女ざかり

 円山動物園と北海道神宮の間の裏山道に抜けるあの道を、ゆっくりと車で降りてきていました。
球場のあたりの雑木林の中を小さな子供を連れて歩いている女性がいました。
遠目から、銀色のスカートをはいているのが映りました。 銀色?と 自分の目を疑いました。

 銀色のロングスカート、けっこうボリュームのある。 うっそでしょ?…と、自分のファッションの常識範囲の中では受け入れがたく、近寄りながらもすんなりと受容機能が働くまで時間がかかりました。

 いくら老眼が進み、運転用の眼鏡は必要ないと言われた自分の目でも、それこそ目を疑う気持ちで、信号に近づく彼女に近づいてきました。

 運のよいことに車道が赤になりました。車を停めて(とめて)彼女をゆっくりとみることが出来ました。

 本当に銀色の長いスカートを身に着けていました。遠目から見たときは、どんなイカレタ感じの人がそんな無謀なファッションをしているのだろうか。と、一瞬拒否反応の動いた目でみたその女(ヒト)は、とても美しいひとでした。
 ファッションが好きな人なのでしょう、シルバーに光り輝くたっぷりとしたスカートに、白いぴったりとしたTシャツに白いベースボールキャップ。小麦色の焼けた肌は若々しく、小さな子供の手をひいて颯爽と歩いて行きました。

 銀色と、白と、そして小麦色の粒子が目の前を爽やかに、その暑い空気の中を通り抜けるように去っていきました。

 私はその粒子を素直に目で追いました。 爽やかで、美しく、そして ああ 女の盛りだなぁ と 首を横にしてまでもうっとりと眺めていました。 車道は青になっていたのでしょうか。 後ろに車がいなかったから良かったものの、クラクションを鳴らされていたのかもしれません。それくらい長い間、私はうっとりしていました。

 30代の女性は、思いっきりお洒落を楽しめばよい、そして自分の女の盛りを十分に享受した方がいい。と、その季節を過ぎてみると本当に心からそう、思います。
 30代はきっと色々と大変なこともあるかと思います。思い悩むことも多い季節であるだろうし、ミクロにみると苦悩に満ちた毎日なのかもしれません。
 おそらくおそらくですよ…その苦悩も30代を美しくさせる美容液に繋がるのかもと思います。

 苦悩に満ちた50代は心配になるけれど、葛藤に苦しむ30代というのも影が光を強調するようでいいものなような気がします。

 全て光のあたる面だけで生きてゆこうとする人にも、屈折した考え方しかできないと、自分に悩む人にも、30代は公平に与えられ、その季節の中で光と影をきれいに美しく描いていける時にいるのですよ。と、私などメガホンを使って言いたいくらい。
お洒落して、美しくして、私たちの目を楽しませてください。 そうすると みている私たちも楽しくなって あら あれいいな 買ってみようかなとか思ったり。 社会全体が美術館のようになればいいのになぁと きれいなものをみると嬉しくなるもんですよ。
 

 

 

オダギリジョー

84歳に向かう母が、ある日テレビ番組を観てオダギリジョーが好きだ。と意外なことを言っていた時期があった。
受け狙いの発言と、相手にしていなかったが、意外にも本当にああいうタイプが好きな昭和16年生まれがいるのだ。と、この度驚いたことがあった。

ある夜、ある方、知り合いのMさんから、どうしても予約していた店に来れなくなった人の代理で来てくれないか?とお誘いといいましょうか、頼み込まれる形で電話がありました。
いただいた電話の時間帯からして かなり困っていたのだとお察しするくらいの勢いがありました。
なんていったって、私に電話をする前に打診した人物が、あの元道警の世間を騒がせたIさんという人物だというのが、ちょっと複雑な思いを残しつつ、私たち夫婦の夕食の食べ終わるような夜九時という時刻を見上げながら、お誘いを一度受けた。

トンプソンには、・・・という理由にて明日の晩、わたくしは留守にします。と述べ…
Mさんをよく知っているトンプソンは肩をすくめて、仕方ないな・・・というジェスチャーをし明日の夕ご飯のことをちょっと心配して見せる素振りをみせているが、それは 見て見ぬふりの私。
それよりも何よりも 一応、締め切りのものがあり。それを明日にする予定に置いてしまっていたことに、しまった。と、思い始める自分。
夜、机に向かう。ダメだ あかん。夜はもう、目が使い物にならない自分を恨む。

朝、そうだ、母を代理に行かせよう。と、思いつく。
Mさんは なぜか私の母とも気が合う。いや 私より面白い相手だと思っていることを、常々感じている私は Mさんに 代わりに母を送るが許されるものかと尋ねると大歓迎を受ける。
母はしっかりとお洒落をしMさんのお迎えの車に乗っていくのを、下で子供たちを教えながら窓からその姿を子供たちと一緒に見送った。
中高校生たちからすると 自分の曾おばあちゃんくらいの年齢の人と、それよりちょっと年下くらいのおじいさんが連れ立ってどこに行くのか?と不思議な光景にみえていたと思う。

2人を見送りながら カウンターの窓から眺めて 今更 気づいたことだけれど、母は84歳にもなろうとする 正直言って後期高齢者ど真ん中の人だというのに、まだ洒落っ気がある。なんというかまだ人生の現役感があるのだ。
そして これまた 中高校生も驚くような高級車でスクールの前に乗り付けてきたMさんだって 自分たちのおじいちゃんよりちょっと年上くらいのおじさんなのに、自分のおじいちゃんにはない、生命力を感じたから、みな見入ってしまっていたのかも、しれない。と思った。不思議な好奇心を感じる ひとつの光景だったのだと思う。
その証拠に、「どこへ行くんですか?あの人たちは誰ですか?」と わたしに質問を攻めてくる。
「あの女の人は わたしの母。そして あのおじさんは 私の知り合いの人で 母も知っている人。二人はこれからお寿司屋さんに行くみたいだよ」と ボソリと言いながら、はい! 次のページいくよ~~ と 窓の外へ向かっている注意をこちらに戻す。

 翌朝、昨日は楽しかった?と 母に尋ねると、「あんたの住んでいるところのご近所のYさんって人が大勢プロゴルファーとか接待の人を連れて9席のカウンターのうち7名を占めていたわよ昨夜は。偶然その夜に予約が一緒だったMさんのビジネスパートナーってそのYさんに はじめて紹介を受けて お目にかかったけれど、私が想像していたYさんって人のイメージとは違ったわあ。いい男ねぇ」と言う。
「え??? いい男って あのYさんって人?」と 私は オダギリジョーがタイプと言う口は聞き逃せても、Yさんをいい男ねぇという母の言葉は 聞き直した。

「あなたって…、っとに、ああいう系統が好きなのね。冗談かと思っていたけど」と 聞き直す。

イタリアのチョイワルおじさんを意識した感じの風貌のYさんと オダギリジョーはどこか重なるところがある。

以前、札幌の****という番組に出たことのあるその人は、私たち夫婦が住むあたりの地域では少し毛色の違うタイプ。
フェラーリのエンジンの音が響き渡り、洒落た服装の似合う長めのシルバーヘア。優男タイプの人だよなぁという印象を持つくらいで、自分とは当然、違う世界の人でしかない。
が、母は そのYさんを とっても好みだと言う。
 
 私は亡き父のことを思い、「そんな人がなんで お父さんみたいな人と結婚したのかよく分からない」と呟くと。
「結婚する相手と、タイプの人は当然、違うわよ。 お母さんたちの時代なんてお見合い結婚が大体だったから、自分で選ぶだなんて発想がそもそもなかったもの、それに お母さんはお父さんみたいな人と結婚出来て いい人生だったわぁ」

 結婚する相手と、タイプの人は違う。 それは 確かに 多くの人が胸に抱えている共通の葛藤、意識だと思うが
ここまで 違う人も珍しいのではないか? と 質実剛健を志した父の牛のような容姿様子と、Yさんのバカラグラスのような洒脱な空気感。どうやっても重なる箇所がない。

 でも そこまで違うと、確かに 結婚する人と 好みのタイプは違う。と言い切れる すっきり感はあるか。

 私にも 好みというのは あったような気がする。そうだ あったのだ。
男の中の男タイプ に 憧れを持つ一方、そんな人に尽くし、従い、支えるように 暮らす自分は到底想像できない。かといって 親戚一同が勧めるお見合いの人も どうしても気が進まない。と 右往左往としているうちに 全く 想定外の 人と結婚していた。

 それが人生というやつなのか。あの人 好みだわと その後の人生の中で、そんな人を見かけたときに、まだ言い続けられるためにも
好みの人とは結婚できなかった無念の人は、好みの人に対して夢を持ち続けることの出来る特典が与えられたと思える。

たしか川柳に
 命までかけた女てこれかいな
好きな川柳のひとつにこれがあった。

Soap 石鹸

音と香りには贅沢しました。…と、自嘲気味に言う人からは たしかに ほんとに いい香りがするものだなぁと思います。

ある人がすごくいい香りをしてたので、いい香りですねぇと 言ったら

紹介してくださったのがDiptyQutというあのフランスからの香りのライン。

石鹸と、髪にかけるスプレーを買い求め お風呂場で豊かな香りに包まれ。白髪の髪に少し華やかさをとスプレーをふりまき。まぁ なんとか がんばってます。

しかし、この香りの魔術。これは 嗅覚が人より発達していて 香りにこだわるタイプの人というのは 必ず 香りを羽衣のように 何重にも レイヤーするように思います。

香水 プップッ とかけて終わりではなく。 石鹸からボディクリームそして フィニッシュのフレグランスと 段階をおってゆく贅沢 Luxuriousな時間を楽しんでいる洒落者です 大体。

我が夫のように、セーターの上にオーデコロンかけて満足しているような人は まず いません。

その洒落者がおっしゃるにはですよ…香りを 一つだけでなんとかしようとすると 直線的になりすぎるから面白くないんだ。そうです。

同じラインのものを Soap から Cream  そして Scent(香水)まで つなげていってごらんなさい 楽しいよ。 と、いう言葉を実行してみたことがありました。

まだ シャネル19番に石鹸があった時のこと。ある時期から店頭では買えなくなり、それで なんとなく その贅沢な時間はなくなってしまいました。

でも いま また このDiptyQutとの出会いを機に クリームはさておき Soap と Scent(今回はHair用スプレー)で楽しんでいます。

イタリアの香りは 少し宗教的な香りがし、フランスの香りは 少しだけワルな香りがするんだなぁ…と

いまは ちょいワルな香りに酔いしれております。

よーく観察してみると、この羽衣をレイヤーのようにひとつひとつ重ねてゆく感覚というのは 洒落者の人たちの極意なのでしょうかね…

服にしても もちろん、肉体美で 一枚のTシャツを魅せる着こなしもあるのでしょうけど 大体 お洒落上手な人たちは カーディガンひとつとっても、体を温めるために羽織るだけという着方はしないように思います。 シャツの色を際立たせる色を必ず選び カーディガンを羽織ります。 例えば 少しクールなミント系のシャツがあると その上に 同じようなトーン 少しミントの入ったアイスグレーの狐でも狸でも できれば カシミヤだと最高なのでしょうけど、下に身に着けるもののトーンが繋がる色と質感のハーレーションをカーディガンに求めているといった具合。

または清潔な白にキッパリとしたネイビーのカーディガンとか。

寒い時に一枚うえに羽織るための面白みに欠けると思っていたカーディガンが 突然、色々と 自分に問いかけてくるようになり、へぇぇ カーディガンは そういうものだったんだ。と、嬉しくなりました。

これから寒い季節になりますね。

まずは石鹸と、そして羽織る楽しさも取り入れ味わいたいものです。

爪化粧

ネイルの施し、爪化粧をしばらくしないでおこうかと思ってます。

理由は、自分には爪化粧を美しく保ち続ける管理能力がない。と諦めたから。

言い訳はたくさん、あります。 忙しいからとか、頼りにしていたネイリストさんがお産で暫く復帰できずにいるなか縁あって紹介を受けたネイリストさんの休日が偶然自分の休日と一緒で、仕事の合間にネイル・・・というのも後ろ向きな時間となってしまう。とか、色々あるけれど。一番の理由は、私は手元までしっかりと管理して保つというそういう美意識がない。と、思ったのだ。

その点、82歳の我が母の方が管理能力がある。彼女は4週目になる前に必ずネイリストさんのところへ行き、きれいに赤と透明のフレンチにしてもらい続けている。父の11年にわたる自宅介護の中、自分の気持ちを奮い立たせるために始めた手元の化粧。 「お父さ~~ん、伊都子さん 手元はホステスさんよ~~」と父のおむつを替えていた光景がついこの間のようでも 結構な月日の中彼女はネイルをし続けている。それも剝がれたり 伸びすぎたり みっともなくなる前に、必ず キチッとネイルサロンに行く優等生である。

父の逝ったその後は、色々なところで、お手元きれいですねぇ~~~。ネイル素敵ですね。とか褒められることが励みとでもなっているのであろうか、褒められるたびに「手元は18よ」と嬉しそうにしている。

が・・・娘である 私の手元ときたら 何週間もネイリストさんのところに行けず(日、月が定休日だからどうしても自分の休みと合わない)数本のジェルネイルも剥がれ落ち。残っていてるネイルも根本が伸びてきてヒジョーにみっともない。常になぜに、こんな思いをしてまでネイルをしに行かなければと思わなければいけないのだ?←この言い方なくらい 思考回路がこんがらがっていたのです。ホントに。・・・とは思っていたのですが、その自分への問いかけに決定的なこたえをくれたのは。あるテレビ番組で、名前の知らないタレントさんが 私のような爪をしてテレビに出ていたのです。

その状態は客観的にみると、テレビに出演するのに。ということを差し引いても、いいものではないのだ。と、やっと、わかったのです。

皆さま、ご存じでしたでしょうか。

意外や意外、いや 意外でもないか・・・男の人というのは手先をすっごく見ているようです。

歌でもありますでしょ。きれいな指していたんだね 気づかなかったよ とか。

そんな視点だけではなくですね。これ、わたくし 年取ってから分かったことなんですが 男の子も男の人も 私をそういう対象とみなくなってくるとですね。実に色々な 心の機微を語ってくれるようになり、へえええ そうなの? と思うようなことを ポロッと言ったりします。

ある男(ヒト)が、「その女性は、手が どうしても自分の好みでないので だめです」と 言ったことに

なぬうう? と 驚いてしまい 何言ってんのあんた?どーいうことよそれ? と 問い詰めると

自分はどうしても手で異性を選んでしまう。どうしても受け入れられない手、指というのがあるんです。

と遠慮がちに言ったことは 正直、ショッキングだった。

だって その女性は すごくきれいで、性格もよく、パーフェクトな歯並びと 文句のつけようのない女性なのである。

そんなことってありなのか。と、疑問に思いながらも しかし同時に、自分の痛い思い出が蘇ってきたのです。 好きだった男の子となんとかかんとか付き合うことの出来た最初の頃。フッと何気ない拍子に その人が

「オマエの手って、他は細いのに、なんでそんな手をしているんだ?」と言ったことが今でも実は忘れられないでいたことを その瞬間に思い出したのです。私はその言葉を聞いた瞬間に、もう 別れの言葉をその人からもらった気持ちでたことを思い出しました。

と・・・そんな話はどうでもよくて。

持って生まれたパーツで、意中の相手との出会いも決定づけられたとしても、それは悲観するべきものじゃない。と、いまになると 分かるのです。

それよりもなによりも悲観するべき重要なことは、その管理の出来ていない、きったない手元を野放しにしている自分の姿勢よ。と、叱咤し、ドラッグストアで 爪やすりと爪磨きを購入し、ワセリンを買ってきました。結局台所仕事の多い自分がつけられる保湿剤は、無香料のワセリンかオリーブオイルくらいしかないのかもしれない。・・・と。奥さん働き者の手ねぇ~といつも褒められる?この手に手入れを丁寧にするように心がける手元になろう。

そうすれば、私の手元をみたツルハドラッグの店員さんも お! 結構年いってるけど この人 がんばってるね。と、好意的な目でみてくれるかもしれない。

そう、それでいいのだ。 食指の示されない手でも好意的な視線で受け止められる手であれば。それで良い。

 

 

年を重ねることでよいな。と思ったこと

年を重ねるって正直、いいことあまりないと思う。身体のあちこちに故障個所が出てくるし。出来たことも出来なくなってくるし。・・・と、あちこちに100円ショップのリーディング眼鏡 いわゆる 老眼鏡というものを散りばめておいて 物を読まなければならないし。もともとなかった根気もなくなってくるし。と しょーじき いいことなど 一つもない。と言い切れる。が! 少しはいいこともあることは

美しい人をみるとウキウキと楽しくなってくることに正直になれること。

先日、知り合いの方の奥さんが あまりにも若くて美人なのに驚き。

奥様ですか? と その60歳の還暦を迎える男性に30代にはなっている子供のいることを知っている私としては・・・そう聞くには躊躇したほどの 若々しい風貌と、深みのある容姿が上手くミックスされたその女性に 私は 思わず お嬢さんですか? と 本気で聞いてしまってました。

悩んだのだけれど お嬢さんに 奥さんですか? と聞いては失礼になる。と、思わせたくらいの 若々しさ。 私より少し年上だろうとは思えないほど。

で、単なる 若く見えるのではなくて 若々しく美しいという そういう奥さんを持つっていうのは・・・これ・・ ある程度の年齢になると いや 男のステータスだろうなぁ。と 感心してしまいました。

確かに その男性も 大した人だなぁ・・・と日頃尊敬している方なので そうか そうなのか・・・と妙に納得しておりました。

美人をみて 心が華やぐ。 これは 若い頃にも あったのかもしれませんが 今ほど 明確ではなかったと思います。

思い出の中で 自分が若い頃に、おそらくその当時は60代にはなっていたであろう・・・そんな方から 受けた美の印象というのがあります。

お茶のお稽古というものに その昔 通っていたことがありました。四谷という場所柄 東京のマダムたちが通うような先生の茶道教室でした。

そのマダムたちは 皆さん、とても品が良く さらりとした(ギラギラ ごてごてしていない印象の) 山の手マダムのお集りでした。

で きっと その中で一番重きを置かれていたような マダームは、大島とか なんというか 派手ではない渋めの和服を 空気をまとうように身に着け。 化粧っ気のない印象のお顔。でも肌が透き通り、生活の美しさが滲み出る、そんなお顔をしている人でした。 普通は和装に化粧っ気がないと・・・ 大体がアウトになってしまいます。 和装の地味なものに 地味な顔が負けてしまう はずなのに。その人は 白粉っ気のない肌が 地味な大島というの? 紬?というの?ああいう 非常に渋い素材の着物を引き立たせる 際立たせる 不思議な魅力をもった その当時の私の目には おばさんのはずなのに おばさんとは呼べない マダムでした。

ある時、冬の炉が開かれ しゅんしゅんと炭の上でお湯が沸いていました。

すると 冬の空気の中に 炭とお香の香り そして その中に、シャネル19の香りが混じり合いました。私の隣には そのマダームが座っています。

私は 思わず いい香りですね。と その香りの持ち主に言いました。

マダムは いたずらっ子のような顔をして、お茶席には香りはご法度なんだけれど 私、この香りが好きで生活の一部なの。だから許してね。

いえ とても いい香りです。 お香とシャネル19はとても合うんですね・・・などと 知ったようなことをつぶやいていました。

マダムの化粧っ気のない姿、カラリ、サラリとした趣味の着物。そこに シャネル19の香り。

若い私にとって 美人の年配の女性にあたる 第一号の人だった。

自分にとって美人というのは 心に華を咲かせてくれる そんな存在。というのは きっとあの当時から変わっていないんだろうな と いまでも 美人をみるごとに思います。

 

Romantic

ロマンティックなタッチのものが 義母の好みだったのだな。・・・と、カナダの実家からやってきた ティーカップやリネンのものなどを眺めて溜息をついていたことがある。

究極のマザコン男、トンプソンはカナダの実家が売りに出て、たたむというときに

日本に船便でコンテナ一個分にものを詰め込み それはそれは飽きれるようなものも 運んできた。

絵画は まぁ 許そう。しかし・・・ リネンや トンプソンの母が若かりし頃に使っていたハンカチやら・・・ はっきり申すと 私にとっては ただの布切れ。・・・こーゆーものに高い船賃かけて・・・勘弁してくれ。と正直思っていた。

…が、時刻の中で リネンを使う姿勢で挑んでみよう。・・・と、試みていたら

自分の知らない世界が 浮き上がってきた。

私の狭い世界では 作ることの出来なかった世界。 リネン・・・って ロマンチックなものなんだなぁ。・・・と。 昔というか 義理の母の生きた時代は ロマンチックな 1800年代後半の人たちが作り出す世界がまだ 普段の生活の中に残っていたのだろう。現代のような無機質、つるりとした空間ではない。

現代でも そういう生活空間を好む人はいると思うけれど、そういった品物は アンティーク、骨董と呼ばれるようなお店にしかみあたらなくなった。

・・・で ハンカチの類。

こればかりは あんた いったいどーすんの? と 昔のサイズって あの女の人が小指をたててくしゃみをするときなど くしゅんっ と鼻先に当てるという意図だけに作られたようなサイズ。 現代の日本サイズの手を拭くための大判サイズではない。

これは ハッキリ言って ゴミ。・・・と私の目にはずっと・・・映っていた。

が、トンプソンの手前、捨てるわけにはいかない。

・・・が、今年の夏。ある 変化が起こった。

これを ファッションの一部にしよう。と、夏の間は特に ちょっと額の汗を拭いたり。手先を拭いたり

ジーンズのポケットからギンガムチェックの柄を出してみせたり。白い服には少しロマンチックな刺繍のハンカチを合わせる。など し始めた。

ハンカチは 夏服と合う。 と 思った。

トンプソンの母親は、女らしい女性だった。本当に亡くなるまで。

こんな ロマンティックなものを若い時代から 愛し続けた人は 90を超えても そういう人だった。

スクワランオイル

題名のスクワランオイル。私は、オリーブ油から出来たというものを使い始めました。が、これがすこぶる大効果です。

原因不明の皮膚炎に悩まされていた皮膚が、スクワランオイルを使用し、すぐ翌日から炎症が沈静始めました。

こういっては失礼ですが、何年も何年も皮膚科で処方されたクリームを使って、一時的に治ってもすぐに発生していたあの問題が、このスクワランというお名前のオイルで改善されつつあるのです。

この、スクワランというものを手に取ったのは、ある人のおかげでした。

それは友人でも知人でもなく、ただ サウナで偶然、居合わせたご婦人でした(おそらく年齢は70代くらい)。

ホテルのスポーツクラブで泳ぎ、お風呂、サウナというプロセスを踏んでいた時のこと。

サウナ室に入ると一人のご婦人が先客で。

私は こんにちは。とだけ言って座り、数分間・・・体が熱くなり、水風呂に入り戻りました。

その時には、もうお一人後に入られた方もいて、雑談されていました。

私が入ってきたということで、その後に入られた方が、会話を投げかけてくるその方に、きっぱりとした口調で「もう一人の方が入っていらしたので、会話は、この時期(コロナ感染)ですので、控えましょう」と言って会話を止めました。

私は、「あ いえ、気になさらずにどうぞ」とその申し出た女性の目をみつめて言いました。目をみた瞬間、仕事している人か、主婦の方でも、一言ありそうなタイプの人なんだろうな。という眼光の鋭さで、ちょっとビビりました。その人は私に無言で微笑み返し、サウナ室は無言になりました。

その意を決して、無言にする。というのも、なんだか疲れるもので、その申し出た方が、沈黙に耐えきれなくなったのか、また何かを、ずっとサウナ室にいる女性の方に話しかけました。

すると、話しかけられたほうの女性は、元来お話し好きの方なようで、言葉が連なり出てくるタイプときて話が止まりません。 で、また、その質問をされたその方が、「わたくし、耳が最近遠くなって、ちょっとお話が聞こえないものだから、またいつか・・・」とその話好きの人の会話を遮るといった、なんとも居たたまれない空気が。

なんか、居心地悪いなぁ・・・と 私、また水風呂へ。

・・・で、水風呂から帰ってくると、それまで残ったお二人で何かを話されていらしたのでしょうけれど、私が座ると同時に、

先ほどから会話をすることを躊躇しているけど沈黙も居心地悪いわ。とどっちつかずの方が「いえ、そういった治療はもうこちらで十分にしておりますから、結構ですから」とピシッと今度は手を振りもう一人の人の話を、気高く拒否した形でサウナ室の砂時計をみやり、砂が落ち終えたと同時に、サウナ室を後にされました。

私は、なんだか 会話を終えるにしても、もうちっと穏やかな終え方あるんでないの?・・・という感想を持ちました。

ですので、その残された話好きそうな方も水風呂に行き戻ってきたときに、お話の邪魔をしてしまったようで、ごめんなさい。と伝えました。

すると、その人はニッコリと笑って、首をふり(そんなことはないわよ)というようなジェスチャーをしながら、

「あの方、女医さんなんですって」と私に言います。

咄嗟にどう反応してよいのか分からなかった私は「そうですか」(イントネーションは さいですか・・・)と答えたはず。

その反応の満足がいかなかったのか、少しの沈黙があった後、「・・・あなた、」と 何かを問おうとする様子。

私は、なんだろうと一瞬、どんな質問が来るのだろうか。と頭の中で少し想像をめぐらす。会話の流れから行くともしも仕事のことを聞かれたら教育業くらいで答えればいいだろうか とか数秒の間に考えを巡らす。

「・・・あなた、化繊にかぶれやすいでしょ」と突如。

きっと 私の後ろ姿のお尻のあたりをみて この人はそう言っているんだな。と思い、「あ・・・お尻のあたり、みっともないですよね。いま色々とはい・・・ちょっとあって、でもあの、伝染性のものではないので・・」ともごもごと言っていると。

「お尻のお手入れも欠かしてはダメよ。三面鏡をみて、きちんとお手入れをするといいわよ」と・・・

ああ、この人はきっとアドバイスをしたい人なんだなぁ・・・この調子で、先ほどの現役感バリバリの60代くらいの女医さんにもアドバイスをしていたんだ。それなら、煙たがられるよなぁ。と思いながら

そうですね ありがとうございます。ただ、自分どうしても治らない皮膚炎にいま苦労しているんですよね。というと、その人は 目を見開き、スクワランをお使いなさい。と言い切った。

スクワランで自分もアトピー性皮膚炎から救われた。と、もう力説に力説を重ねられ、私に説ききってくれる。

そろそろ、熱くなったので、もう外に出ますが、アドバイスありがとうございます。早速買ってみます。と言って立ち去ろうとする私に、「もう、お会いできないかもしれないので、もう一つ!すぐには効かないかもしれないけれど、時間をかけてゆっくりとじんわりと、本当にいいわよ。スクワラン。肌ももっちりとしてくるし」と、確かにその人の肌は、独特の柔らかそうで、触りたくなるような肌質の人だな。と思った。

で・・・ 帰り道、さっそくスクワラン、購入しました。

顔からお尻から 化粧水で水分を与えた後に、スクワランオイルを摺りこむように塗ると、なんということでしょうか、あんなに悲鳴をあげていた皮膚の傷跡や、痛くて痒くてと辛かった部分が鳴りを潜めてゆきます。

そして たった数日で、自分の本来の肌に戻ってきたのです。

私は、うそでしょ・・・。と、正直半信半疑でありながらも、この状態がもしあと一週間続いたのなら、あのちょっとお節介なお話好きのおばさまは、天から降り立ち、あのサウナにいてくれたのではないか?と思うくらいです。

人からのアドバイスを、煩わしいと遮断するほどの・・・なんというか現役感のない自分に苦笑いしながらも、あの時、あの「・・・あなた・・・」と、いきなり何を言うのかと思ったら お尻が汚いから きちんとお手入れしなさい。と、驚きのアドバイスを拒否せずに耳を傾けておいてよかった。と、思います。

ソックス

足元のお洒落と聞くと、靴と思われがちです。

が、あることを発見しました。

靴の前に、ソックスの存在。草履なら足袋だということを。

これは「怪我の功名」というものから体感したこととなるのですが。

私、ジル・サンダーというところの服が好きなんです。でもお高いですね。

著名人でもない自分が着ていいものか。というくらいの値札がついてます。

でもパンツのラインがとてもきれいなんです。よそ行きというか、気の張った時に着る服はパンツはジル・サンダーを少しずつ買い足して楽しんでます。

買う時も、しごく慎重になりますね。

店長さんがピンを打ったりなんだりしてくれても、気にビビビっとこなかったら申し訳ない!と、率直に謝り、購入しない覚悟で試着する感じ。

・・・に、してもすごくすごく悩んだ一品があったのですよ。淡いピンクのパンツで悩みに悩んだ結果、買わないと店員さんに伝えるときが、自分はすごく嫌い。でも、言わなきゃいけない。ごめんなさい!と、その時、気の弱い私は 靴下3足セット21.000円という品を手に取り、代わりにこれを貰っていきます。と口走っている。

店長さんは、トンプソンさん、無理にいいんですよ(汗)という風に言っているけれど。

に、しても 一度取り置きをしてもらって、それに合いそうなトップを持ってきてまた試着して、やはり気に合わないからごめんなさいね。と立ち去る。そんな太い神経は自分には・・・持てないのだ。

で。買いましたよ。3足セットのジル・サンダーの靴下。なぜだか靴下を入れる袋までついているもの。

黒と柔らかいベージュと、オフホワイトのもの。

買ってきた当初は、靴下一足に7000円以上って あほか。私は。と ぐじぐじと思っていたけれど。

履いてみてわかりました。 1000円のソックスとの違いが。

2年以上たってもまだしっかりとしているし。また履いた時の気持ちの良さ。居心地の良さ。地に足がついている感じの受け止め感。

靴下は大切だと知ってしまいました。

7000円もしなくても、おそらく、これはおそらくですよ。

靴下で言うなら3000円以上のものは足元を安定してみせてくれると思いました。

靴も大切だけど、靴下はより重要と。そんな出来事が起こってしまったために分かりました。

 

 

日曜日のジュェリー売場

日曜日のジュェリー売場には若いカップルがおりますね。 特に4℃あたりの売場にはこの間まで中学生だったようなまだニキビのありそうな男の子・・・きっと23歳くらいなのでしょうが、初めて彼女へジュェリーを買ってあげる照れと、とまどいと、そしてしっかりとしてゆくぞという自覚とを一身に着ようとしている…そんな男の子の隣には、首をかしげて、男の子よりジュエリーをプレゼントしてもらえる幸せに輝いている女の子がいます。

いいねぇ・・・ と 私は、股上のマチの深いパンストを店員さんに探してもらっている母を待ちながら、若いカップルを眺めています。

私にもあんな時があったのだろうか。どうだったのだろうか・・・それにしてもいいなぁ若いって。と股上の深いパンストじゃなきゃお腹がおさまらなくって、わたしなど困るのよ。と大声でレジでの支払いを終わった母と歩きながら私はこう呟きました。

「おかあさんさぁ・・・ 自分で100万以上の宝石買える人とかさ、おかあさんみたいにさ夫がうるさい人でなかったから、さらえ構わず図々しく自分で好きなもの買えるような女とだよ・・・ 彼氏や夫にかわいい表情でおねだりしてジュェリーや宝石なんかを買ってもらう、そんなひと苦労の振る舞いが必要な人と・・・どちらが いいんだろうねぇ・・・ わたしは なんか後者のような気がするの」

「え? そんなの決まってるじゃない。自分で自分の好きな宝石買える女の方がいいに決まっているわよ」

と81歳の人は言うのですが。

どうでしょ。 どうなんだろう。

外商担当の人が出てきて、翡翠、エメラルド、ダイヤと一人で選んでいる女より

私は彼氏が一生懸命バイトで貯めたお金で数万円のジュェリーを買ってくれるという過程がなんとも意味のあるもののように思えたり。結婚しても理想は、理想は、何かの思い出に、その時々の記念にと、ポーズだけでも夫に買ってもらったという感じのメモリーが欲しいではないか。自分で自分にご褒美にも節目の記念が必要なように。

宝石、ジュェリーには思い出。記念。なにか思い出が必要な気がするの。

ただ、自分が求める思い出と、夫のそれとは、必ずひとつ桁が違うのが問題なわけですが。

バッグについて考えてみた。

女性が 高級バッグを持っていて 誰かに とても素敵ね 似合っていますね。 と 言われたら

素直に受け取ってよいと思う。

似合っていなかったら あまり 褒められることのない アイテム、それは バッグだと思うのですよ。

知り合いの方で、ロエベ シャネル セリーヌ はたまた エルメスといった バッグたちが 嫌味なく とても似合う人がいる。なぜだろう その人が持つと そういったバッグたちが 普通の人が持つよりもとても素直に光を放ち、側にいる私などが 素敵だなぁ と口からポロリと出てしまう。

バッグだけが悪目立ちすることなく その人も輝いて映るから、その言葉は出てくるのですよ。

私は ある時 「なぜか ***さんが 持つと CHANEL と 大きな字で書いた バッグも 素敵にみえる。普通そういう人は滅多にいないと思う」 と スパッと言ったのです。

「あたし バッグがすごく 好きなのよ~」 と 笑って 嬉しそうに言う彼女を見て

それが 絶対の理由なんだ。と 感心しました。

これは 皆さんに 信じてもらいたいのですが 自分が素敵というときは 心からそう思っているときのみです。

それも きっと 彼女に伝わったのだと思います。 色々な話をしてくれて 彼女のバッグ熱がすごく伝わってきました。

はた・・・ と そうか・・・ と自分が持っていて 褒められることの重なるバッグは この写真にある

この変哲のないバッグ。黒く 中身まるみえの このバッグ。 このバッグは、なぜだか褒められる。

Arts and Science の もので 味も素っ気もない

5年くらいのもので 最近 自分の身体の一部のようになり 自分も愛着を感じるようになってきた一品。

別に褒められたくて持っているわけではないといいながらも、ちょっと ハイエンドなバッグを持っていても 褒められたことはこれまで一度もなく、そして これからもないような気がしている。

それは おそらく 上記の 愛着・・・という情熱が バッグに対してはそんな熱意が足りないからなのかもしれない。いいものなど持っていても 照れや あれだけ 投資したのに 使いにくいなあ とか どこかで けち臭いことを ネガティブに考えているからだと思う。

大体 清水の舞台から飛び降りた気持ちで求めたバッグの4つのうち3つには裏切られる。

だから バッグを求めることに対しては 至極 消極的である。

それに比べて 彼女のバッグに対する愛情とか熱意は 豊かだし おおらかだ。

経済的余裕も 関係あるといえばそうでもあるし

バッグ は 靴と比べて 慎重になり これまでの経験がいうことを効かない買い物と。

一種 ギャンブル性を持っているもの。

25パーセントしか うまく いかないものに対して どこまで 投資する価値があるのか・・・

そう いつも うじうじと捉えているから 輝かない かわいそうな 私のバッグ。