Black Monday と Olympics と 暑(熱)い夏

  Olympics 男子バレー 熱い戦いでしたぁ・・・
スポーツ音痴には こんな戦いが出来る人たちというだけで ただただ リスペクトの眼差しを越えて 同じ人間とは思えないような すばらしい… と感動してました。
 このオリンピックで初めて、観戦し続けた試合の一つ。日本 VS イタリア戦。
 
 試合の真っ最中にも関わらず細切れにニュースが挟まれて、その内容は 株の変動、好ましくない方向への動きに対する動揺を知らせるもので…Black Monday を越える と 恐怖心を煽りたて、短い情報の中で精一杯の警笛を鳴らす。

 バレーボールどころでなくさせるくらいの勢いのあるその報道は、あまりソチラ系のものに重きを置いていない自分は集中してバレーを観れるが、これは試合中継の板挟みになっている人も多いのだろうな。と、想像が出来るものでした。

 オリンピックなのか 株の暴落なのか どちらかにニュースは統一できないものか…と思っても そうはいかないのがこの世の動き… 投資信託系ならそんなに打撃はないのだろうけれど、株の一本釣りの方は一体どういう具合なのだろうか…
 Aさんに聞いてみたいが 聞いてもよいものだろうか…とか スポーツ観戦も落ち着いて出来なくさせる その方がよほどBlack Monday の印象強いわ…と どっさりと疲れた感の残る一日に それこそ変動してしまいました…もう…

 
 

手紙には切手、借金は小さい額からコツコツと。

「Hさんから入金があったわ…」

銀行で記帳をしてくることを頼まれ、そのまま中も見ずに通帳を渡した私に、母はポツリと言った。

え?Hさんって あの お父さんが亡くなった後に、あたしが手紙を送った人?

「そう。全額返金してきた」

「へええ・・・そう・・それはそれは・・驚いた」と、信じられないでいる私は通帳を覗き込んだ。

本当だ。途中で途切れていた入金の残高、数万数千円が入金されている。

あれは、父が亡くなって一年か二年後くらいだっただろうか。いまから六年程前。

父の死後、借用書のコピーが数枚出てきたことは知っていた。おかげさまで借りた方ではなく 貸した方という立場での借用書だった。

母が苦々しく、20年以上経っているというのに一銭たりとも返そうとする姿勢をみせたことのないある2枚の紙をみつめながら、「お父さんがいるから、あまり強いことはこの親戚のFさんには言えなかったけれど、それにしてもだらしない。もう25年も前の250万円の借入なら、毎月1万円ずつ返していたら とっくに返済が終わっているのに。それにこのHなんか たったの9万円だよ。それをはなから返そうとも思わないんだから…ホントにねぇ」

「お父さんの優しさは、相手をダメにしてしまうところがあったもんね…」と 父の優しさに甘やかされて育った自分など、その最たるものだ。と自嘲を込めて言う。

「お父さんは、きっとあげるつもりで貸したんでしょ…。仕方がないよ」と 私はそれから、そのことは頭になかった。

が、母の会話の中に 時々、その2名のことは出てくることを知った私は、ある日、こう言った。

「お母さんさ、文句を言ってるくらいなら、行動を起こしなさい。まず書面で文書送るの。そういう場合は内容証明で」とはっきりと、言った。

「そんなあたし、そんなの得手でないから出来ないわよ。知らないわよ。そんな文書どうやって書けっていうのよ」

普段は強気な態度をみせていても、虎の威をかる狐 と 父の威を借りてえらそうにしていた母も、そんな、お金の話を自らするなどという、ハシタナイこと、自分ではできないと思ってしまう古風なシニアの一人なのだ。

思い立ったらすぐ行動。早速 それらしき文書をインターネットで調べて用意し、中央郵便局から内容証明郵便で借用書のコピーをつけて、相手の方に送らせていただいた。

すると 驚くことに、その二人の人たちから同じくらいに連絡があり、すぐには全額返せないが、毎月5000円ずつ返してゆく。との意思表示があった。

Hさんの9万円は毎月5000円ずつで完済の見通しはつくというものだが

Fさんの250万円は毎月5000円 しかも齢80は超えているというから 一体どうなるのかなぁ・・・と不思議に思いながらも でも その誠意だけでも 天国に行った父は ありがたくいただくのだろうな。と

なぜ この世に残ったあなたの娘は、こんなことをしてるんでしょうか。ハッキリ言って借金取りの真似をしている娘をみて、あなたはどう思われますか?

・・・しかし、誰にも甘い あなたでしたが、ひとつだけ、実の娘に厳しくしてくれたことがありました。

借りたお金は、必ず小額からコツコツ返すこと。それが人からお金を借りるときの心得だよ。と、母をつかって 電話での催促と娘の私の借金には厳しかったですね。あげたものはあげたもの。貸したものは貸したもの。ほんとうにそれを叩き込んでくれたおかげで、なんとか自分も いま世の中を騒がせている政治家のような恥ずかしい思いをせずに、世の中に飽きられずになんとかやっています。しかし、実の子には厳しかったことも他人様には甘く、それはお父さん、その人をダメにしてしまうことに繋がるのかもしれんのですよ。…っうことで。どうかご理解ください。

と、母の口座に毎月それなりに出だしは順調だった5000円もHさんの場合、とぎれとぎれとなり、9万円のうち折り返し地点の4万5千円で入金がストップしたらしく、母が また 私にぼやいた。

それに対し、私はこう言った。「お母さん、文句をぶつぶつ言うくらいなら、電話賃かけて私が室蘭まで電話してあげようか?」と、電話をそのご本人宅にした。

と、ここで、なぜにH氏が父からそのお金を借りていたかの説明をさせていただきますが

父の営んでいたお店の社員さんだったそのHさんは、父母の仲人のもと結婚式をした。

お嫁さんの父親は室蘭でも橋の建設などを手掛けるときのとび職を扱う会社を経営しているような人で、やくざの隣のような貫禄のような人だったけれど、男気のあるお父さんだったという。そのお父さんは最初から、そのHさんと娘の結婚は反対だった。が、二人は結婚し、子供たちは次々と生まれ、きっと途中にもそういう傾向があったのだと思うのだけれど、3人目の子供がお腹にいるときにHさんの浮気が発覚し、怒り狂ったそのお父さんは、婿養子に迎えていたHさんと娘を離婚させた。

で たった9万円の養育費が払えないとかで すったもんだをしていた際に、仲人であった父が仲裁にはいり。その9万円を貸したかたちとなったのが その9万だ。というのだ。給与天引きでもすれば済むだけの話なのに、父の美学がそれをさせなかったから、そのままの状態で残っているというものだった。

養育費ってそんなもんなの?3人の子供への養育費?と思いながら 私は番号を押す。

「はい、もしもし」と電話口に出た声は、中学校時代の同級生Mきだった。と、いうのはH氏は離婚後に なんと自分と中学校が一緒だったMきと再婚し、また数人子供をもうけている。というのだ。

「あ、Mっき?久しぶり、わたし ***です」と名乗ると。

「ああ、A子?久しぶり、なしたの?」と 変わらないちょっとハスキーがかった鼻に抜ける声。

この本題に直行できるあたりが、さすが室蘭のもと不良少女だけある。もと不良少女同士の再会がまさかこのような形になるとは…、なんというか。寂しいけれど 仕方がない。

「本当はご主人と話したいのだけれど、出来る?」と私。 いないというから、じゃあ。と切り出す。

「きっとご存じだと思うけれど、ご主人が返済途中の件のことで今日はお電話差し上げたの」

「ああ、あれのこと?」

「あれのことって…どういう風にMっきは聞いてるの?」と 筋金入りのヤンキーでならした彼女の口調に、今一歩 筋金入りの不良になり切れなかった私はびびる。

「あたしはさぁ、あんたの父さんが勝手にしたことだってHからは聞いてるよ。Hは本当はそんなお金持つ気持ちは一切なかったみたいだけど、あんたの父さんがそん時に、それじゃあダメだからとかなんとか余計なこと言って立て替えてくれた。って、余計なことは余計なことなんだわ。それにいま、うちはそんなお金返せるだけの余裕ないし。あんたにそんなこと言っても分かんないだろうけどさ」

…なぜか借金取りが啖呵を切られてまくしたてられている。普通はこれは逆じゃないのか…?まくしたてるのは私の方であるべきなのじゃないか? と 昔のMっきを思い出しながら私はその電話口の声を聞いていた。

私、彼女のこと好きだったな。彼女はどこかあったかいところあったのを憶えている。お母さんは、Y商店のTちゃんとか頭のいい優等生たちが大好きだったけれど、少し意地悪なところのあるTちゃんなんかよりずっとMっきの方が面白かったし、わかりやすいはっきりとしたところが好きだった。まぁ…それがTちゃんとの頭の構造が違う者同士の共通点だったと思う。

…が、なにもあれから数十年。そんなややこしく情けない男と結婚して9万円の返済に困るような所帯を築くためにあんた、ヤンキー人生歩んできたわけじゃないっしょ。とは、言えるはずもなく

「そういう風に、Hさんからは聞いてるの?」と、抑制しながら 私は聞く。

「そうだね」

「そうか…、娘のあたしがしゃしゃり出ていくような話ではないとは思ったのだけれど、20年近く前の借用書が出てきて、それをそのままにしておくわけには、私も心情的に出来なかったの。で、かくかくしかじかという文面で返済のお願いはご主人にさせていただいた。けど、その場で現に起こったお話は、父亡きいまとなってはHさんご本人と、元奥さんのご両親だけが知っている話だし、当のHさんが、本来は借りるべきお金ではなかったのに、仕方なく借りさせられて、借用書まで書かされた。と、思っているのなら、もう これは仕方ないわね。これは価値観は平行線でしかないもの。それは理解できるわ。HさんがMっきにそのようにお話されていることを、それを本当にご本人が思っているのならね。それでも、一応***の娘から電話があったことは伝えて」

「それは約束できないわ」

とガチャリと電話が切られる。

で、私は 母に 諦めた方がいいと伝えた。

私は、父の長所が不器用なくらいの愚直さになることも、知っている。

そこでそんなことをしなくても…というようなことまで背負いこみ、愚直さも貫き通せば律義さになる。というように生きてきた姿に反発したこともある。それは彼の器にはあっているかもしれないが押し付けられた方としてはたまったものではない。と、Hさんがそのように感じたことは嘘ではないのかもしれない。…が、我が子への養育費。しかも3人分で9万。これはどういう値の額なのか分からないが、まぁ、もう知らん。放っておけ。

と、すっかりと忘れて4年以上が過ぎて、何を思うところがあったのか

残額全額を振り込まれてきた。

驚いた。

きっとこの数年間、彼は 妻に伝えていることと、実際に起こったこととの間での違いの中で、それなりに考えることはあったのだろう。と、私はそういう風に思うことにした。

私は仏壇にむかい、お父さん、お父さんの優しさやお父さん流、余計な律義さはね、人をダメにすることがあったんだよ。でも、Hさん、このようにされたよ。と報告した。

いま、世間で騒がれている元財務副大臣より よほど いけてるじゃないかHさん。Mっき、あんたの旦那さんちゃんと落とし前つけたよ。よかったね。 と、Mっきのことを思った。

 

 

 

女とは… と、冬囲いの男結びをしながら考えた。

昨日、最後のチャンスと思ったので、庭の冬囲いを雨が降り出す前に始めた。

この庭仕事に使う結び方をなぜに男結びというのだろうか…とつらつらと

寝ないで読んでしまった 林真理子さんの フェバリット・ワン という本を思い出しながら考えていた。

林真理子さんの本は 週刊誌、ゴシップ記事を200枚レベル読むような感覚で一気に読めてしまうのが脱帽物で、なんだかんだと言われながらも、大した作家さんだと思う。

このフェバリット・ワン、書いたご本人も、この本は現代版、野心のすすめです。と、おっしゃっている通り、野心ギラギラではないふんわりとした23歳から25歳になってゆく女の子が、すごい美人でもないけれど ちょっと人から振り向かれるくらいの20代の多くが日常の中で出会うであろう心ときめくことや、甘い誘惑、そしてそれらを甘受することで伴う心の痛みたちにもメゲズ、その都度起こる状況に流されながらも自分の野心、本人の自覚に欠ける欲望の中で毎日を過ごしているというストーリー。

ある日、小さな会社で服飾デザイナーをしているその主人公は会社のスポンサーにこう誘われる。

「金太郎飴みたいな服しかつくらない最近の服の中でも、君の服は金太郎飴の中でもちょっと違う。君だけのクセがある。・・・中略・・・実を言うとね、ちょっとツテがあるんで、うちの服をあの世界的に有名な倉吉潤に見せたんだよ」

主人公は驚く

・・・略 潤さん、うちの商品、パソコンで一点一点見ていてすごくつまらなそうだったけど、作品一点だけ、これ面白いね、って言ったのが君がデザインしたワンピだったんだ。・・・

と会話は続き、彼女の小さな会社のそのスポンサー遠山は、なんとことあろうことか…そのちょっと光る才能があるかもしれないデザイナー夏帆に、自分の金持ちの知り合いにパトロンになってもらわないか?と彼女に誘う。・・・フランス語ならパトロン。ひと昔前なら旦那。いまでいうならなんなのだろう愛人?いや、若さやキレイさが換金される、援助なんとかのパパ?とでも呼ぶのだろうか。

で・・・結局、彼女は その金持ちの40代の妻子持ちからの誘いを頭の中では色々なことを冷静に張り巡らせながらも受けてゆく。もちろん彼女には売れないお笑い芸人の彼氏がいるので、彼女の思い描いたお気に入りの筋書きは、ギリギリのところで夏帆は、その売れないお笑い芸人への深い愛に気づき踏みとどまる。ということのつもりで会ったはずなのだけれど、最初は美味しい食事に誘ってくれる人と自分に言い聞かせ。そのうち高級な服を与えてくれるようになるとデザインの勉強のため。になってゆく。現実に彼女は数十万円の衣服の感触をしっかりと楽しみ、そしてそれをほどいて縫製を確かめ、形と仕掛けを、スケッチブックに写し取っていき。あまりの面白さに、夜明けまでずっと服と格闘してしまった。という件があった。

最終的には奥さんの知るところとなり、挙句に会社にもそれが知れ渡り、彼女は会社を辞めざる負えなくなった。知れた理由は、会社のスポンサーでありその金持ちオジサンを夏帆に自分の勉強のためだからと紹介した遠山が、酔った席で、自分が夏帆に あの子は見所があるから金持ちのスポンサーをつけてやった。と社員の前で言ったのだとか。ありそうな話である。

でも このありそうな話しの中で ありそな、なさそうな話は、

その金持ちおじさんは、自ら慰謝料を夏帆に支払うと申し出てきたのだ。

その額も300万円。

当然、自分では普通の女の子と信じている彼女は怯む。・・・が、どうしてもっと潔癖になれないのだろうかと自分に言い訳しながらも その流れに逆らうことなく 銀行口座に振り込まれたその額を受け取る形となる。

…、と、ここまで荒筋をなぞってみると、実にいやーな女の子だなと大体の人は思うはず。でも、そういう女の子っているよなぁ 実際に・・・。いや そして 自分だってチャンスがあったらもしかしたら彼女のような生き方をしていたのかも、しれない。と、思わせるような主人公。その主人公は、なんとその300万円と自分のなけなしの貯蓄や諸々でかき集めた資本金400万円で、ネットビジネスを始める決意をする。

もちろん服飾のネットでの販売に特化したビジネスを、ガッツと心意気と苦労を重ねて小さな成功を積み上げて次の世界へと上がってゆく。

最後に、あるどんでん返しがあり。その箇所のメッセージが自分では理解をまだ出来ていないのですが。

林真理子さんという作家がこの本の中に落とし込んだこの展開が、妙に私の心に残ってしまったのです。

あの人気シリーズ 最高のオバハン。の中でも 主人公みどりでなくてハルコさんは、若い友人いづみが、不倫相手の男に貸した300万円を、街金を借りてでも、期日までにお金を返すようにという手紙を書けと指示する。そして期日に間に合わないようであれば、会社なり家族に知らせる。と 事務的な感情の入らない文章を送りなさいと。 そしていづみがそれに従った結果、その不倫相手はなんと違う相手とも浮気をしており、その違う相手は質が悪く、チンピラまがいの男を使い、ゆすられていたのだとか。ついにその不倫相手は実の奥さんに泣きつき全てを告白し、いづみのことは 全てを告白したはずの奥さんに、彼女が不倫相手の源とは言えず、お金を貸してくれたある女性。となってしまい。奥さんはなんと利息20万円をつけていづみに謝罪しながらお金を返しに来たという展開。その時に ハルコさんはこんなようなことを言い放つ。

「いい?あなたは本来なら夫の浮気相手として、なじられても仕方のない立場の女なのよ。けれど 今回はお金を貸した立場ということで奥さんが下手に出てきてくれた。しかもお詫びと利息をつけてよ。お金というものはこのように使いたいものね」と。

私は うなった・・・ すごいな 林真理子って。と。

前回 書いた 自分の原則を持っている人っていうのがいる。と、人が見ていても 見ていなくても 自分のそれに従い 生きている人からは すごく教えられた。ということは 正しい。天網恢恢疎にして漏らさず。は、正しいとは思う。が、正しいと思ってのみ生きてきた人が 魅力的な人か・・・といえばどうも違うような気もする自分も、天の網をみながら 昨日の朝は空模様をみながら 男結びを木にしていた。

またもや身内の話になってしまうけれど、お金を使うことが怖くて怖くて、銀行口座から0の数が無くなることを最大の恐怖としたままに90歳になってしまった叔母がいる。

ある時、それを謗る母に、「仕方がないよ。おばさんはさ働いたこともなく、ただただ、愛人宅に行ったままの夫のくれるお金の中から少しずつ少しずつ貯金して、そしてお金を貯めていったんだもの。それをお金の遣い方がキレっないのよねぇ・・・、どうして自分のここぞっていうときに大きく決断できないんだろう?ってったって 無理だよ。そういう訓練をしてこなかったんだから」と、私は言ったことがある。

…そうだ。お金を使う訓練。お金を生かす訓練は、これは これは 本当に残念ながら年をいってからではなかなか間に合わないのかもしれない。

20代の色々なことに傷ついたりしても立ち直れるような時から、もうその訓練の機会はあちこちに散りばめられ用意されている。

 

 

ミートソース

日曜日か月曜日は、時間のかかる料理が出来るので嬉しいです。

でも、夏の火を使う料理は、ちょっとしんどいですね。

そのうち低温調理方法を夏に取り入れようかと思案中です。

とはいえ、昨夜はミートソースを作りました。

我家のミートソースは塊肉を利用します。

余談ですが、ここ最近、スーパーの棚から豚の塊肉が消えたことお気づきの方いますか?

昨日、ある方よりその理由を教えてもらいました。

豚肉業界にも戦争が影響し、輸入物が入ってこないそうです。それでも1億単位の人口の豚肉好きの口を養うためには少ないパイを皆で分け合わなければなりません。

豚肉といえば九州か北海道。九州よりも北海道の肉は価格がお財布にやさしく。そこで業者は大量に買い占めていきます。それを薄く切ったものを冷凍し、スーパーに並べ消費者に提供しているのだそうです。

スーパーは、お肉のルートの安定していないことが原因だとか。

もし、塊肉を大きくゲットしたい方は、札幌の方なら中央市場の大金畜産店がお勧めです。

さてさて

ミートソースの作り方、こちらに簡単ですが記しておきます。

あまり暑くない時にお試しください。

豚肉肩ロースでも ロースでもどちらでも 塊肉を600グラムくらい。

(3等分くらいに切って塩をもみこんで 一晩はラップにきっちりと包み、冷蔵)

当日は 水分が出ているので キッチンペーパーでふき取り 1センチくらい角に切る。

玉ねぎ 2個くらい

ニンジン1本

セロリ1本

ニンニク2~3カケ

(全てみじん切り)

トマト缶2缶。

バター10グラム

赤ワイン 白ワイン 各200CC 程

水 500CC くらい

ローレル 2枚

まず みじん切りにした野菜群を 厚手の鍋に こめ油でもオリーブ油でも なんでもよいので じっくりと炒める。時間にすると40分くらいかな。

そこに トマト缶を入れて 10分から20分くらい煮込んでゆく。

その間に フライパンにバターを入れて 肉を焼き付けるように 木べらで押しながら ジュゥワー--ッと焼いてゆきます。 そこに白ワイン 赤ワインを入れて 煮詰めてゆきます

その半分くらいに煮詰まった肉を汁ごと 野菜群とトマトの煮込んでいる厚手の鍋に入れて

あとは 水3カップくらいとローリエを入れて 2時間くらい煮込んでゆく。そこで塩、コショウと味付けを ちょこちょことしながら。という感じです。

もうこの味を知ってしまったら、ひき肉から作るミートソースには戻れなくなり。塊肉が市場から消えてしまっては、困るのです。

どうか塊肉の買える世の中であって欲しいと願います。

 

 

 

 

日曜日のジュェリー売場

日曜日のジュェリー売場には若いカップルがおりますね。 特に4℃あたりの売場にはこの間まで中学生だったようなまだニキビのありそうな男の子・・・きっと23歳くらいなのでしょうが、初めて彼女へジュェリーを買ってあげる照れと、とまどいと、そしてしっかりとしてゆくぞという自覚とを一身に着ようとしている…そんな男の子の隣には、首をかしげて、男の子よりジュエリーをプレゼントしてもらえる幸せに輝いている女の子がいます。

いいねぇ・・・ と 私は、股上のマチの深いパンストを店員さんに探してもらっている母を待ちながら、若いカップルを眺めています。

私にもあんな時があったのだろうか。どうだったのだろうか・・・それにしてもいいなぁ若いって。と股上の深いパンストじゃなきゃお腹がおさまらなくって、わたしなど困るのよ。と大声でレジでの支払いを終わった母と歩きながら私はこう呟きました。

「おかあさんさぁ・・・ 自分で100万以上の宝石買える人とかさ、おかあさんみたいにさ夫がうるさい人でなかったから、さらえ構わず図々しく自分で好きなもの買えるような女とだよ・・・ 彼氏や夫にかわいい表情でおねだりしてジュェリーや宝石なんかを買ってもらう、そんなひと苦労の振る舞いが必要な人と・・・どちらが いいんだろうねぇ・・・ わたしは なんか後者のような気がするの」

「え? そんなの決まってるじゃない。自分で自分の好きな宝石買える女の方がいいに決まっているわよ」

と81歳の人は言うのですが。

どうでしょ。 どうなんだろう。

外商担当の人が出てきて、翡翠、エメラルド、ダイヤと一人で選んでいる女より

私は彼氏が一生懸命バイトで貯めたお金で数万円のジュェリーを買ってくれるという過程がなんとも意味のあるもののように思えたり。結婚しても理想は、理想は、何かの思い出に、その時々の記念にと、ポーズだけでも夫に買ってもらったという感じのメモリーが欲しいではないか。自分で自分にご褒美にも節目の記念が必要なように。

宝石、ジュェリーには思い出。記念。なにか思い出が必要な気がするの。

ただ、自分が求める思い出と、夫のそれとは、必ずひとつ桁が違うのが問題なわけですが。

庭師さん

先日、庭の樹木を移転先に移植しました。

その際に庭師さんたちのお仕事ぶりをみて、えらく感動しました。

カッコいいです。 力仕事、繊細な配慮、ダイナミックな動きと樹木に対する優しさ。プロ意識の高さ。

世の中にはたくさんのお仕事があることが大人になるにつれてわかってきます。

たくさんの仕事、仕事に誇りをもって働く方たち。

話術に自信のある人。体力に自信のある人。集中力に自信のある人。感覚、感性、もろもろの能力でそれぞれが本当にそれぞれが生活を立てられる社会が健康な社会なんだと思います。

こんな風にぼんやりと生きていても長く生きてると・・・ 男たちの社会、いえ人間社会は私の知っている小さな世界なので大きな官僚、上層社会は知りませんが、やはり人間は繋がりの中でしか食い扶持を生み出すことは出来ないのだ。ということです。

庭師さんたちに声をかけ、予定を組み配置やデザインなどを考える人は色々な折衝を行っていかなければなりません。その窓口には折衝力もまた、感じの良さも求められ、そういった人間のいざこざ、面倒なトラブルも請け合う。それが仕事であり、庭師さんたちは一切の人間のあいだのことを気にせず仕事に没頭できる。

その歯車がうまくいくと、その依頼者からのみではなく、その現場にいた誰か(例えば、新築家屋に移植であればその工事現場の人など)にも好印象が残り、次の仕事につながる。

だから窓口はあくまでも感じよい方が良いわけで。かといって庭師さんたちはにこにこしていても力仕事に精を出しているのだから愛想振りまくわけにもいかない。

大きなお金の動くところへの嗅覚が発達している人は、いつのまにかそういった人脈の中に加わり札幌の土地開発のようなことに関わってられるし。

人にはそれぞれの自分に合う型でお金を得てゆくことしかできないのだろうな・・・とつくづく思います。

それでよいのだと思います。 大きなお金の動く様が好きな人は、違法でない限り、自分の好みに合ったお金儲けをすることが良いはずで。でも、それが皆が皆に当てはまるはずはないのです。

自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる人は、実に輝いていますね。

わたしは はたと・・・思いました。私に出来ることはなんだろうか・・・。

英語をもっと掘り下げて、プロ意識をもって取り組まないとと 省みました。

 

 

バッグについて考えてみた。

女性が 高級バッグを持っていて 誰かに とても素敵ね 似合っていますね。 と 言われたら

素直に受け取ってよいと思う。

似合っていなかったら あまり 褒められることのない アイテム、それは バッグだと思うのですよ。

知り合いの方で、ロエベ シャネル セリーヌ はたまた エルメスといった バッグたちが 嫌味なく とても似合う人がいる。なぜだろう その人が持つと そういったバッグたちが 普通の人が持つよりもとても素直に光を放ち、側にいる私などが 素敵だなぁ と口からポロリと出てしまう。

バッグだけが悪目立ちすることなく その人も輝いて映るから、その言葉は出てくるのですよ。

私は ある時 「なぜか ***さんが 持つと CHANEL と 大きな字で書いた バッグも 素敵にみえる。普通そういう人は滅多にいないと思う」 と スパッと言ったのです。

「あたし バッグがすごく 好きなのよ~」 と 笑って 嬉しそうに言う彼女を見て

それが 絶対の理由なんだ。と 感心しました。

これは 皆さんに 信じてもらいたいのですが 自分が素敵というときは 心からそう思っているときのみです。

それも きっと 彼女に伝わったのだと思います。 色々な話をしてくれて 彼女のバッグ熱がすごく伝わってきました。

はた・・・ と そうか・・・ と自分が持っていて 褒められることの重なるバッグは この写真にある

この変哲のないバッグ。黒く 中身まるみえの このバッグ。 このバッグは、なぜだか褒められる。

Arts and Science の もので 味も素っ気もない

5年くらいのもので 最近 自分の身体の一部のようになり 自分も愛着を感じるようになってきた一品。

別に褒められたくて持っているわけではないといいながらも、ちょっと ハイエンドなバッグを持っていても 褒められたことはこれまで一度もなく、そして これからもないような気がしている。

それは おそらく 上記の 愛着・・・という情熱が バッグに対してはそんな熱意が足りないからなのかもしれない。いいものなど持っていても 照れや あれだけ 投資したのに 使いにくいなあ とか どこかで けち臭いことを ネガティブに考えているからだと思う。

大体 清水の舞台から飛び降りた気持ちで求めたバッグの4つのうち3つには裏切られる。

だから バッグを求めることに対しては 至極 消極的である。

それに比べて 彼女のバッグに対する愛情とか熱意は 豊かだし おおらかだ。

経済的余裕も 関係あるといえばそうでもあるし

バッグ は 靴と比べて 慎重になり これまでの経験がいうことを効かない買い物と。

一種 ギャンブル性を持っているもの。

25パーセントしか うまく いかないものに対して どこまで 投資する価値があるのか・・・

そう いつも うじうじと捉えているから 輝かない かわいそうな 私のバッグ。

靴は 流行が出るから Updateした方がよいと、そう思っている方もいるのかな・・・

自分は 違うタイプかもしれないな・・・と シューケースをみながら思っている。

逆に、靴は 時代性を求めて買うと もろに もろに 時代遅れになってしまうものかもしれないな。と思っている派かな・・・

一足あたり結構な値段のするものだから 流行は追いかけない方が無難なもの。 それが靴なのだろうな。

流行を求めるよりも 求めるツボは 自分の好きな靴 自分が心動かされる靴。 それを 徹底して 手入れして 履いて 手入れしてを繰り返し甲斐のある一足を求めることなのかもしれない。 と 自分の手元(足元)に残ってくれている靴たちを 愛しく眺めている。気味悪いかも。

冬靴はほとんど10年選手。 茶色のひも靴と 黒のショートブーツは おそらく10年以上と 10年くらいだと思う。 右のはまだ6~7年くらいかな。 これらの靴を長持ちさせるコツは 自分で磨くことも大切でありながらも それよりも 季節が終わると ドライクリーニングのお店に靴のクリーニングに出すと、すっきりと生き返ったように戻ってくる。そして また 季節を待って履き始めるうちに 10年以上が経ってしまった。

白いレザーのウォーキングは これは まだ新しいので 靴ひもを自分で洗って(シューレースの差し込み方が不安なので 一本ずつ外して洗い、片方の見本をみながらいれるという不器用さ) 今年はシュークリームで磨いて 冬の間はお休みしてもらう。 自分の見立てでは おそらくこの靴は 自分が70代も生きていたら 履いているはずの靴である。そういうつもりで思い切って買った。

靴は面白い。 普遍性を追った方が間違えなく 長持ちするけれど あまり 優等生な トラッド一本やりなデザインも その普遍性に裏切られることもあり、流行遅れな感じにみえたりする。

買うときに 普遍性 または 流行うんぬんよりも 靴が自分を呼んでいるような 招いているような 美しいなぁ 履きたいなあ と思うものは、なぜだか 自分に寄り添ってくれる。 そして かなり長い間、側にいてくれる。

靴は 買い物の中で 一番面白いし 好きなアイテムであります。

 

洗濯機

財務省事務次官の矢野さんという人が「このままでは国家財政は破綻する」と ついに言われた。

ついに 口に出して 言ってくれる人がいたか・・・ と このままでは 日本はあのタイタニック号のように氷山に向かって突き進んでいるとまで。

誰か はっきり言ってくれないと 国がどうにかしてくれると思うようになっては いかんのよ・・・と こんな 算数のできない私でさえも 危機感を感じているのだから 相当 相当な事態に違いないと思う。

言葉をかえれば 言葉をもっと直球にすると もっと 私たちは 自分の生活レベルと向き合わなければならん と あの財務省事務官は言われたんだろう・・・。

自分を反省する こととして、最近 この夏、あの高級電化製品 ミーレの商品が 最大20パーセントOFFになるという 手紙がある代理店から届いた。 なぜ 私の手元にそんなものがやってきたかというと、私はある時期 すごい手荒れに苦しんでいた。 それをみていて 夫と夫の母が 「食器洗浄機を買いなさい」と 夫の母親が少しお金を出してくれ合わせたお金で ミーレの食器洗浄機を導入した。 それはそれは 画期的な投資で 自分の手荒れは改善し 苦しみから解放された。 それは 食器洗い機のおかげのみではなく、手荒れの原因となるような強い洗剤はいっさいやめて、クリーナーは ホワイトビネガーとアロマオイル そして水という手作りのものにかえたのだ。 落ちない汚れはメラミン 激落ちくんで ちょちょっと落とすようにして ビネガーで洗浄 肌にもやさしい。という具合のものだ。・・・ あ・・・ 話が脱線してしまいました。そう なぜ 反省しているかというと

その20パーセントディスカウント のお知らせをみながら 憧れの ミーレの洗濯機も欲しい・・・・と むくむくと真剣に思い始めたのだ。 色々とネットで調べ始めたら 仕上がりの高級感とか そんな声が目につき始める。ミーレの洗濯機にミーレで販売している 香りのよい洗濯洗剤 それと合わせたら 白いものは白く 素材感はしっかりと保護され仕上がるのではないかと そして なぜだか高級感あふれる暮らしが約束されているように思い描く。 あの 経済学者のいうところの Veblen goods

それを使うと自分がワンランクもツーランクもあがると信じ込ませるような 一品。真剣に20パーセントオフになった価格を計算し始める。それでも 40万近くする。40万近くするような洗濯機って すごいが それを自分があと 20年以上生きると仮定してなどと いま買うべきなのじゃないか? と ああ まずい まずいぞ 視野の中に そのミーレの洗練された洗濯機しかみえなくなっている。

・・・と、あれやこれやと考えていると お隣のおばあちゃまが おしんこ巻きとおいなりさん作ったからと持ってきてくれる。

ありがとう! Mさんの おしんこ巻き もう売ったものなんか食べられなくなるほど美味しいです。と 世間話をしていたら

まるで Mさんが 私の心を透かし見たかのように 洗濯機の話を始めた。

「もう うち 洗濯機買い替えなきゃと 思っていたんだけど・・・。私がほら病院に入院していた時 息子が洗濯して、退院してからも 洗濯、俺がやるから って それは ありがたいんだけれど なんか パッとしない仕上がりに思えてねぇ そろそろ買い替え時かしら って思っていたら 私が洗濯したら 白く きれいに仕上がるんだから 男の人の仕事って・・・ねぇ だめだね」

「え! Mさん なにか 白い仕上がりの秘訣はあるんですか」

「やっぱり 白いものは 粉せっけんを溶いたある程度熱いお湯に 30分はつけてから洗わないと。 そして 柄物は、私は 必ず裏返しにして洗うよ。そしてある程度乾いたころに 正面に裏返して干すの」

「そうですよね そうだ 洗濯の基本は 下準備ですよね・・・ ほんっと わたしったら  だめだなぁ Mさん ありがとう いい意見 感謝」

「?」と きょとんとするMさん さすがに 戦前 戦中 戦後を生き抜いた 96歳の方には 正価50万円くらいするような洗濯機のことは話さず・・ 洗濯機は あくまでも 機械で 自分の下準備や諸々の工夫をしないと 日本魂にそむくことになる。と

話しをごまかしましたが。

Mさんには 本当に多くのことを教えてもらったなぁ 本人はそんな気は一切ないのでしょうが・・・ 始末にして みぎれいにして 生活にメリハリつけて 美味しいものをひと手間かけて作って 人を喜ばせることが大好きで そんな90代に 自分もなれたらいいなあ と 思えるような人に会えた幸せ。

そして 自分のかまどのことをしっかりと冷静に 俯瞰してみれる 自分でありたいと。 そうすれば 少しは 財政のあり方に口出しできる自分になれるのだろうか と思ったりして。

誤解しないでいただきたいのは 買える方は どんどん そういうものを買うべきです。 経済の循環 経済の活性 そうされてください。

ひとりひとりが 収支の計算して それこそ昔の格言  入るを量りて出ずるを為す もっと 己を知らんとあかん・・・と反省。 足元をみて なるべく 人に迷惑をかけないように 自分で自分の始末をできる暮らしを 私たち 一人一人が意識して行えたら きっと 日本の財政状態は 健やかに 安定してくるのだろうな と 願うのです。

 

 

支払いは待ってましたとばかり出船の様に…

明治生まれの小学校しか出ていない 曾祖母の語録を 時を経て母から聞くことが時々ある。

3つほど 印象に残り、ここ最近 なるほどなぁ 本当にその通り 昔の人は 高い教育がなくても知恵を持っていたのだ。と感心することがある。

キクさん語録その一。

カラスが、かぁあと鳴いたら 利息が増える。← 分割払い、利息の付いた買い物は極力するな の教訓。

その二。

ツケで物を買うということは、亭主を質(抵当)に置いたようなもんだ。 ← 上と同じで利息のついた買い物は避けるように

そしてその三。

支払いは、待ってましたとばかりに。← お金にルーズなのは信用を失う。

 

この 三つは 私も年を重ねるごとに ほんとに感じ入ることで

とくに この その三 支払いは待ってましたとばかりに出船のごとく・・・ は 人の心理をよくついているなぁと

どこそこ大学出身です・・・と 誰も聞いてやしないのに言うような人が お金にルーズだったりするのを 垣間見ると・・・

小学校しか出ていなくても、利口者は 世間から多くを学び生きてゆけた そんな時代のほうが、今よりよほど良かったんじゃないか? と思ったりする。

キクさんは 出入りの業者さんが来る日には 必ず 支払いのお金をちょっきり封筒に入れて待っている。そんな人だったらしい。

その姿をみて 育った母は、ダスキンさんや その他 マッサージで来てくれる人 お米をご厚意で自分がとるついでだからと届けてくださる方 そんな方々が 来る日の前に、封筒にお金を用意して 宛名を書いて待っている。

私は こんなに いいお手本が近くにあったというのに 全く いったい 何をみていたのだろうか・・・ と最近になり

とても反省しながら その点に気をつけながら 見習っている最中で。

でも・・・ 最近 注意して 暮らすようになったら 分かったことがある。

 

生き金・・・って このことだな。と。

私は生き金の意味を はき違えていた・・・と これまでの自分を 心から反省した。

生き金っていうのは 自分の得や、自分への投資とばかりに使うことではなく・・・ 相手に気持ちよく思ってもらう様に使う。ということだ。と。

お茶の先生が 封筒に新札でお稽古代はお願い申し上げます・・・と うるさく 言った 真意は これを教え諭したかったのだろう・・・ けれど 私は 茶室ではなくストリート(世間の出来事)からしか物事を学べない 愚かなところがあって 最近やっと わかった。

封筒を用意し、新札に気持ちをこめて 待ってましたとばかりに 支払うところにお金を支払う心構えを持ってみたら

何か 少しずつだけれど 違うような気がする。 まず 支払われた相手様が 気持ち良いと思う。