靴は 流行が出るから Updateした方がよいと、そう思っている方もいるのかな・・・

自分は 違うタイプかもしれないな・・・と シューケースをみながら思っている。

逆に、靴は 時代性を求めて買うと もろに もろに 時代遅れになってしまうものかもしれないな。と思っている派かな・・・

一足あたり結構な値段のするものだから 流行は追いかけない方が無難なもの。 それが靴なのだろうな。

流行を求めるよりも 求めるツボは 自分の好きな靴 自分が心動かされる靴。 それを 徹底して 手入れして 履いて 手入れしてを繰り返し甲斐のある一足を求めることなのかもしれない。 と 自分の手元(足元)に残ってくれている靴たちを 愛しく眺めている。気味悪いかも。

冬靴はほとんど10年選手。 茶色のひも靴と 黒のショートブーツは おそらく10年以上と 10年くらいだと思う。 右のはまだ6~7年くらいかな。 これらの靴を長持ちさせるコツは 自分で磨くことも大切でありながらも それよりも 季節が終わると ドライクリーニングのお店に靴のクリーニングに出すと、すっきりと生き返ったように戻ってくる。そして また 季節を待って履き始めるうちに 10年以上が経ってしまった。

白いレザーのウォーキングは これは まだ新しいので 靴ひもを自分で洗って(シューレースの差し込み方が不安なので 一本ずつ外して洗い、片方の見本をみながらいれるという不器用さ) 今年はシュークリームで磨いて 冬の間はお休みしてもらう。 自分の見立てでは おそらくこの靴は 自分が70代も生きていたら 履いているはずの靴である。そういうつもりで思い切って買った。

靴は面白い。 普遍性を追った方が間違えなく 長持ちするけれど あまり 優等生な トラッド一本やりなデザインも その普遍性に裏切られることもあり、流行遅れな感じにみえたりする。

買うときに 普遍性 または 流行うんぬんよりも 靴が自分を呼んでいるような 招いているような 美しいなぁ 履きたいなあ と思うものは、なぜだか 自分に寄り添ってくれる。 そして かなり長い間、側にいてくれる。

靴は 買い物の中で 一番面白いし 好きなアイテムであります。

 

洗濯機

財務省事務次官の矢野さんという人が「このままでは国家財政は破綻する」と ついに言われた。

ついに 口に出して 言ってくれる人がいたか・・・ と このままでは 日本はあのタイタニック号のように氷山に向かって突き進んでいるとまで。

誰か はっきり言ってくれないと 国がどうにかしてくれると思うようになっては いかんのよ・・・と こんな 算数のできない私でさえも 危機感を感じているのだから 相当 相当な事態に違いないと思う。

言葉をかえれば 言葉をもっと直球にすると もっと 私たちは 自分の生活レベルと向き合わなければならん と あの財務省事務官は言われたんだろう・・・。

自分を反省する こととして、最近 この夏、あの高級電化製品 ミーレの商品が 最大20パーセントOFFになるという 手紙がある代理店から届いた。 なぜ 私の手元にそんなものがやってきたかというと、私はある時期 すごい手荒れに苦しんでいた。 それをみていて 夫と夫の母が 「食器洗浄機を買いなさい」と 夫の母親が少しお金を出してくれ合わせたお金で ミーレの食器洗浄機を導入した。 それはそれは 画期的な投資で 自分の手荒れは改善し 苦しみから解放された。 それは 食器洗い機のおかげのみではなく、手荒れの原因となるような強い洗剤はいっさいやめて、クリーナーは ホワイトビネガーとアロマオイル そして水という手作りのものにかえたのだ。 落ちない汚れはメラミン 激落ちくんで ちょちょっと落とすようにして ビネガーで洗浄 肌にもやさしい。という具合のものだ。・・・ あ・・・ 話が脱線してしまいました。そう なぜ 反省しているかというと

その20パーセントディスカウント のお知らせをみながら 憧れの ミーレの洗濯機も欲しい・・・・と むくむくと真剣に思い始めたのだ。 色々とネットで調べ始めたら 仕上がりの高級感とか そんな声が目につき始める。ミーレの洗濯機にミーレで販売している 香りのよい洗濯洗剤 それと合わせたら 白いものは白く 素材感はしっかりと保護され仕上がるのではないかと そして なぜだか高級感あふれる暮らしが約束されているように思い描く。 あの 経済学者のいうところの Veblen goods

それを使うと自分がワンランクもツーランクもあがると信じ込ませるような 一品。真剣に20パーセントオフになった価格を計算し始める。それでも 40万近くする。40万近くするような洗濯機って すごいが それを自分があと 20年以上生きると仮定してなどと いま買うべきなのじゃないか? と ああ まずい まずいぞ 視野の中に そのミーレの洗練された洗濯機しかみえなくなっている。

・・・と、あれやこれやと考えていると お隣のおばあちゃまが おしんこ巻きとおいなりさん作ったからと持ってきてくれる。

ありがとう! Mさんの おしんこ巻き もう売ったものなんか食べられなくなるほど美味しいです。と 世間話をしていたら

まるで Mさんが 私の心を透かし見たかのように 洗濯機の話を始めた。

「もう うち 洗濯機買い替えなきゃと 思っていたんだけど・・・。私がほら病院に入院していた時 息子が洗濯して、退院してからも 洗濯、俺がやるから って それは ありがたいんだけれど なんか パッとしない仕上がりに思えてねぇ そろそろ買い替え時かしら って思っていたら 私が洗濯したら 白く きれいに仕上がるんだから 男の人の仕事って・・・ねぇ だめだね」

「え! Mさん なにか 白い仕上がりの秘訣はあるんですか」

「やっぱり 白いものは 粉せっけんを溶いたある程度熱いお湯に 30分はつけてから洗わないと。 そして 柄物は、私は 必ず裏返しにして洗うよ。そしてある程度乾いたころに 正面に裏返して干すの」

「そうですよね そうだ 洗濯の基本は 下準備ですよね・・・ ほんっと わたしったら  だめだなぁ Mさん ありがとう いい意見 感謝」

「?」と きょとんとするMさん さすがに 戦前 戦中 戦後を生き抜いた 96歳の方には 正価50万円くらいするような洗濯機のことは話さず・・ 洗濯機は あくまでも 機械で 自分の下準備や諸々の工夫をしないと 日本魂にそむくことになる。と

話しをごまかしましたが。

Mさんには 本当に多くのことを教えてもらったなぁ 本人はそんな気は一切ないのでしょうが・・・ 始末にして みぎれいにして 生活にメリハリつけて 美味しいものをひと手間かけて作って 人を喜ばせることが大好きで そんな90代に 自分もなれたらいいなあ と 思えるような人に会えた幸せ。

そして 自分のかまどのことをしっかりと冷静に 俯瞰してみれる 自分でありたいと。 そうすれば 少しは 財政のあり方に口出しできる自分になれるのだろうか と思ったりして。

誤解しないでいただきたいのは 買える方は どんどん そういうものを買うべきです。 経済の循環 経済の活性 そうされてください。

ひとりひとりが 収支の計算して それこそ昔の格言  入るを量りて出ずるを為す もっと 己を知らんとあかん・・・と反省。 足元をみて なるべく 人に迷惑をかけないように 自分で自分の始末をできる暮らしを 私たち 一人一人が意識して行えたら きっと 日本の財政状態は 健やかに 安定してくるのだろうな と 願うのです。

 

 

支払いは待ってましたとばかり出船の様に…

明治生まれの小学校しか出ていない 曾祖母の語録を 時を経て母から聞くことが時々ある。

3つほど 印象に残り、ここ最近 なるほどなぁ 本当にその通り 昔の人は 高い教育がなくても知恵を持っていたのだ。と感心することがある。

キクさん語録その一。

カラスが、かぁあと鳴いたら 利息が増える。← 分割払い、利息の付いた買い物は極力するな の教訓。

その二。

ツケで物を買うということは、亭主を質(抵当)に置いたようなもんだ。 ← 上と同じで利息のついた買い物は避けるように

そしてその三。

支払いは、待ってましたとばかりに。← お金にルーズなのは信用を失う。

 

この 三つは 私も年を重ねるごとに ほんとに感じ入ることで

とくに この その三 支払いは待ってましたとばかりに出船のごとく・・・ は 人の心理をよくついているなぁと

どこそこ大学出身です・・・と 誰も聞いてやしないのに言うような人が お金にルーズだったりするのを 垣間見ると・・・

小学校しか出ていなくても、利口者は 世間から多くを学び生きてゆけた そんな時代のほうが、今よりよほど良かったんじゃないか? と思ったりする。

キクさんは 出入りの業者さんが来る日には 必ず 支払いのお金をちょっきり封筒に入れて待っている。そんな人だったらしい。

その姿をみて 育った母は、ダスキンさんや その他 マッサージで来てくれる人 お米をご厚意で自分がとるついでだからと届けてくださる方 そんな方々が 来る日の前に、封筒にお金を用意して 宛名を書いて待っている。

私は こんなに いいお手本が近くにあったというのに 全く いったい 何をみていたのだろうか・・・ と最近になり

とても反省しながら その点に気をつけながら 見習っている最中で。

でも・・・ 最近 注意して 暮らすようになったら 分かったことがある。

 

生き金・・・って このことだな。と。

私は生き金の意味を はき違えていた・・・と これまでの自分を 心から反省した。

生き金っていうのは 自分の得や、自分への投資とばかりに使うことではなく・・・ 相手に気持ちよく思ってもらう様に使う。ということだ。と。

お茶の先生が 封筒に新札でお稽古代はお願い申し上げます・・・と うるさく 言った 真意は これを教え諭したかったのだろう・・・ けれど 私は 茶室ではなくストリート(世間の出来事)からしか物事を学べない 愚かなところがあって 最近やっと わかった。

封筒を用意し、新札に気持ちをこめて 待ってましたとばかりに 支払うところにお金を支払う心構えを持ってみたら

何か 少しずつだけれど 違うような気がする。 まず 支払われた相手様が 気持ち良いと思う。

銀行での後ろ姿

夏がくる度に 心を鬼にして捨てなければいけないもの。 それはくたびれる直前の下着。と・・・踏ん張る自分がいる。

色々と、取っておきたい理由はある。 それなりに高かった。とか、あの 憧れて買った ワンセット。とか・・・ そりゃ 色々とある。

しかし、くたびれた下着は 心を鬼にして捨てねば 他の多くを失うことになるかも・・・なのだ。

時に、銀行のATMで 夏服からはみ出して見えてしまう ブラのストラップがみえている人がいる。 それが みせられるくらいの可愛い素材だったり ファッションの一部になっているのなら みていて心地は良いが 大概に 色が退化しているとか ゴムがくたっとへたってしまっているとか。 そういうような人が多いような気がする。

こりゃ・・・自分も気を付けなければならないなぁ・・・。と 自省の思いを持ちながら 後ろにいてしまう私。 そんな私も ジーンズのベルトの部分が なんと破れていて その隙間から 下着がみえているといった人であったりする。後ろの人は みっともないなぁ この人 と きっと眺めていたのだろうな・・・と トホホと苦笑い。

銀行ATMでの後ろ姿の自分。を 毎日意識して 一日を送ったのなら 相当 意識あがるだろう。と 思いながらも

この銀行のATMで 平常であり、後ろ姿にも自信をもって 毎日の生活にも気を配り という雰囲気、存在感を示される人は 相当毎日を充実して 申し分なく幸せな人なんだろう。と そんな後ろ姿を魅せる人が時折いる。

後ろ姿は けっこう 多くを語ってくる。 それが 通帳やお金の扱いのある 銀行ATMだと尚更なようである。

 

生命力=筋力=人間力=財力

お隣の90代のおばあちゃまは、命よりもお金が大事なことを 90を過ぎて知ったわ。・・・と 真面目におっしゃった。

そして 母世代は 大切なのは 財力と筋力と合言葉をかけあっているし。

私世代と言うと その域に達する前に・・・ 事あるごとに痛感していることは・・・

お金では買えないものって・・・意外と多いもんだな。・・・と。

財力に恵まれて 人間力の高い方って いる。 本当にいらっしゃる。それは間違いない。 この私世代 50代そこそこ いや40代くらいでも そんなすごい人物は 存在する。

が、 大体は お金にスポイルされてしまうか・・・ この人 お金を介する間柄では成り立つ関係も 介さない関係は・・・ う~~~ん きっと 友達いないだろうな・・・と思う方も、中にはいる。

で・・・ 私なりに 考えてみた。 その二パターンの 決定的な 違いはなんだろうか? ・・・・と。

前者の方は お金は 多くの人を幸せにできる方便になるもの。 と 考えている、そんな行動が自然にできる。

後者の方は お金は 自分を守るもの 相手に頭を下げなくてすむもの。もの 労力を買うもの。 と

人と人との間に ありがとうと言い合う隙間をつくらなくて 済むもの。と  思われてしまっているの。かな。 その違い。かな。・・・と。

働き盛り 人生の盛りの時は 人との繋がりにありがたさを感じて  人と人との間に ありがとうの気持ちを介在できる機会を多く持てた人の方が 仕合せなんじゃないかな・・・と思う。

そして その仕合せのかんに 財力と筋力が 自然についてきた人は もっと 幸いなんだろうな。 と 思う。

自負と自尊心

このフィルムに出てくる二人の女性と、絵付けの陶器や絵は、Thompsonの大祖母と、大叔母にあたる彼女たちの作品です。

Thompsonの祖父の母親、Emilyとその姉であるElizabethは 10歳と13歳の時に孤児となります。

彼女たちの両親は 南北戦争に夫が参加するためにイリノイへと渡り住みました。母親はその時に身体を壊し、27歳の若さで亡くなります。

それからしばらく父親は男手で二人の娘を育てるのですが、南北戦争の最中、一人の兵士として参加しながら娘二人を育てることに限界を感じたことと、また、自分自身の命も長くないと悟り、父親は二人の娘を、母方の親戚へとあずけます。 それで カナダへと 幼い二人は肩を寄せ合い、長い長い時間をかけて、アメリカから渡ってくるのです。

そこで 初めての 身を寄せる家庭で、思いのほか彼女たちは大切に育てられました。

姉のElizabethは活発で、利発。 容姿の美しさは妹のEmilyのほうに多く能わってしまったようですが、二人の姉妹は仲良く、そして固く結ばれた絆で、1880年代から1900年代の大きな時代の流れに、押しつぶされないように生き抜いていくのです。一度本当の親から違うところへと引き取られ、またもや 最初の親代わりの方が亡くなり、次の人たちに引き取られます。ですので2回彼女たちは保護者を失くすのです。しかし、幸運なことに 実の母親が残していったものと、この最初の母方の人のまとまった遺産が、彼女たちにアイルランド貨幣で残りました。その遺産は法に基づき、彼女たちが最終の教育を得る年齢になるまで、しっかりとした機関で管理されます。

そして 2回目の養父母になってくださった方々のところに身を寄せる頃には、二人は若さと、世の中を渡って行ける知力を持つ年齢となっていました。

二人は、おそらく 色々と相談をし、悩み決断をしたのだと思います。

妹のEmilyは、絵付けの道へ。 そして姉は 水彩画の道へと 専門の進路を決めるのです。

ちょうど その 1800年代が終わろうとしている時代は、クロードモネや ゴッホといった そういう画家たちが世を去ったあたり・・・

芸術が、まだ 一般の人々にとっても生きてゆく手段に結びつきやすかった時代だったのだと読み取れます。

親のいない女性二人が選んだ道として、手にした遺産を賢く遣い、自分たちの生きる糧にできるようにと きっと 手と手を取り合って離れることなく 必死に生き抜こうとしていたのだな。と彼女たちの残していったメモや手紙や また 家族内での思い出話を寄せ集め、想像が出来ます。

彼女たちは とても賢く 世の中を渡っていたようです。・・・と、いうのも いい人たちに囲まれて 若き日々を過ごしていたことが 色々な写真や文からわかります。

写真からの様子でみてとれるのですが、威厳を崩さずに、自尊心を大切にしながら いい品物を身に着けているのです。身繕いの費やし方を知っている。Ladyというのでしょうか。 決して馬鹿にされない、低くみられない 女性なら、すきをみせない着こなしというのかな・・・。そういう 美しい二人姉妹という様子で 紳士的な人たちに囲まれて写っている写真とか。 孤児であった二人がここまで しっかりとした存在でいることの方に 私は 不思議さを感じ、もっと この二人のことを知りたいと思ったのが 今回のこのフィルムで表現をしました。

そして 妹のEmilyはカナダの銀行員と結婚をします。その時に、その時代の特徴ですね。第一次世界大戦が始まる前あたり 1900年代前半には そういう方も中にはいたかと思うのですが、 妹の結婚ではありながらも、姉も一緒にと 結婚先の離れに 姉も住むこととなります。 常に一緒に生きる。と 誓い合った二人は そういう形をとりました。

Emilyには 男の子が一人出来ます。 それが Thompsonの母の父親。つまり祖父です。彼が10歳の時に Emilyは結核で亡くなります。

それ以後、姉であるElizabethが 母親代わりとなって彼を育ててゆきます。 その幼い男の子が成人し、妻をめとり、トンプソンの母親が生まれてからも彼女が16歳になるまで アント ナニー (Elizabethのあだ名)として79歳でこの世を去るまで、 トンプソンの母親のその一家と暮らします。トンプソンの母親にとっては実の母よりも あらゆる面で大きな影響を残してくれた人だそうです。

絵を描くことを生業として、そして 色々なことに長けた女性だったそうです。 あの時代に高価なカメラを購入し、写真を撮るために自転車を乗り回し、画の材料にするようなものから 他のことも仕事としていたのでしょうか、自立の道をしっかりと歩く活動的な人でありながら、また エチケット ハウスキーピングの基本 また Ladyとしての在り方も美意識高く持っていました。それらを のみこみがよく 気立ての良い 可愛い姪に 懸命に仕込んだのだと思います。

わたしは 時々、トンプソンの母の佇まいに触れるときに・・・・ カナダの田舎町で、その頃は農業をしていた両親のもとで育ち、どうして この人は こんなにエレガントなのだろうか・・・ 何が彼女をそうさせるのだろう。 自分で学び取って身に着けていったのだろうか? と不思議でなりませんでした。

その蔭には、Aunt ナニー Elizabethの存在があったのだ。と、義母が亡くなり、彼女の日記などからそういうことも知ることができました。

自負と自尊心 その二つは あまり強すぎても 困りものでありながらも

自尊心を失くすと、女性はたちまちに流され 下流に落ちていってしまう・・・と 激動の時代に、必死に流されまいと 二人で手を取り合って生きた 姉妹の健気さが 絵からも 伝わってきます。

我が家には 実は トンプソンの父方の祖父が アメリカで、少し名前を残した画家だったので、彼の作品が数点あります。聞くところによると 価値のあるものらしいのですが、 でも 私は 彼女たちの この ちょっと優し気で 素人っぽいタッチでありながらも 健気なタッチが すごく好きなのです。 正直 彼女たちの作品に癒されているな・・・と思う自分がいます。

エレガント 

エレガントとはなんぞや・・・と、フランスにまつわる本なんかに出てきそうな課題であります。

このエレガントという言葉をなぞっている時は、どういうわけかわたくしの場合、インターネットで中古物件を観覧している場合に多いのです。

この中古物件、特に家具などが置かれていて 生活がありありと伝わってくるようなものを見るのが すごく好きであります。

それらをみながら、ううむ エレガントとは お金だけでは買えないもので また お金とうまい具合に相乗しながら鍛えられていくものでもあるのだな。と 強く思うのです。

1億円以上の物件の中には 頭をふりたくなるほど エレガントなものもあるし。こんなん・・・くれる。と言われても 欲しくないなぁというような 悪趣味の家もあるし。はたまた 何の記憶も残さないような 住まい方もある。と。

その逆で 2800万円くらいの値のついた物件で、住まい手のエレガントな暮らしぶりが 毎日の空気の粒子の中あちこちに美しく残された家もあります。

使い手によりそった形でカスタマイズされた台所。ここにこんな工夫をしたら暮らしやすいだろう。と金づちと釘で作った棚や、心地よく配置された趣味の良い家具。そして優し気に扱われた諸々の形。ときには小さな庭と出入りの出来る扉が台所からの動線に美しく設置されたりしている。

そして 2億円以上のものの中で、おそらく音楽関係の仕事の人の家だろうか。中目黒という洗練された街に建つその家には防音装置のついたオフィスめいた部屋が地下にあり、エレベーターがついていた。西洋式(トイレ、洗面台と共になった)のバスルームも各階につくられた個人部屋に其々設けられ、最上階のリビングルームには目の覚めるようなブルーのゆったりとした長いソファが曲線を描くように置かれ、それをピリリと引き締めるように幾何学模様のクッションがすてきなアクセントととして散りばめられていた。壁面はセンスの良い写真や絵で飾られ、ここで この家の人たちは 本当に寛いでいることが伝わってきた。きっと きちんとした出で立ちで。

そしてリビングルームの階下には食事室があった。食事室と呼ぶのに相応しいような作りなのだ。 台所は 対面式でもなんでもなく 料理をするためのオープンな部屋であり、そして 食事をするテーブルは 食事をいただくためにある。といった具合だった。 洗濯室や、なんとメイドルームというものまであった。 室内から床と同レベルのウッドデッキをつけた半室内ともいえる庭(バルコニー)に出れるのだ。その箱庭が えらく美しかった。

この洗練された エレガントな家は、色々なものを見聞きし それを仕事にし経験し、大きなお金に縁を持てた人が住んでいるものであるのは インターネットの画像からも伝わってきた。

美しいなぁ・・・とため息が出た。

残念ながら 私がこの人のインテリアの何か一部を真似したところで、まったく このようなエレガントな空間は作り出せないことは一目瞭然であり。 私には私にしか出来ない暮らしを コツコツと積み上げてゆくしかないことを 思い知るだけなのだ。

けれど

精一杯の衛生管理と、少しずつ少しずつでも 美しいものに向かって 生きてゆこうとする姿勢の中でエレガントという言葉はもしかすると宿ってくれるのかもしれない。と 思えた。

10万円を出して 一人かけのソファでも それは 素敵なものもたくさんあるし 高級品の部類だと思うが・・・なぜか ビビビッとくるものはないように思うのは私だけだろうか。

私は 私が20代の時に買った 店じまいセールで買い求めた28000円のソファが 死ぬほど好きであり、買った当時から表情のある家具だなぁと愛しく思っている。

この一人掛のソファは私の体の一部と言っても良いくらい。一緒に色々なところに行ったし、生地を張り替えたりして大切に使っているもので死ぬまで使おうと決めていたものである。

が、なぜに ここで 過去形を使ってしまうかというと。

いま このソファをぜひ交換してくれないか?とある人に請われているのである。北欧家具の Hans.J.Wegnerとかいう人のデザインしたレザーの一人掛用のフォルムのきれいなソファで・・・。実は上記の10万円くらいのよくあるタイプだったら 即NON! と言えるのだけれど。さすがに 有名なデザイナーさんの作った椅子だけあって 美しいし 座り心地もまるで宙を仰ぐように気持ちが良い。 ううむ 悩ましく いま 毎日 葛藤しながら 悩んでいる・・・。

 

 

Manage (ment)

この Manage どうにかする うまくする 愚かにもする そして 時間をなんとか都合する 処理する 都合をつける。という英語 自分は Money(通貨、交換の媒介物)から 語源はきていると信じているのですが、どうなのでしょう。

・・・これぞ林真理子氏の真骨頂。と、思える本「最高のおばはん」の中で

あるフードライターという職業を持つ30代後半の女性が、20代後半くらいから ずっと ずるずると妻子持ちの人と不倫をしている。おおよそ10年以上のその腐れ縁の相手に、300万円程貸してもらえないか?と頼まれる。その相手は一応そこそこの商社に勤め、部長職であり。持ち家のマンションはあり、一人娘も大学を卒業をしているのに なぜ?と思いながらも これまたずるずると

彼女は父親からの遺産の中からその金額を借用書もなく、銀行を通すと分かってしまうという理由から、その相手に現金で渡した。(恐ろしいことに)

それから一年たつが お金は戻ってこなく。段々と会う回数も減っていく。自分は騙されたのだろうか・・・10年以上の仲なのに・・・と 父親からの遺産がなければ こんなお金のことで嫌な目にも合わなかったのに・・・と タイアップもダメになったような仕事で、キャンセルにするべきであったようなパリの街で、偶然に出会った主人公であるハルコに、上記のようなことを相談してしまう。

すると主人公のハルコ52歳は、こう答える。

「その男のことはどうでもいいけど、300万円は惜しいね」と。

「え?」と驚く彼女に

「私が 300万円は勉強代だったと思って、その男のことはさっさと忘れなさい。とでも言うと思った? 冗談じゃないわよ。300万円貯めるってことがどれだけ大変なことか、よく知っているわよ。最初に事業を起こしたときなんか 別れた亭主に 泣いてお金の打診をした あの屈辱は忘れはしないわ」というような感じのことをセリフにしていたと思う。

そして、彼女はその30代の女性にこう指示する。

日本に帰ったら まず その男のところに請求書を送り、それもきちんとした書式にのっとったやつ。何の感情も入らないやつ。それをとにかく送り付け、そして相手の様子をみるように。と。

もう少し待ってくれ と言われたらどうするんですか? の質問に 「期限をつくる。そうね、今月中にしなさい。払えないって言ったら、マチ金から借りてでも返せ、って言うのよ」と。

そして 彼女は日本に帰り、ハルコから言われたとおりにした。

案の定、もう少し待ってくれと泣きついてきたので、マチ金から借りて返してくれと言い、それから期日までに払ってくれない時は、家庭か会社に話すって言ったんです。そうしたら思わぬ展開になりました。

と すでにパリから日本に戻っているハルコに電話で

なんと 奥さんが利息をつけて借金を返済に来てくれた。その理由は その不倫相手には、ハルコの睨んだ通り、もう一人女がいて、性質の悪い女でうしろにいた男の人が あれこれとせびっていたようです。それでにっちもさっちもいかなくなって、奥さんに泣きついたらしんです。との報告に・・・

ハルコは一言、こう言い放つ。

「今度の場合は、奥さんが向こうからやってきた。しかも下手(したで)に出てるお金っていうのはこういう時に利用したいもんね

夫が借金してなかったら、奥さんはあなたを上から見て嫌味をさんざん口にしたはずよ」

私はこの件を読んだときに、これぞ・・・林真理子だよなぁ・・・となぜだか妙に・・・感心したのをおぼえている。

最近、年を重ねるごとに この・・・お金っていうのはこういう時に利用したいものね。という言葉を自分に・・・ときどき 投げかけながら行動するときがある。

ひじょーに 日常的なことすぎて お話にもならないかもしれないが。先日、こんなことがあった。

ある対面式のお肉屋さんにて、ずっと 買いたかった 牛のもも肉が置いてあった。

いつもいく大金さんにはなくて、ある商店に入っている精肉店にあったのだ。

私は嬉しくなって「このモモ肉、焼き肉にするくらいの薄さで250グラムほどください~~~」と頼んだ。

すると そこのご店主は「これは 塊でしか売れません。それに 牛のモモ肉は薄く切っても使えないですよ。料理になりませんよ」と バシッ!と言い切る。

私は「なんだかね メキシカンの エンチラータとかっていうレシピがあってね。それに 牛モモの薄切りって書いてあったから 作りたいなぁと思って・・・そうなんだぁ この モモ肉って 塊でしか売れないんだ」

と そこのご店主は、原則に従ってといえばそうだし。頑固っていうとまたそうだし。まぁ 柔軟な対応は望めないだろーなーと 分かりながらも 私はその肉をずっと みつめてみた。 3048円。 グラム300円と書いてあるから 1キロくらいかぁ どうだろ。 そのエンチラータで250グラム使って あとは ローストビーフ? それでも 二人でローストビーフ500グラム以上食べるのきついなぁ・・・ あ 食べさせてもらうの大好きっていつも言っている あの人・・・母でも呼ぶか。で、残りの250グラムは カレーか煮込みにする。

っよし!買お! と 頑なに(流されまいと) 背中をみせている そのご店主に

「こちら いただいていくわぁ🌷」と つややかな声で呼びかける。

このつややかな声音の中には どこか 勝ち誇った印象もあるのか。

店主は えっ?と 少しひきつった表情で 私を見返す。そして おどおどと 「すみませんね・・・ お客さんの要望に応えられなくって」と なぜだか 謝りの言葉を述べる。

それに対して 目が笑っていたかどうか不安だが、にっこりと 「いえいえ、これって やっぱり ローストビーフが適切なのかしらね 料理には」と尋ねると「ええ、ローストビーフが一番だと 思いますよ」と 急にてきぱきと答える。 きっと ローストビーフとして使ってもらいたい一心で、この人、この品を店頭に出したのかな?と思うほど。

「じゃあ ちょっとそれにも挑戦してみますね」と ☻塊肉を手にし、その場を離れながら 私は こう思った。

・・・お金っつーのは かく使いたいもんだなぁ・・・ ああ 私に余りあるほどのお金がもし、あったのなら こんな使い方いつもしたい~~~~~! と 心で叫んでいた。

ごちゃごちゃ、しみったれたことを言わずに、金持ち喧嘩せず。言葉は悪いが お金で 多くのことは解決できる。

残念ながら いまの私には お肉単位でのことでしか その快感を得ることは出来ないが。

常に 念頭に このハルコさんの名文句 お金っていうのはこういう時に利用したいもんね を、置きながら 自問しながら生きていくように心がけたいと どこかで 思っている。そうでないと なぜだか お金があるのにお金の苦労をしている親戚のおばさんの様になってしまうのではないか? と、申し訳ないが悪い例で彼女のことを思う時がある。

その叔母は、妾さんのところに行ったきり帰ってくることのなかった夫の死後 多額の遺産が入っても それまで お金は使うものではなく、節約に節約を重ねて、少しでも貯めるものとしか考えなかった故に、使い方がわからないのだ。   人をみると お金が目当てで寄ってくると疑心を抱き。娘たちからは 税金でもっていかれないために 一年に何回か名義変更を強制的にさせられる。と、その娘たちからの攻撃に ただただうちひしがれる 毎日。って・・・ 私は思う。 おばさん。 妾さんのところに行ったきりの夫から 食い扶持を与えられるように 受け取っていたお金から 多くのことを学べと 言われても 時代が許さなかったのかもしれないけれど。

けれど なければないで嘆き、あればあったで苦しみの種にもなりえるもの。が もし お金の正体だとしたのなら。

お金に対する ハルコさんの意気込みは、日常単位からも持ちたいものだと。最近、よく 思う。