜を毎晩過ごしている。
 
 言い訳ですが 普段できないことをしたくなるのが 夏のひとやすみですもんね。

カフカ

なぜだか、この年になってカフカを読もうと思った。

普通、こういう作家の文章は、多感極まる青春時代、おそくとも20代までに読むものであるはず。
今更 無理して読んだってどうなる?と書店で何度も思った。
暫く迷いながらも
100年以上も書店に残り続けるような名作というものを読まずに過ごしてしまった後悔を残さないようにと、
2024年の夏、カフカ作 「変身」を この夏休みの一冊として買い求めた。

まだ 感想を言えるほどではないながらも、100年以上前に書かれたものと思えないほど、カフカは、面白い文章を書く人ということに驚かされた。
独特の文体で綴られるのは、翻訳の人の癖なのか、カフカ自身の文章が実際そうなのか・・・当然、カフカの文章にそっての翻訳なのだから カフカの文体と言ってもよいのか。

自虐的なユーモアを取り入れて、ありえないモチーフの世界へと惹き込んでゆく文章。
こういう文章は 三島由紀夫とか、現代の作家さんでいうと森見登美彦あたりが書きそう。

この短編は もう 凝り固まった感性には、少し想像力が要るので、もう一回ぐらい読み返さないと感想文は書けないながらも、言葉運びがすごく面白い作家さんなのは間違いない。
こういう文章を書ける人っていいなぁ…と世界のカフカを羨む自分がいる。

森見登美彦さんも、三島由紀夫さんも
あのお二人に共通するところは、頭脳がものすごく良いということだから、語彙力が半端ないことと、人を説得する力のある文章力に長けている点であるからして、きっと このカフカという人もそういう人だったのだろうと想像する。

今夜 ベッドの中で また読み直そう。
このカフカの変身を読み終えたら 感想ノートを綴り、それがこの3名の著名な作家さんたちに憧れる自分の夏休みの宿題ということにしている。

オダギリジョー

84歳に向かう母が、ある日テレビ番組を観てオダギリジョーが好きだ。と意外なことを言っていた時期があった。
受け狙いの発言と、相手にしていなかったが、意外にも本当にああいうタイプが好きな昭和16年生まれがいるのだ。と、この度驚いたことがあった。

ある夜、ある方、知り合いのMさんから、どうしても予約していた店に来れなくなった人の代理で来てくれないか?とお誘いといいましょうか、頼み込まれる形で電話がありました。
いただいた電話の時間帯からして かなり困っていたのだとお察しするくらいの勢いがありました。
なんていったって、私に電話をする前に打診した人物が、あの元道警の世間を騒がせたIさんという人物だというのが、ちょっと複雑な思いを残しつつ、私たち夫婦の夕食の食べ終わるような夜九時という時刻を見上げながら、お誘いを一度受けた。

トンプソンには、・・・という理由にて明日の晩、わたくしは留守にします。と述べ…
Mさんをよく知っているトンプソンは肩をすくめて、仕方ないな・・・というジェスチャーをし明日の夕ご飯のことをちょっと心配して見せる素振りをみせているが、それは 見て見ぬふりの私。
それよりも何よりも 一応、締め切りのものがあり。それを明日にする予定に置いてしまっていたことに、しまった。と、思い始める自分。
夜、机に向かう。ダメだ あかん。夜はもう、目が使い物にならない自分を恨む。

朝、そうだ、母を代理に行かせよう。と、思いつく。
Mさんは なぜか私の母とも気が合う。いや 私より面白い相手だと思っていることを、常々感じている私は Mさんに 代わりに母を送るが許されるものかと尋ねると大歓迎を受ける。
母はしっかりとお洒落をしMさんのお迎えの車に乗っていくのを、下で子供たちを教えながら窓からその姿を子供たちと一緒に見送った。
中高校生たちからすると 自分の曾おばあちゃんくらいの年齢の人と、それよりちょっと年下くらいのおじいさんが連れ立ってどこに行くのか?と不思議な光景にみえていたと思う。

2人を見送りながら カウンターの窓から眺めて 今更 気づいたことだけれど、母は84歳にもなろうとする 正直言って後期高齢者ど真ん中の人だというのに、まだ洒落っ気がある。なんというかまだ人生の現役感があるのだ。
そして これまた 中高校生も驚くような高級車でスクールの前に乗り付けてきたMさんだって 自分たちのおじいちゃんよりちょっと年上くらいのおじさんなのに、自分のおじいちゃんにはない、生命力を感じたから、みな見入ってしまっていたのかも、しれない。と思った。不思議な好奇心を感じる ひとつの光景だったのだと思う。
その証拠に、「どこへ行くんですか?あの人たちは誰ですか?」と わたしに質問を攻めてくる。
「あの女の人は わたしの母。そして あのおじさんは 私の知り合いの人で 母も知っている人。二人はこれからお寿司屋さんに行くみたいだよ」と ボソリと言いながら、はい! 次のページいくよ~~ と 窓の外へ向かっている注意をこちらに戻す。

 翌朝、昨日は楽しかった?と 母に尋ねると、「あんたの住んでいるところのご近所のYさんって人が大勢プロゴルファーとか接待の人を連れて9席のカウンターのうち7名を占めていたわよ昨夜は。偶然その夜に予約が一緒だったMさんのビジネスパートナーってそのYさんに はじめて紹介を受けて お目にかかったけれど、私が想像していたYさんって人のイメージとは違ったわあ。いい男ねぇ」と言う。
「え??? いい男って あのYさんって人?」と 私は オダギリジョーがタイプと言う口は聞き逃せても、Yさんをいい男ねぇという母の言葉は 聞き直した。

「あなたって…、っとに、ああいう系統が好きなのね。冗談かと思っていたけど」と 聞き直す。

イタリアのチョイワルおじさんを意識した感じの風貌のYさんと オダギリジョーはどこか重なるところがある。

以前、札幌の****という番組に出たことのあるその人は、私たち夫婦が住むあたりの地域では少し毛色の違うタイプ。
フェラーリのエンジンの音が響き渡り、洒落た服装の似合う長めのシルバーヘア。優男タイプの人だよなぁという印象を持つくらいで、自分とは当然、違う世界の人でしかない。
が、母は そのYさんを とっても好みだと言う。
 
 私は亡き父のことを思い、「そんな人がなんで お父さんみたいな人と結婚したのかよく分からない」と呟くと。
「結婚する相手と、タイプの人は当然、違うわよ。 お母さんたちの時代なんてお見合い結婚が大体だったから、自分で選ぶだなんて発想がそもそもなかったもの、それに お母さんはお父さんみたいな人と結婚出来て いい人生だったわぁ」

 結婚する相手と、タイプの人は違う。 それは 確かに 多くの人が胸に抱えている共通の葛藤、意識だと思うが
ここまで 違う人も珍しいのではないか? と 質実剛健を志した父の牛のような容姿様子と、Yさんのバカラグラスのような洒脱な空気感。どうやっても重なる箇所がない。

 でも そこまで違うと、確かに 結婚する人と 好みのタイプは違う。と言い切れる すっきり感はあるか。

 私にも 好みというのは あったような気がする。そうだ あったのだ。
男の中の男タイプ に 憧れを持つ一方、そんな人に尽くし、従い、支えるように 暮らす自分は到底想像できない。かといって 親戚一同が勧めるお見合いの人も どうしても気が進まない。と 右往左往としているうちに 全く 想定外の 人と結婚していた。

 それが人生というやつなのか。あの人 好みだわと その後の人生の中で、そんな人を見かけたときに、まだ言い続けられるためにも
好みの人とは結婚できなかった無念の人は、好みの人に対して夢を持ち続けることの出来る特典が与えられたと思える。

たしか川柳に
 命までかけた女てこれかいな
好きな川柳のひとつにこれがあった。