部屋着のおしゃれ

すっかり ツモリチサトさんのパジャマのファンになってしまった自分です。

7月にバーゲンの頃、またいそいそと買いに行こう。と、それが ここのところ唯一の楽しみにしていること・・・という

まぁ 物悲しい人生っていえば それまでですが・・・

この パジャマをうまあく部屋着に仕立て上げられる 技というものを テレビをみていて おおお🌸と 発見したことを ここに一つ。

カナダのコメディアン俳優の大御所 ユージン・レヴィとその息子、ダン・レヴィ原案の Schitt’s Creek というコメディ・ドラマを観られた方は よく解ってくださるかと、思います。 観ていない方 ぜひぜひ ご覧になってみてください。

私は 個人的に 大大大好きな番組です。

この番組の中で お母さん役のキャサリン・オハラは、 元昼ドラで活躍した女優で レンタルビデオチェーン店を経営する夫と2人の子供をもうける。 が、セレブな富豪一家(北アメリカには レンタルビデオ チェーン店で長者番付にのれる時代があったのだ)は、ビジネスパートナーに騙されて破産をしてしまう。仕方なく引越しした先は、以前息子へのプレゼントとしてジョークで買った小さな田舎町シッツ・クリーク。そこの古びたモーテルを拠点に一家は再起を目指すといったストーリーで。

なんとも ほんとに笑わせてくれる番組なのだ。

で。この番組でのキャサリン・オハラは 元女優 いや まだ再起を図り続けている女優で、妻で母であるという役どころ。

彼女のファッションは 相当、自律神経が乱れている人のもの・・・といった感じで。

お洒落なのだけれど スーパーエキセントリックな服装を これ きっと ダン・レヴィのコーディネートなんだろう。 面白くって 参考にはならないが 目が離せない。

ではありながら・・・

彼女のファッションは みるぶんには面白いが 取り入れることは 普通の人は相当むづかしい。といったもの。

が。

彼女の 部屋での服装が これは 私でも すっごく 参考になるな。と思えたので ここに一つ。

安モーテルの部屋を 長い間の仮住まいとして住居とするその一族は、身に着けるものはハイブランドでスタイリッシュということは最初から一貫して崩さない。で・・・番組の回数があがるうちに そのモーテルの部屋も それらしい ハイエンドな雰囲気に包まれてくるから不思議。

 

キャサリン・オハラ演じる モイラは 室内着。 夜のファミリーでの家族会議の時などに、パジャマは必ずシルク素材のもの 大きなドット柄(水玉模様)とか ストライプとか 真っ黒の光沢のいいシルクに白の縁取りがしたものとかを身に着ける。 そこに そこに 同じくシルク素材のジレ・・ベストというの?チョッキというの? そういったものをピシッと身に着けて それはそれは 美しくきまった部屋着にするのだ。時には そこに なんとも魅力的なコサージュや ビジューをつけたり。遊び心が可愛い演出。

シルクのパジャマを 美しい部屋着に変えるテクニックには 目からウロコ❣ でありました。

これ 使えるよ。 いや 取り入れたい! と 直球で思いました。

私の場合は パジャマとしてシルクシルクはあまり好きでなく シルクコットン というのかな? あのツモリチサトさん独特の素材。 それに アーガイルのカーディガンをはおったり、 そのうち 裁縫を得意とし最近副業にもしている友達に いかすジレを作ってもらう予定で、それを 羽織、夜の時間を過ごしたり 朝だって  それでコーヒー飲んだり、食事したっていいじゃないか。と もう楽しみ。

要(かなめ)は、 パジャマをだらしなくみせないこと。なんだ。 このコーディネートは すごくいいなぁ。と

この夏、シルクのパジャマも 探してみようかな。と思わせてくれるような そんな 本当に素敵なんです。

ぜひぜひ ご覧になってみてください。

汚れやすい 白いシルクのパジャマを勇気を出して買ってみて そこに黒のかっこいいジレを ピシッと着たら 汚れることも怖くなく コーヒー淹れられるし、 下手したら (これは無理かな) ちょっとゴミ出しまで行けるかな?なんて 考えています。

 

自負と自尊心

このフィルムに出てくる二人の女性と、絵付けの陶器や絵は、Thompsonの大祖母と、大叔母にあたる彼女たちの作品です。

Thompsonの祖父の母親、Emilyとその姉であるElizabethは 10歳と13歳の時に孤児となります。

彼女たちの両親は 南北戦争に夫が参加するためにイリノイへと渡り住みました。母親はその時に身体を壊し、27歳の若さで亡くなります。

それからしばらく父親は男手で二人の娘を育てるのですが、南北戦争の最中、一人の兵士として参加しながら娘二人を育てることに限界を感じたことと、また、自分自身の命も長くないと悟り、父親は二人の娘を、母方の親戚へとあずけます。 それで カナダへと 幼い二人は肩を寄せ合い、長い長い時間をかけて、アメリカから渡ってくるのです。

そこで 初めての 身を寄せる家庭で、思いのほか彼女たちは大切に育てられました。

姉のElizabethは活発で、利発。 容姿の美しさは妹のEmilyのほうに多く能わってしまったようですが、二人の姉妹は仲良く、そして固く結ばれた絆で、1880年代から1900年代の大きな時代の流れに、押しつぶされないように生き抜いていくのです。一度本当の親から違うところへと引き取られ、またもや 最初の親代わりの方が亡くなり、次の人たちに引き取られます。ですので2回彼女たちは保護者を失くすのです。しかし、幸運なことに 実の母親が残していったものと、この最初の母方の人のまとまった遺産が、彼女たちにアイルランド貨幣で残りました。その遺産は法に基づき、彼女たちが最終の教育を得る年齢になるまで、しっかりとした機関で管理されます。

そして 2回目の養父母になってくださった方々のところに身を寄せる頃には、二人は若さと、世の中を渡って行ける知力を持つ年齢となっていました。

二人は、おそらく 色々と相談をし、悩み決断をしたのだと思います。

妹のEmilyは、絵付けの道へ。 そして姉は 水彩画の道へと 専門の進路を決めるのです。

ちょうど その 1800年代が終わろうとしている時代は、クロードモネや ゴッホといった そういう画家たちが世を去ったあたり・・・

芸術が、まだ 一般の人々にとっても生きてゆく手段に結びつきやすかった時代だったのだと読み取れます。

親のいない女性二人が選んだ道として、手にした遺産を賢く遣い、自分たちの生きる糧にできるようにと きっと 手と手を取り合って離れることなく 必死に生き抜こうとしていたのだな。と彼女たちの残していったメモや手紙や また 家族内での思い出話を寄せ集め、想像が出来ます。

彼女たちは とても賢く 世の中を渡っていたようです。・・・と、いうのも いい人たちに囲まれて 若き日々を過ごしていたことが 色々な写真や文からわかります。

写真からの様子でみてとれるのですが、威厳を崩さずに、自尊心を大切にしながら いい品物を身に着けているのです。身繕いの費やし方を知っている。Ladyというのでしょうか。 決して馬鹿にされない、低くみられない 女性なら、すきをみせない着こなしというのかな・・・。そういう 美しい二人姉妹という様子で 紳士的な人たちに囲まれて写っている写真とか。 孤児であった二人がここまで しっかりとした存在でいることの方に 私は 不思議さを感じ、もっと この二人のことを知りたいと思ったのが 今回のこのフィルムで表現をしました。

そして 妹のEmilyはカナダの銀行員と結婚をします。その時に、その時代の特徴ですね。第一次世界大戦が始まる前あたり 1900年代前半には そういう方も中にはいたかと思うのですが、 妹の結婚ではありながらも、姉も一緒にと 結婚先の離れに 姉も住むこととなります。 常に一緒に生きる。と 誓い合った二人は そういう形をとりました。

Emilyには 男の子が一人出来ます。 それが Thompsonの母の父親。つまり祖父です。彼が10歳の時に Emilyは結核で亡くなります。

それ以後、姉であるElizabethが 母親代わりとなって彼を育ててゆきます。 その幼い男の子が成人し、妻をめとり、トンプソンの母親が生まれてからも彼女が16歳になるまで アント ナニー (Elizabethのあだ名)として79歳でこの世を去るまで、 トンプソンの母親のその一家と暮らします。トンプソンの母親にとっては実の母よりも あらゆる面で大きな影響を残してくれた人だそうです。

絵を描くことを生業として、そして 色々なことに長けた女性だったそうです。 あの時代に高価なカメラを購入し、写真を撮るために自転車を乗り回し、画の材料にするようなものから 他のことも仕事としていたのでしょうか、自立の道をしっかりと歩く活動的な人でありながら、また エチケット ハウスキーピングの基本 また Ladyとしての在り方も美意識高く持っていました。それらを のみこみがよく 気立ての良い 可愛い姪に 懸命に仕込んだのだと思います。

わたしは 時々、トンプソンの母の佇まいに触れるときに・・・・ カナダの田舎町で、その頃は農業をしていた両親のもとで育ち、どうして この人は こんなにエレガントなのだろうか・・・ 何が彼女をそうさせるのだろう。 自分で学び取って身に着けていったのだろうか? と不思議でなりませんでした。

その蔭には、Aunt ナニー Elizabethの存在があったのだ。と、義母が亡くなり、彼女の日記などからそういうことも知ることができました。

自負と自尊心 その二つは あまり強すぎても 困りものでありながらも

自尊心を失くすと、女性はたちまちに流され 下流に落ちていってしまう・・・と 激動の時代に、必死に流されまいと 二人で手を取り合って生きた 姉妹の健気さが 絵からも 伝わってきます。

我が家には 実は トンプソンの父方の祖父が アメリカで、少し名前を残した画家だったので、彼の作品が数点あります。聞くところによると 価値のあるものらしいのですが、 でも 私は 彼女たちの この ちょっと優し気で 素人っぽいタッチでありながらも 健気なタッチが すごく好きなのです。 正直 彼女たちの作品に癒されているな・・・と思う自分がいます。

土地

土地の持つ力。 というものは、あるのでは、ないかな。と、思う。

地縛霊までは いかないながらも、 その土地の持つ雰囲気、性質といったものは 当然 その土地から湧き上がってくると信じている方です。

去年、ある土地に縁があり、購入をしました。しかし、そこに行き着くまで、色々な土地をみて それはそれは長い長い旅路がございました。

まずは カナダ人である夫が 身の程知らずにも 界川にある土地を見つけてまいりまして 私を連れてゆくのです。

その土地は確かに カナダの実家の様にはいかないまでも 自然を背景にした 夫好みの土地でありました。

私がその土地を見たときの最初の印象は 素敵な土地だけれど造成にお金がかかりそうだな・・・と、この土地の上に家を建てていざ住むとなったら その空間は品よくまとめないと合わないだろうな・・・。私はもう少し 元気なエネルギーに満ちた空間が好きなのにな。・・・と思いながらも 彼の熱意に引きずられるように、長い間お付き合いのある不動産屋さんのM氏に その土地の相談をしました。

普通の不動産屋さんは市場に出ていない土地を調べて、持ち主を探し当てるというようなことはしません。

が、M氏は その売りに出ていない土地の持ち主を どんどんと探し当ててゆきます。

そうすると その土地は いまから30年以上前に東京から**省事務次官としてやってきた方が購入されたことが分かり。そうなるとその後のことは、いまのインターネット情報時代 次々と分かってまいります。

その方は札幌を後にしばらく**省に在籍され。その後は九州のある県の知事、そして一番最近の情報では生まれ育った場所近くの街で市長となられ。それを最後に公の情報は途絶える。

ゆえに現在住んでいられる所を辿ることも出来ないのか・・・連絡もつけることは難しい。と、なると・・・あの土地とは縁がないんだな。と、それでも市長の再当選を逃したK氏を応援する後援会なるところも 細々だが 数年前までは活動していたらしい・・・そこに連絡をつけるべきか。などと 考えあぐねていた。

ら、M氏から電話が入る。

「あつこさん、K氏(その土地の持ち主)が 住んでいる場所、大体わかったから。ボク 来週あたりそこに行ってみるよ」

「え? 行ってみるって Mさん。 飛行機に乗ってわざわざ行くの?(神奈川県のベイサイドと呼ばれるあたり)」

「うん だって 電話番号も調べられないしさ そうなると現地に行って 訪ねてみるのが一番手っ取り早い」

「ええええ!」と 驚きながらも

M氏を見送る私。

で なんとか連絡先を探り当てられたのは ***市の市長を終えたそのK氏は、少し離れた一家の本来の地元である町に戻られてた。そこにはK氏一族の不動産、何棟もの物件や土地があちこちにあり、そこに K氏の名前と電話番号が看板に大きく表示されているのだという。

グーグルマップでそれらしき場所を検索した際に、K氏の持ち物のアパートが写り、ものの知らぬ私など、あのようなキャリアを持った人が、こういうアパートで余生を送っていられるということは きっと 市長の座を若い候補者にとられたことが痛手となり すっかりと世を嫌い、世間から身を隠して住まれているのだろうか。・・・気の毒に・・・などと 思っちゃったりし、早合点・・・ どうか Mさん ご本人にあっても あまり ずけずけとしたことは言わないように。なんて釘を刺すなどしたりして。

ところが、現地に行ってみると、それはそれは その町はK家王国ではないか?というような有様で あらゆる場所がK氏の不動産であった。 私たちがたまたまグーグルマップで目にしていたアパートの近くにはK氏の立派な邸宅があり、そこから出てきたご本人に会ってみると、失脚した元政治家、落ち武者のごとくアパートにひっそりと身をひそめ・・・ なぁああんて勝手な私の想像は ばっかじゃないの?と一笑されるくらいの もう現役バリバリ 活力に溢れた大変魅力的な人物であったらしい。

が、結局 その土地は M氏が2度にわたって交渉のために札幌から神奈川県まで足を運んでくださったにも拘わらず、私たちとは縁がなかった。

色々と奔走してくださったM氏と お酒を酌み交わしている際に 普段は仕事のことの後追い三味線(恨み節)をせぬM氏が

「結局 Kさんは 官僚上がりの そういうやらしさ まぁ ああいう頭の良い人っていうのは 決して情では流されないからね。それが ああいう人の生き方なんだし 僕たちが あれこれ言う問題でもないけどさ、あまり いい感じではないね」

「ごめんね・・・ Mさん 実に申し訳ない Mさんには 多くの負担 そして 労力をかけてもらったのに・・・ 本当に嫌な思いをさせちゃって。本当に申し訳ない。この恩は必ず お返しします」と 新たなる 土地探しの意思表示をする私。

・・・と、 それからしばらくして M氏からの電話が鳴る。

「はいはい」と私。

「あつこさん、いやぁ びっくりすることがあってさ・・・ 今回は電話したの」と M氏。

「あの界川の土地あるでしょ。ボク たまたまね あそこの土地がよおおく見える人から仕事を頼まれたんだ。で、今朝 その人の住むマンションから その土地を指さしながら “いやぁ ボク あの土地、売りに出ていない土地を買いたいって人がいてね でも結局だめだった”って話を、何の気なしにしたの。そうしたらね そのお客さんが “Kさんの土地ですよね”って、おっしゃるんだよ」

「え?すごい偶然」と私

「いやいや そんな偶然というよりもね。その人、Kさんが***省の事務次官として札幌にやってきたときに、Kさんの奥さんとテニスクラブでお友達になったんだって。で、その人が言うのには Kさんの奥さんは この世の人とは思えないほど美しくってそれはそれは 知的で あんな女性初めてみた。っていうほどの才色兼備だったらしいよ。が・・・ね ここからなんだよ。30代で早死にしたらしいね。で・・・あっ・・・そうか って 合点がいったんだ。 そういうえば Kさん ボクが “Kさん、そんなに手入れ(伐採などの手入れ)がかかる土地で、お住みになる予定がない土地でしたら、これを機にいかがですか?と言ったときにね。一言さ こう言うんだよ。“分かっているんですがね・・・まだ 売る気になれないんですよ・・・”って」

私は その言葉を聞いたときに あの土地の持つ様子について・・・理解できた。

その上の建物暮らし方は、品よく暮らせる人が似合うだろうな。と感じたことは間違っていなかったのだ。

東大法学部を卒業し、***省官僚のエリートコースと・・・ そこへ 資産を持つ美しいお嬢様との組み合わせ。かつて都会でよくみられた 私たちの両親世代からいまの70代くらいまで続いた、能力高い男性の多くが辿った いわゆる逆玉といわれる結婚の形。またもや 私の勝手な妄想であるが、美しく聡明なお嬢様と若き日のエリートとの組み合わせは 周囲の多くの人々の目に幸福感を与えたのだろうな・・・と。

残酷にも、その美しく多くに恵まれた女性は、30代という若さで病気のために早逝される。30代ということは 札幌を後にしてすぐだ。

あの土地は奥様が好きで好きで買った土地だと その札幌でお友達になられた方がおっしゃっていたとM氏は教えてくれた。

余談ながらも 世間とは狭いもので、その札幌のお友達は私の母と知り合いというのにも驚いた。

初夏の風がそよそよと吹いている日に その土地の前に立ってみたことがある。

いい土地だな・・・と思った。 けれど なぜだろう どこか寂しそうなのだ。

この土地に建つ家を 頭の中で 描き始めた。

静謐な佇まいに、きちんと整えた暮らし方。硬質な家具が似合いそうな家になるな。と 思った。

残念ながら 私たちの 暮らし方じゃない。 どこか にぎやかで 色々な人がやってきて 出入りしてもらって、居心地の良さそうな椅子の上で お行儀悪く座っても許されるような家・・・が 私たちの身に着いた暮らし具合だ。

この私たちの身の丈に合わなかった土地は 30年以上もひっそりとずっと変わらずに札幌の四季を見続けている。ぽっつりと静かに 毎年毎年、雪が降りしきるのをみつめ、春の芽吹きを待ちわび、束の間の夏の心地よい風に身を任せ、そして秋の寂しさを孤独に受け止め繰り返し過ぎてゆく月日を眺めている。

 

その話を聞いた後、一人で また その土地の前に立ちそんな感情移入を勝手にしてしまったせいか 少し涙が出た。

早く この地に 素敵な家が建ちますように。相応しい人たちと出会い、人間の力と 土地の力が 融合しあえる そんな姿をみれますように・・・と そう願いながらその地を後にした。

 

お茶を一服

九谷のお煎茶セット けっこうな骨董のものを 親戚から受け取りました。

ここ最近、不思議な事象にみまわれています。

金銭そのものは 私のところにはまったく流れてきませんが。

その昔 繁栄のときを刻むことの出来た家の(現在は残念ながら没落したことに。家そのものがもう跡形もないわけですから)  その 栄華の名残りのような品物を もって嫁いだその家の娘たち 私の叔母や 大叔母たちが 身辺整理を始める年頃に。

その際に なぜか 私のことを思い出してくれるらしく。

めぐってやってきます。

最初は 困ったなぁ・・・と、特に着物(和服)など 大量にやってきたときは 途方に暮れましたが、 でも 物を整理したり きれいにして使おう。大切に ものに喜んでもらおう。と 気持ちをかけると 物が輝くような気がします。

そして 何より 一服される生徒さんの 美味しい の言葉が励みになります。

エレガント 

エレガントとはなんぞや・・・と、フランスにまつわる本なんかに出てきそうな課題であります。

このエレガントという言葉をなぞっている時は、どういうわけかわたくしの場合、インターネットで中古物件を観覧している場合に多いのです。

この中古物件、特に家具などが置かれていて 生活がありありと伝わってくるようなものを見るのが すごく好きであります。

それらをみながら、ううむ エレガントとは お金だけでは買えないもので また お金とうまい具合に相乗しながら鍛えられていくものでもあるのだな。と 強く思うのです。

1億円以上の物件の中には 頭をふりたくなるほど エレガントなものもあるし。こんなん・・・くれる。と言われても 欲しくないなぁというような 悪趣味の家もあるし。はたまた 何の記憶も残さないような 住まい方もある。と。

その逆で 2800万円くらいの値のついた物件で、住まい手のエレガントな暮らしぶりが 毎日の空気の粒子の中あちこちに美しく残された家もあります。

使い手によりそった形でカスタマイズされた台所。ここにこんな工夫をしたら暮らしやすいだろう。と金づちと釘で作った棚や、心地よく配置された趣味の良い家具。そして優し気に扱われた諸々の形。ときには小さな庭と出入りの出来る扉が台所からの動線に美しく設置されたりしている。

そして 2億円以上のものの中で、おそらく音楽関係の仕事の人の家だろうか。中目黒という洗練された街に建つその家には防音装置のついたオフィスめいた部屋が地下にあり、エレベーターがついていた。西洋式(トイレ、洗面台と共になった)のバスルームも各階につくられた個人部屋に其々設けられ、最上階のリビングルームには目の覚めるようなブルーのゆったりとした長いソファが曲線を描くように置かれ、それをピリリと引き締めるように幾何学模様のクッションがすてきなアクセントととして散りばめられていた。壁面はセンスの良い写真や絵で飾られ、ここで この家の人たちは 本当に寛いでいることが伝わってきた。きっと きちんとした出で立ちで。

そしてリビングルームの階下には食事室があった。食事室と呼ぶのに相応しいような作りなのだ。 台所は 対面式でもなんでもなく 料理をするためのオープンな部屋であり、そして 食事をするテーブルは 食事をいただくためにある。といった具合だった。 洗濯室や、なんとメイドルームというものまであった。 室内から床と同レベルのウッドデッキをつけた半室内ともいえる庭(バルコニー)に出れるのだ。その箱庭が えらく美しかった。

この洗練された エレガントな家は、色々なものを見聞きし それを仕事にし経験し、大きなお金に縁を持てた人が住んでいるものであるのは インターネットの画像からも伝わってきた。

美しいなぁ・・・とため息が出た。

残念ながら 私がこの人のインテリアの何か一部を真似したところで、まったく このようなエレガントな空間は作り出せないことは一目瞭然であり。 私には私にしか出来ない暮らしを コツコツと積み上げてゆくしかないことを 思い知るだけなのだ。

けれど

精一杯の衛生管理と、少しずつ少しずつでも 美しいものに向かって 生きてゆこうとする姿勢の中でエレガントという言葉はもしかすると宿ってくれるのかもしれない。と 思えた。

10万円を出して 一人かけのソファでも それは 素敵なものもたくさんあるし 高級品の部類だと思うが・・・なぜか ビビビッとくるものはないように思うのは私だけだろうか。

私は 私が20代の時に買った 店じまいセールで買い求めた28000円のソファが 死ぬほど好きであり、買った当時から表情のある家具だなぁと愛しく思っている。

この一人掛のソファは私の体の一部と言っても良いくらい。一緒に色々なところに行ったし、生地を張り替えたりして大切に使っているもので死ぬまで使おうと決めていたものである。

が、なぜに ここで 過去形を使ってしまうかというと。

いま このソファをぜひ交換してくれないか?とある人に請われているのである。北欧家具の Hans.J.Wegnerとかいう人のデザインしたレザーの一人掛用のフォルムのきれいなソファで・・・。実は上記の10万円くらいのよくあるタイプだったら 即NON! と言えるのだけれど。さすがに 有名なデザイナーさんの作った椅子だけあって 美しいし 座り心地もまるで宙を仰ぐように気持ちが良い。 ううむ 悩ましく いま 毎日 葛藤しながら 悩んでいる・・・。

 

 

パジャマ

すっかりと ツモリチサトさんのパジャマの大ファンになってしまった。

この 優しい着心地。そして夢のある模様など。死の床でもこのパジャマを着ていたいなぁ。着れるものなら。

これまで シルクのナイティがベストなもの。と 思い込んでいたけれど。

記憶を辿ってみたら 私が小学生くらいの時に愛用していた リンゴ模様のパジャマと質感が良く似ているではないか。

着ぐるみに包まれて すやすやと眠っている赤ちゃんのように 眠れるのではないか?と このパジャマはそんな魔法をかけてくれる。

それが ツモリチサトの世界。 この良さが分かってくるのも 昔の自分に出会い始める ある年齢を越えた醍醐味だろう。

 

Manage (ment)

この Manage どうにかする うまくする 愚かにもする そして 時間をなんとか都合する 処理する 都合をつける。という英語 自分は Money(通貨、交換の媒介物)から 語源はきていると信じているのですが、どうなのでしょう。

・・・これぞ林真理子氏の真骨頂。と、思える本「最高のおばはん」の中で

あるフードライターという職業を持つ30代後半の女性が、20代後半くらいから ずっと ずるずると妻子持ちの人と不倫をしている。おおよそ10年以上のその腐れ縁の相手に、300万円程貸してもらえないか?と頼まれる。その相手は一応そこそこの商社に勤め、部長職であり。持ち家のマンションはあり、一人娘も大学を卒業をしているのに なぜ?と思いながらも これまたずるずると

彼女は父親からの遺産の中からその金額を借用書もなく、銀行を通すと分かってしまうという理由から、その相手に現金で渡した。(恐ろしいことに)

それから一年たつが お金は戻ってこなく。段々と会う回数も減っていく。自分は騙されたのだろうか・・・10年以上の仲なのに・・・と 父親からの遺産がなければ こんなお金のことで嫌な目にも合わなかったのに・・・と タイアップもダメになったような仕事で、キャンセルにするべきであったようなパリの街で、偶然に出会った主人公であるハルコに、上記のようなことを相談してしまう。

すると主人公のハルコ52歳は、こう答える。

「その男のことはどうでもいいけど、300万円は惜しいね」と。

「え?」と驚く彼女に

「私が 300万円は勉強代だったと思って、その男のことはさっさと忘れなさい。とでも言うと思った? 冗談じゃないわよ。300万円貯めるってことがどれだけ大変なことか、よく知っているわよ。最初に事業を起こしたときなんか 別れた亭主に 泣いてお金の打診をした あの屈辱は忘れはしないわ」というような感じのことをセリフにしていたと思う。

そして、彼女はその30代の女性にこう指示する。

日本に帰ったら まず その男のところに請求書を送り、それもきちんとした書式にのっとったやつ。何の感情も入らないやつ。それをとにかく送り付け、そして相手の様子をみるように。と。

もう少し待ってくれ と言われたらどうするんですか? の質問に 「期限をつくる。そうね、今月中にしなさい。払えないって言ったら、マチ金から借りてでも返せ、って言うのよ」と。

そして 彼女は日本に帰り、ハルコから言われたとおりにした。

案の定、もう少し待ってくれと泣きついてきたので、マチ金から借りて返してくれと言い、それから期日までに払ってくれない時は、家庭か会社に話すって言ったんです。そうしたら思わぬ展開になりました。

と すでにパリから日本に戻っているハルコに電話で

なんと 奥さんが利息をつけて借金を返済に来てくれた。その理由は その不倫相手には、ハルコの睨んだ通り、もう一人女がいて、性質の悪い女でうしろにいた男の人が あれこれとせびっていたようです。それでにっちもさっちもいかなくなって、奥さんに泣きついたらしんです。との報告に・・・

ハルコは一言、こう言い放つ。

「今度の場合は、奥さんが向こうからやってきた。しかも下手(したで)に出てるお金っていうのはこういう時に利用したいもんね

夫が借金してなかったら、奥さんはあなたを上から見て嫌味をさんざん口にしたはずよ」

私はこの件を読んだときに、これぞ・・・林真理子だよなぁ・・・となぜだか妙に・・・感心したのをおぼえている。

最近、年を重ねるごとに この・・・お金っていうのはこういう時に利用したいものね。という言葉を自分に・・・ときどき 投げかけながら行動するときがある。

ひじょーに 日常的なことすぎて お話にもならないかもしれないが。先日、こんなことがあった。

ある対面式のお肉屋さんにて、ずっと 買いたかった 牛のもも肉が置いてあった。

いつもいく大金さんにはなくて、ある商店に入っている精肉店にあったのだ。

私は嬉しくなって「このモモ肉、焼き肉にするくらいの薄さで250グラムほどください~~~」と頼んだ。

すると そこのご店主は「これは 塊でしか売れません。それに 牛のモモ肉は薄く切っても使えないですよ。料理になりませんよ」と バシッ!と言い切る。

私は「なんだかね メキシカンの エンチラータとかっていうレシピがあってね。それに 牛モモの薄切りって書いてあったから 作りたいなぁと思って・・・そうなんだぁ この モモ肉って 塊でしか売れないんだ」

と そこのご店主は、原則に従ってといえばそうだし。頑固っていうとまたそうだし。まぁ 柔軟な対応は望めないだろーなーと 分かりながらも 私はその肉をずっと みつめてみた。 3048円。 グラム300円と書いてあるから 1キロくらいかぁ どうだろ。 そのエンチラータで250グラム使って あとは ローストビーフ? それでも 二人でローストビーフ500グラム以上食べるのきついなぁ・・・ あ 食べさせてもらうの大好きっていつも言っている あの人・・・母でも呼ぶか。で、残りの250グラムは カレーか煮込みにする。

っよし!買お! と 頑なに(流されまいと) 背中をみせている そのご店主に

「こちら いただいていくわぁ🌷」と つややかな声で呼びかける。

このつややかな声音の中には どこか 勝ち誇った印象もあるのか。

店主は えっ?と 少しひきつった表情で 私を見返す。そして おどおどと 「すみませんね・・・ お客さんの要望に応えられなくって」と なぜだか 謝りの言葉を述べる。

それに対して 目が笑っていたかどうか不安だが、にっこりと 「いえいえ、これって やっぱり ローストビーフが適切なのかしらね 料理には」と尋ねると「ええ、ローストビーフが一番だと 思いますよ」と 急にてきぱきと答える。 きっと ローストビーフとして使ってもらいたい一心で、この人、この品を店頭に出したのかな?と思うほど。

「じゃあ ちょっとそれにも挑戦してみますね」と ☻塊肉を手にし、その場を離れながら 私は こう思った。

・・・お金っつーのは かく使いたいもんだなぁ・・・ ああ 私に余りあるほどのお金がもし、あったのなら こんな使い方いつもしたい~~~~~! と 心で叫んでいた。

ごちゃごちゃ、しみったれたことを言わずに、金持ち喧嘩せず。言葉は悪いが お金で 多くのことは解決できる。

残念ながら いまの私には お肉単位でのことでしか その快感を得ることは出来ないが。

常に 念頭に このハルコさんの名文句 お金っていうのはこういう時に利用したいもんね を、置きながら 自問しながら生きていくように心がけたいと どこかで 思っている。そうでないと なぜだか お金があるのにお金の苦労をしている親戚のおばさんの様になってしまうのではないか? と、申し訳ないが悪い例で彼女のことを思う時がある。

その叔母は、妾さんのところに行ったきり帰ってくることのなかった夫の死後 多額の遺産が入っても それまで お金は使うものではなく、節約に節約を重ねて、少しでも貯めるものとしか考えなかった故に、使い方がわからないのだ。   人をみると お金が目当てで寄ってくると疑心を抱き。娘たちからは 税金でもっていかれないために 一年に何回か名義変更を強制的にさせられる。と、その娘たちからの攻撃に ただただうちひしがれる 毎日。って・・・ 私は思う。 おばさん。 妾さんのところに行ったきりの夫から 食い扶持を与えられるように 受け取っていたお金から 多くのことを学べと 言われても 時代が許さなかったのかもしれないけれど。

けれど なければないで嘆き、あればあったで苦しみの種にもなりえるもの。が もし お金の正体だとしたのなら。

お金に対する ハルコさんの意気込みは、日常単位からも持ちたいものだと。最近、よく 思う。

気働き

この気働きのまったく出来なかった(現在も・・・おそらくその傾向あり)自分が言うのもいかがなものかと思うけど。

女の子は、多くのことが例え出来たとしても、この気働きの全く利かない子は、あかん。と 思う。

気働き、気を働かす。 ということ。 なぜに これが 出来ん? と 自分に問いかけてみながら これまで生きてきたけれど。

ほんと・・・ 若いころから これが 出来ている人は、違うのよ。違うの 色々なことが。

一度 ほんと―に 気働きが もう少し出来るようになれないものかと 夜のホステスさんとかに弟子入りしようか。とまで、思ったくらい。 きっと あちらから断られたかとも思うけど。

灰皿持ってきて。と 言われたら ライターも 一緒に持ってくるのは今時、時流ではないにしても、書くものある? と言われたら 当たり前のように 紙とペンを差し出すとか。 石田光成じゃないけど お茶は最初の一杯は少しぬるめに、次は熱く。とか 何かしていただいたら まず最初のありがとう。そして 次に会った際にも その節は・・・とありがとう。と 記憶に留める。とか、あるお茶のお家元の 娘さんは、 お母さんから どなたかに偶然にでも会った際には、その方に何か お世話になったことはないか? と まず 一目散に 考えるように。それから挨拶と 教えられた。とか。

これは 家庭環境が ものを言うのだな・・・と 思ったときに 随分 我儘放題に また いくら親が教えてくれたとしても 聞く耳を持てなかった 私は 自分の失敗からしか学ぶことが出来ない。という 随分 遠回りで損な生き方をしてしまっている。と、思う。

そんな風に思っている中。

昨夜 小学校6年生の女の子を 窓際のカウンターで 読み書きを教えていた時に。

今 この寒中、外で仕事をなさっている方々がいて、その中に毎日、道路に立ち棒や旗を振って頑張っている女の子がいる。

その娘さんが、昨夜 5時近く(もはや暗い中) スクールの前の窓は大きい。外から 棒を振るようにみえたが あれは単に手を振ってくれていたのだろう。 私と 教えているRちゃんは 「なんだ?なんだ?」と 彼女に それでも 手を振り返す。すると彼女が近くに寄ってきて 手袋をスクールの前で拾ってくれたのだろう その手袋を 私たちの方にみせてくれた。 するとRちゃんが 「・・・あ・・あたしのだ」と呟いたきり、 動こうともしない。

私は  すかさず 立ち上がり、 Rちゃんの首、襟元を(お母様には申し訳ないが、昔の 猫をつかむような形で) ガシッとつかみ。

「Rちゃん! そういうときは まず 立つ! そして自ら近寄り、お礼を 言うもんだよ。 拾ってくれた人が なんで あんた(お母様には 怒られてしまうかもしれないが 幼稚園から来てくれている 彼女には どうしても 他人事とは思えないなにかを感じてしまった)の方に 歩み寄って持ってきてくれなきゃいけないの! そういうときは まず 自分から行く! そして まず ありがとうございます! そして 外で寒い思いして仕事をされている人には 寒い中 ご苦労様です! と言うんだよ。さあ 行くよ!」と すっかり大きくなった体を引きづるようにして 外に出て お礼を 二人 頭を下げた。

・・・と なぜに この子は 体が パッ! と動かんの? と 私はしばらく 不思議に思っていたが。

きっと 自分もこの子のような少女だったんだろうな。と 思いながらも いや 昭和は もう少し 子供も 大人に混じって こうしなきゃ ああしなきゃ。とか考える 環境があったようにも 信じたいが。どうだったのだろう・・・。

いま この時代、親が厳しく躾けたい。とか思っていても 社会が色々面倒をみてくれるようになってしまっているのだろうか。

社会の雰囲気が なんつーか 人を鈍感にさせてしまっているのではないか?

私はある 光景を思い出した。

10年くらい前だろうか 東京で地下鉄に乗っていた時に、乗車してきた女の子のバッグが扉に挟まってしまった。

女の子は叫んだ。 私は何かと思って ハッ! とそちらを見た瞬間、その中で すぐに体を動かしその子を助けた男の人が一人いた。 なんと 扉を力ずくで開き バックを中に入れてくれた スーパーマンだった。 その人が誰だか 私にはすぐに分かった。

なぜかというと その人が乗車してきたとき、 とても原始的な表情をした 目つきの鋭い人で ちょっと  怖かったからだ。

しかし その人は 実は 感度の優れた人だったのだ。 ・・・驚いたことに、信じられなかったが・・・彼以外の 他の男の人たちは その出来事が起こった瞬間、後にも、 スマホ(その当時は携帯?いや スマホかな?)をみながら ずっと下を向いていた。

その光景をみたときに ゾッとしたのを、今回の出来事とはちょっと違うけれど 少し重なって 思い出した。

鈍感になりすぎている 自分を振り返ってみる価値は この時代 重要だと 思った。

虎屋の羊羹

最近の自分で周囲の影響を受け、わずかながらも進化したこと。といいますと、他人様の家に伺う時は大体ですが手土産を持って伺うことに気を付けるようになった。

これは いい習慣をつけてもらえたなぁ。と、時々ぼ~~~っと 手土産の内容を考えあぐねてみると。

 

ある程度のお年で、健康志向の方には 厳選された高級塩(自分では決して買わないようなの)

オリーブオイル 等。

元気な子供さんのいる家庭には 若々しいお菓子。(和菓子でないの)

南アフリカのワインが好きという言葉 言っていたかなぁと 思って南アフリカのワインを用意したり。

あとは 華やかな美人には その人のイメージの花束。くらいが 自分の持っているカードだ。

そういえば 何かあると 美味しいチョコレートを(どこでみつけたの?)というような厳選されたものを小さな箱で必ず持ってきてくれる友人がいる。 彼女を思う時は チョコレートにワインに そして 花束。そんな 洒脱なイメージが彼女だ。

自分の親世代が 何かあると お遣い物には虎屋の羊羹 虎屋の羊羹と 騒ぎ立てる その虎屋の羊羹は 今時 どんな際に出番があるのだろうか・・・・ と、人様にものを差し上げることを、おぼえはじめた私は、時々そんなことをずっと考えていた。 そんな折に ジャストタイミングで 昨日 こんな発言をし 私を笑わせてくださった人がいた。

「あっちゃん いい? お遣い物は 仰々しくなく。が鉄則ながらも、それでもよ 心から お詫びを入れなければならない相手。そんな時には 何を持っていけばいいかわかる?」

「え・・・ 興味あります。な、なんですか?」

「・・それはね。・・あっちゃん。羊羹よ」

「・・・ブっ」と はじけたように 何故か私は笑ってしまった。 その人の言う間がおかしいのと。また 羊羹など 絶対求めたことのないようなタイプの人なのだ。

「へぇええ! そうなんですか 羊羹って そういう時に出番があったんですね」と ひとしきり感心する私に

「いい? それもね 虎屋の羊羹よ 虎屋の。 しかも 木箱入りよ!」

「おおお なんか 分からないけど 勉強になります。 木箱入りの虎屋の羊羹ですね。 一生忘れないようなアドバイスです。 ありがとうございます!」と 虎屋の羊羹のお遣い物の出番について、自分には無用なのかもしれないとまで考えていた私にとってすっごく Good Timingな 話だったのでえらく感銘を受けるお言葉だった。

木箱入りの虎屋の羊羹を持ち 私が参上した際には 心からの謝罪と みなしてください。

きっと そのアドバイスに真摯に向き合い 参考にし 実行する日が 長い人生の中であるはずです。いえ これまでにもありました。 その時に この アドバイスを知っていたとしても 事が好転したとは思い難いながらも 何か 違ったのではないか・・・と 思ったりしてます。