2022年 改めて思うこと

こちらを書いている者は どちらかというと服が好きなほーだと思います。

大体の服好きは いくらオンラインショッピングが主流に代ろうとしても、心通い合う相手から 袖を通すものを求めたい。と、強く願っていると思うのです。

先日、 Cariner Mikiの みきさんのところで ピンクのセーターを求めてきました。

円山にある 彼女のお店で 旬のものや柄物、そして華やかな色合いや ワンピースなどを色々とアドバイスをもらい 手に入れると、まず 間違いなく 生き生きと活躍し続けてくれる服たちなのです。

そんな彼女から、お誕生日祝いに。と、興味深い絵本と、まぁ なんとも セクシーなランジェリーをいただきました。 54歳の誕生日が とても艶やかなものに 勘違い 錯覚するほどの 素敵なものでした。

みきさん ありがとう。

これを機に ますます 身に着けるものは人から 更に申せば 好きな相手から 買い求めるスタンスを 人生の終わりころまで持ち続けたいと願うのでした。 その環境が存在し続けることを 願うばかりです。

札幌のロロピアーナさんが、今月で札幌店を閉めるとのこと。

この22年間、特別な数着しか求めることは出来なかったけれど、最後に店員さんたちにお別れ兼ねて できれば何か記念にと、年明けて足を運んでみました。

ロロさんの皆さん、本当にいい方たちだなぁと よく できた人たちだなぁと 感心することの多い方たちでした。

最後に何か 記念に求めたいのですが 本当にそうしたいのですが 残念ながら この店頭で私が 欲しいと心から思えた一品は あの紺色の変哲もない  しかし 価格が度肝を抜くような・・・ あの ジャケットしかなく。

泣く泣く お金ではなく、言葉だけ置いてくるような・・・店員さんにとっては いらないお客となりました。

でも 本当に 彼女たちから何かを求めたかった気持ちは 分かってほしいな と思います。

服は 好きな相手から買う。

そうすると 服も嬉しそう。自分も嬉しそう。

靴は 流行が出るから Updateした方がよいと、そう思っている方もいるのかな・・・

自分は 違うタイプかもしれないな・・・と シューケースをみながら思っている。

逆に、靴は 時代性を求めて買うと もろに もろに 時代遅れになってしまうものかもしれないな。と思っている派かな・・・

一足あたり結構な値段のするものだから 流行は追いかけない方が無難なもの。 それが靴なのだろうな。

流行を求めるよりも 求めるツボは 自分の好きな靴 自分が心動かされる靴。 それを 徹底して 手入れして 履いて 手入れしてを繰り返し甲斐のある一足を求めることなのかもしれない。 と 自分の手元(足元)に残ってくれている靴たちを 愛しく眺めている。気味悪いかも。

冬靴はほとんど10年選手。 茶色のひも靴と 黒のショートブーツは おそらく10年以上と 10年くらいだと思う。 右のはまだ6~7年くらいかな。 これらの靴を長持ちさせるコツは 自分で磨くことも大切でありながらも それよりも 季節が終わると ドライクリーニングのお店に靴のクリーニングに出すと、すっきりと生き返ったように戻ってくる。そして また 季節を待って履き始めるうちに 10年以上が経ってしまった。

白いレザーのウォーキングは これは まだ新しいので 靴ひもを自分で洗って(シューレースの差し込み方が不安なので 一本ずつ外して洗い、片方の見本をみながらいれるという不器用さ) 今年はシュークリームで磨いて 冬の間はお休みしてもらう。 自分の見立てでは おそらくこの靴は 自分が70代も生きていたら 履いているはずの靴である。そういうつもりで思い切って買った。

靴は面白い。 普遍性を追った方が間違えなく 長持ちするけれど あまり 優等生な トラッド一本やりなデザインも その普遍性に裏切られることもあり、流行遅れな感じにみえたりする。

買うときに 普遍性 または 流行うんぬんよりも 靴が自分を呼んでいるような 招いているような 美しいなぁ 履きたいなあ と思うものは、なぜだか 自分に寄り添ってくれる。 そして かなり長い間、側にいてくれる。

靴は 買い物の中で 一番面白いし 好きなアイテムであります。

 

食べ物と肌

シナモンロールの試作も かれこれ 5回以上というのに いまだに パンチの効いた味が見つけ出せません。

前より進歩したのは 手順くらいで あと もう一歩。

で クロックムッシュも メニューにいれてみようかと シナモンロールと同じ日に 作ってみました。

そうすると 味見もすることになります。

自分で作っておきながら そして メニューとして出そうとしているのに こんなこというのもなんですが

さすがに バターたっぷりの 粉物を 試食とはいえ 続けて食べた 翌日は 肌がどんより~~~ 表情も糖質過多といった顔になります。

普段の自分の食事は 朝 トースト バター 時にジャム そしてコーヒー に スムージー リンゴ セロリとか青物 とレモンの入ったの。

昼は 白米 野菜 タンパク質

夜は ワイン 緑のもの 赤いものや根菜 キノコ類などの野菜やミネラルもの(こぶ わかめ ひじきとか) などを、おおよそ 70パーセントめざして そこに その日のタンパク質(魚、肉 一週間に一回だけ まるっきり野菜だけの日を設けてます) を摂り。 白米 か ほか炭水化物 ちょびっと。

で ようやく 身体が楽に過ごせていることに気づかされました。

菓子パン バターたっぷりのパンやケーキは もちろん おいしいです。 ですが それは カフェとか 特別な 時間のものとしてと決め。もっと欲をいうと 甘いなら甘い! きりッとしっかりと 甘いもの ずしッとしたフルーツケーキとか いいチョコレートの入ったガトーショコラとか そういったものの方が 身体が喜ぶような気がします。

いっそのこと そういうの作りたいなと 思うくらい。

しかし 朝から ずっしり フルーツケーキは むづかしいかな。

矢沢永吉

今朝、矢沢永吉さんの 時間よ止まれ を何故だか 聴いてました。

夏になると まったく音なしで、自然の音を楽しむか、または日本の歌詞のついた音楽、邦楽というの?を聴きたくなります。

やはり 年代的に山下達郎とか杏里、すごく稀にサザン などなど レコードといい音響のセットがあればなぁと思いながら Youtubeで流して 聴いてます。

と、いまお願いしている美容室さんには ものすごく音響にこだわったサウンドコーナーがあり、店主自ら流す音楽をセレクトしてかけているそうで。 昨日、その美容室でうとうとしながら髪をしてもらっている時に、 上記の 時間よ止まれ が流れてきたのです。

これまで、矢沢永吉という人にあまり興味がなかったのですが。 昨日耳にした音に すっかり魅了されました。

罪なやつさ Ah Pacific 碧く燃える海

 どうやら おれの負けだぜ

 まぶた 閉じよう

 夏の日の恋なんて 幻と笑いながら

 この女(ヒト)に賭ける 

それまで 舟をこぎながら眠りこけていたのが バッ! と起き上がり 「あら・・・いい曲ね。これって 矢沢永吉だ」

「そうです・・・ N(こちらの店主)が 矢沢永吉のファンなんで ついつい・・かかってしまいますが 大丈夫ですか?」と担当のお兄さんが 自嘲気味に。

「いや・・・ 山下達郎もいいけど 永ちゃんもいいね。 へぇ・・・ いい音響のもので聴くと こうも違うんだぁ」と感心しながら聴いていました。

汗をかいたグラスの冷えたジンより

 光る肌の香りが おれを酔わせる

 幻でかまわない

 時間よ 止まれ

 生命の めまいの中で

いやぁ・・・ 私たちの世代で 矢沢永吉ファンと公言するようなタイプの人と あえてあまり関わりないように生きてきたような自分ですが

ここにきて、最近 高い確率で、好きな歌手は ・・・矢沢永吉・・・です。 と恥ずかしそうに言うような人と会うことがある。

・・・で その方たちは  皆、ある意味 永ちゃん流に言うと。 成り上がり その仕事の分野で成功された方たちだった。

高校を卒業し 美容の世界で、建設の世界で、飲食の世界で、また 違う分野で・・・ 医療関係の分別に特化した廃棄物、いわゆるゴミを扱う会社で大成功されたような人もいる。

それぞれの世界で、矢沢永吉に大きく影響を受けながら 切磋琢磨と成り上がろう(言葉が適切でないような気もするが・・・永ちゃんの言うところの)と懸命に生きてきた 50代から60代たち。

その人たちに 絶対に共通していることは、 独特の美意識が 通常の人より高いことにあるように思えた。

いま この 矢沢永吉の 時間よ止まれ の歌詞を口ずさみながら

なるほどなぁ・・・ と 思った。

心からの 矢沢永吉ファンは 若い頃から 彼の歌詞から 歌から 彼の立ち居振る舞いの魅せ方から

 成りあがるには 美意識を持て

のメッセージを しっかりとキャッチ出来ていた人が  成り上がれた。

教養が邪魔してしまうような人からみると 少し 恥ずかしくなるような

いい車を転がして 分かりやすいほど時代にそった豪邸に いい音 いい服 いい酒 への追及へも 彼らの美意識が働いてのことなのだ。と

それは なかなか のことだよなぁ・・・みあげたことだよ。自力で稼ぎあげてみたのだから・・・誰に遠慮もいらない、とことんまで成り上がり趣味でいくべきだ。と 成り上がり趣味と呼ぶには あまりにも趣味がよいけれど。

 

歌詞を聴き続ける

幻で かまわない

時間よ 止まれ

生命の めまいの中で

 

罪なやつさ Ah Pacific

都会の匂いを 忘れかけた このおれ

ただの男さ

思い出になる恋と 西風が笑うけれど

この女(ヒト)に賭ける

聞き惚れていると、 母からの電話が侵入してくる。

しぶしぶ出ると・・・ 大声で電話の向こうから「あんた 今朝 スイカ 市場から買ってくるって言ってたわよね!」

・・・と 叫ぶ声が。

ちょっと・・・私の世界を壊さないでよ と思いながら 「うん そのつもり・・」と 早々と 電話を切ろうとすると

「その時にさ なすびもついでに買ってきて な・す・び!」 と焦って付け加えている声を 遠くに聞きながら

・・・ 美意識って ・・・ 本当に 本当に大切なのよね・・・ ほんっと・・・と 頭をふっていました。

銀行での後ろ姿

夏がくる度に 心を鬼にして捨てなければいけないもの。 それはくたびれる直前の下着。と・・・踏ん張る自分がいる。

色々と、取っておきたい理由はある。 それなりに高かった。とか、あの 憧れて買った ワンセット。とか・・・ そりゃ 色々とある。

しかし、くたびれた下着は 心を鬼にして捨てねば 他の多くを失うことになるかも・・・なのだ。

時に、銀行のATMで 夏服からはみ出して見えてしまう ブラのストラップがみえている人がいる。 それが みせられるくらいの可愛い素材だったり ファッションの一部になっているのなら みていて心地は良いが 大概に 色が退化しているとか ゴムがくたっとへたってしまっているとか。 そういうような人が多いような気がする。

こりゃ・・・自分も気を付けなければならないなぁ・・・。と 自省の思いを持ちながら 後ろにいてしまう私。 そんな私も ジーンズのベルトの部分が なんと破れていて その隙間から 下着がみえているといった人であったりする。後ろの人は みっともないなぁ この人 と きっと眺めていたのだろうな・・・と トホホと苦笑い。

銀行ATMでの後ろ姿の自分。を 毎日意識して 一日を送ったのなら 相当 意識あがるだろう。と 思いながらも

この銀行のATMで 平常であり、後ろ姿にも自信をもって 毎日の生活にも気を配り という雰囲気、存在感を示される人は 相当毎日を充実して 申し分なく幸せな人なんだろう。と そんな後ろ姿を魅せる人が時折いる。

後ろ姿は けっこう 多くを語ってくる。 それが 通帳やお金の扱いのある 銀行ATMだと尚更なようである。