外回りの掃除

台風が長引き、少し弱まった9月1日にエイヤッ!と、中部国際空港への飛行機に乗りました。

そして、念願だった岐阜の郡上八幡で郡上祭り、飛騨高山を拠点に富山の八尾、おわら風の盆をみてまいりました。

岐阜県は個人的にとっても好きなところです。…なんていったって 大好きな綾野剛さんの出身地でもあるし>m<

さて、なぜに岐阜の街並みは大体 どこもそろって美しいのだろうか。と、思うことに
これは外回りの徹底した清掃のおかげなのではないか? と、朝の散歩をしながら色々なお宅の前を通っても、ほとんどの家がピシッと 家のまわりに雑草を生やすことなく、ゴミなどは無論あるはずもなく、落ち葉一つ落ちていないという状態を保っています。下手をすると水をまいてスッキリとしているお宅までみあたります。

こういう手当をしているお宅からは、家のお金のかかり具合とは関係なく実に立派な雰囲気が漂ってくるような気がします。

札幌で、住みながらも不思議に感じて仕方のないことは、どーして 大邸宅と称されるようなお宅で雑草を生やし放題にしても平気でいれる家が多いのだろうか。ということです。
店を構えていても 店回りの清掃に時間をかけているところは 光り輝く宝石のように目立ちます。普通は逆だと思うのですが…。

なぜだろう なぜ岐阜や他の多くの県の人たちに出来て、北海道 札幌の一角の街並みの人たちに出来ないこの差は何なのだろうか。と

家の教育、土地の風習を 北海道人は 受け継がなかったので、開放的だとよく称されます。
開放の自由とひきかえに 外回りをきれいにするという意識が身につかなかったのかな。に、しても もったいない。

関西の友人は、朝起きたらまず、家の前を掃くように親からの手伝いを言いつけられたと言っていました。
その差なのかもしれません。身につくには時間のかかるものかもしれません。が、身につけようと意識したら身につくものであると信じて
朝 2日に1回は 家、店の前の雑草をとり、掃き、水をまく。時間にすれば10分というところです。

Romantic

ロマンティックなタッチのものが 義母の好みだったのだな。・・・と、カナダの実家からやってきた ティーカップやリネンのものなどを眺めて溜息をついていたことがある。

究極のマザコン男、トンプソンはカナダの実家が売りに出て、たたむというときに

日本に船便でコンテナ一個分にものを詰め込み それはそれは飽きれるようなものも 運んできた。

絵画は まぁ 許そう。しかし・・・ リネンや トンプソンの母が若かりし頃に使っていたハンカチやら・・・ はっきり申すと 私にとっては ただの布切れ。・・・こーゆーものに高い船賃かけて・・・勘弁してくれ。と正直思っていた。

…が、時刻の中で リネンを使う姿勢で挑んでみよう。・・・と、試みていたら

自分の知らない世界が 浮き上がってきた。

私の狭い世界では 作ることの出来なかった世界。 リネン・・・って ロマンチックなものなんだなぁ。・・・と。 昔というか 義理の母の生きた時代は ロマンチックな 1800年代後半の人たちが作り出す世界がまだ 普段の生活の中に残っていたのだろう。現代のような無機質、つるりとした空間ではない。

現代でも そういう生活空間を好む人はいると思うけれど、そういった品物は アンティーク、骨董と呼ばれるようなお店にしかみあたらなくなった。

・・・で ハンカチの類。

こればかりは あんた いったいどーすんの? と 昔のサイズって あの女の人が小指をたててくしゃみをするときなど くしゅんっ と鼻先に当てるという意図だけに作られたようなサイズ。 現代の日本サイズの手を拭くための大判サイズではない。

これは ハッキリ言って ゴミ。・・・と私の目にはずっと・・・映っていた。

が、トンプソンの手前、捨てるわけにはいかない。

・・・が、今年の夏。ある 変化が起こった。

これを ファッションの一部にしよう。と、夏の間は特に ちょっと額の汗を拭いたり。手先を拭いたり

ジーンズのポケットからギンガムチェックの柄を出してみせたり。白い服には少しロマンチックな刺繍のハンカチを合わせる。など し始めた。

ハンカチは 夏服と合う。 と 思った。

トンプソンの母親は、女らしい女性だった。本当に亡くなるまで。

こんな ロマンティックなものを若い時代から 愛し続けた人は 90を超えても そういう人だった。

もてなし自分流

先日、友人2人が家を訪ねてくれた。 この祝日の存在が大変ありがたく。

翌日が平日で休みの定休日というのが 実に実に 貴重なのだ。

しかも!トンプソンはラオスに行き不在。

さあ 女友達を招こう! いくら肩肘張らない仲とはいえ、さて 何で招こうか。

と 決めたのが オーブンのパンそのままで作る パエリアと 普通のサラダ それにガスパッチョ。

その3品のみ。

自分が人に料理を作るとき まず3品くらいを目安にしている。 それ以上は雑な自分には難しいことがわかっている。

そして 一つだけ 課していることは、作る工程を必ず丁寧に丁寧に心がける。清潔に、丁寧に。味の美味しいまずいは そののちで。 プロの料理人ではないから とにかく新鮮なものと清潔さ。それだけである。

アルゼンチン、スペインと1っか月以上かけて過ごし帰国して3日目の友人と、旦那さんにお刺身をあたえて(犬のようですが)かけつけてくれた友に感謝。そして 札幌不在だからと、ニュージーランドのスパークリングとマヌカハニーのお土産の差し入れをしてくれたKさんに。

心よりの感謝を込めて。それなりに懸命に作りました。

平均年齢62歳の 女の集い。 少し遅めの桃の節句をイメージしてテーブルを意識してみました。

トンプソンのお母さんからいただいたリネンが大活躍でした。 お義母さん、ありがとう。

また、今度の会 今度はバーベキューできたらいいなぁと思ってます。

家周り、外周り

 

京都の人で一軒家に住んでいる人の多くは、 朝起きたら 室内の掃除より まず 外周りを箒で掃くようにと 母親から躾けられると、聞いたことがある。

 

京都に限らず、城下町、古い歴史のある土地の人たちは、きっとそのように言われているのだろうな。というくらいに

多くの家の外がピシッとしていて、雑草はあまりみあたらなく 初夏のころなど クレマチス系の花が 涼やかに玄関先に這わされ、目に心地がよい。暑苦しくない。

家の中より 家の外を重視するこのあり方は、歴史のある町に住む人の、知恵なのだろうな、と、自分も時々 思い出しては 実行する日もあったり なかったり。 真似はしたいと思っている。

立派な家ほど 雑草をとったり 家周りを掃き清めなければ、悪目立ちしてしまう印象を受けるのに、札幌の高級住宅街であっても 家の外までピシッとしている家は意外と少ないことに気づかれる人も多いのではないか。立派な家に住むというのも苦労なことなのだな・・・ と雑草が家の前の石畳から飛び出している邸宅を横目に ちょっとひねくれた気持ちの自分がいたり。

に、しても その理由は雪国のせだろうか・・・とも思いながら・・・ いや きっと親から口やかましく言われる文化がないからだろうか。と思ったり。

口うるさく言われて やっと 身につくのが習慣なのだろうな・・・とつくづく 時々思い立っては 実行する自分が偉そうに言えないが。 外周りは 意識して きれいにした方が得策だと 代々と続く知恵に敬意を感じる。

家周りを 一応 整えておくと、 実情はどうであれ、一見 その家は 成功しているようにみえる。みえることが 段々と 内実に追いついていくという具合。

内容が充実してから 家周りをきれいにしよう ではなく まずはなにはともあれ 箒と ちりとりをもって 家周りをはく 玄関周りをきれいにする。

それは 口やかましく言われることはなかったけれど 母親が それこそ思い出したように 言うことがあった。

そして お隣の方も 私にそう教えてくれた。

箒ではくのは なんとか できても 自分の場合、雪かきが 苦痛であるが。

見かけって大事よ・・・ まずは 朝起きたら いの一番は 外の掃除 と 私に教えてくれた人は 実母とおとなりの96歳の女性 その二人だけだったが・・・ これは真実だな と 思う。なかなか習慣にできないことだけれど、なんとか習慣にしたいことの TOP LIST であります。

はたらく 良さ

火曜日は スクールにとって週の始まりの日です。

ゆえに 結構 体が動く日です。

先日の火曜日は 教材室の整理と掃除 シナモンロールの試作 そして 自分の担当クラスが二つ。と あと 打ち合わせをひとつ。入れたので 時間で動く! というような一日でした。

従来時間の使い方が下手なのと 訓練の足りなさを自覚しながら、ここ最近は 残り時間の短さから 逆算して動くように少しずつなりました。

小学生のクラスは システム化を図ることとなり カリキュラムをつくり 一か月ごとの教材が入った箱を設置することとなりました。 そのスペースを作るための 整理整頓です。

それをしている間に シナモンロールの材料を こね機に入れて 20分こねて そして40分の第一発酵。

ちょうど60分。 整理と掃除をある程度できたあたりで 次の段階にとりかかります。 次の段階は両手を使うので違うことは出来ません。

と それが 終わったあたりに ちょっと交渉要素の入った 打ち合わせが ひとつ。

で その話し合いが終わったのちに 担当クラスの授業の準備。のちに2つ授業が続き。一日がDONE。

一日が あっ! という間に過ぎる 気持ちの良さを噛みしめながら

そうか。と 思い当たることが 忙しくしていると その中にあります。

頭があまり良いとはいえない 自分は 体を動かし 働くことで ちょうどいいのだな。と いうことです。

頭の良い人は 勉強の基礎があるから 効率性や 数学でいうところの因数分解とかっていうあの数式にそって物事を動かすことができるといいます。

でも それが 出来ないのなら 出来ないなりに 愚鈍でも とにかく体を動かすことでそこに何かが生まれてくるような気がするのです。

誰かが しみじみとこぼしていた言葉を思い出すときがあります。

「自分が一番苦手なタイプは・・・頭が悪いのに 欲張りな人間だ」と。要するに 話し合いができない。ということなのでしょう。

やたらと体だけ無駄に動かして 右往左往とすることもないですが

頭を使うことが あまり 長けていないのなら

機転を利かそう 体を動かして何かを表現してみよう 何もないなら掃除でもしてそこに風を起こすくらいに と思ったってよいと思います。

心を 体を 動かしているから ちょっとしんどい交渉めいた話も 弾みがついて 明るく 行えるような気もするのです。

そこに 画策や 策略めいたことを ない頭絞って 挑んでも あかん・・・ と 前のめりになって 不愉快に思われて終わりだと。

自分なりの やり方で 過ごすことを忘れずにいたいな。と 無理に どうすれば 効率がいいか どうすれば 利口な措置だろうか と それに囚われずに 今日一日に出来ることを求め 終えることが出来たら 夜のワインも美味しいでしょうし。

ひとつだけ 気をつけなきゃなぁ 自分の場合。 と 思っているのは 上記の

頭が悪いくせに 欲張り にはならないように 気をつけたいな。と いうことです。

 

 

ライフオーガナイザー2級講座を受けてみて

先日日曜日に、札幌市で行われた ライフオーガナイザー2級の講座に行ってまいりました。

なるほどなぁと思ったことは。

右脳 左脳のバランスによって 整理整頓 掃除の仕方、はたまた生き方 行動のパターンも違ってくるのだとか。

指を組んでみて 左の親指が上になる人は 右脳がインプットだそうです。

そして

腕を組んでみて今度は左腕が下になる人は 左脳がアウトプットだったかと・・・

もう一度 確認しないと 上記ちょっと怪しい部分がありますが

それでいくと 自分は 右左脳タイプの人間なようで。

当てはまるかもと 思ったことは 結構ありました。

直感で 全て自分で仕上げたいタイプ。

デザインにこだわる方とか。コツコツと仕事を出来ない。とか。

あとは それそれ! と思ったことは ラベリングは字より、絵や写真でないと ダメなタイプ。

本当にそうです。

あの ラベリングをきっちりとして きれいにファイルして 管理できるタイプの方は まさに私の憧れの左左脳さんタイプだそうです。

で、わかったことが

左左脳さんタイプの方は お財布は 機能一本で選べるのだとか。

私 きっと 多くの 右左脳タイプの方は お財布選ぶのも 機能もあるけれど きっと 自分が好きかどうか、人の目にどう映るか。というように選ぶのではないかなぁ・・・。と そこの違いが それぞれのタイプであるんだ。ということが発見でした。

自分の思考回路 行動パターンを 整理して 人が主役になり 生活を効率化してゆく。ということに 興味を持ちました。

で・・・ 一級の講座も 受けてみることにしました。

18時間なので 9月 10月 11月 と 時々 水曜日不在にしますが 思い切って 行ってきます。

一級の検定 なんとか合格出来たら 何かもっと皆さんにお伝え出来るかもしれません。

 

お茶を一服

九谷のお煎茶セット けっこうな骨董のものを 親戚から受け取りました。

ここ最近、不思議な事象にみまわれています。

金銭そのものは 私のところにはまったく流れてきませんが。

その昔 繁栄のときを刻むことの出来た家の(現在は残念ながら没落したことに。家そのものがもう跡形もないわけですから)  その 栄華の名残りのような品物を もって嫁いだその家の娘たち 私の叔母や 大叔母たちが 身辺整理を始める年頃に。

その際に なぜか 私のことを思い出してくれるらしく。

めぐってやってきます。

最初は 困ったなぁ・・・と、特に着物(和服)など 大量にやってきたときは 途方に暮れましたが、 でも 物を整理したり きれいにして使おう。大切に ものに喜んでもらおう。と 気持ちをかけると 物が輝くような気がします。

そして 何より 一服される生徒さんの 美味しい の言葉が励みになります。

エレガント 

エレガントとはなんぞや・・・と、フランスにまつわる本なんかに出てきそうな課題であります。

このエレガントという言葉をなぞっている時は、どういうわけかわたくしの場合、インターネットで中古物件を観覧している場合に多いのです。

この中古物件、特に家具などが置かれていて 生活がありありと伝わってくるようなものを見るのが すごく好きであります。

それらをみながら、ううむ エレガントとは お金だけでは買えないもので また お金とうまい具合に相乗しながら鍛えられていくものでもあるのだな。と 強く思うのです。

1億円以上の物件の中には 頭をふりたくなるほど エレガントなものもあるし。こんなん・・・くれる。と言われても 欲しくないなぁというような 悪趣味の家もあるし。はたまた 何の記憶も残さないような 住まい方もある。と。

その逆で 2800万円くらいの値のついた物件で、住まい手のエレガントな暮らしぶりが 毎日の空気の粒子の中あちこちに美しく残された家もあります。

使い手によりそった形でカスタマイズされた台所。ここにこんな工夫をしたら暮らしやすいだろう。と金づちと釘で作った棚や、心地よく配置された趣味の良い家具。そして優し気に扱われた諸々の形。ときには小さな庭と出入りの出来る扉が台所からの動線に美しく設置されたりしている。

そして 2億円以上のものの中で、おそらく音楽関係の仕事の人の家だろうか。中目黒という洗練された街に建つその家には防音装置のついたオフィスめいた部屋が地下にあり、エレベーターがついていた。西洋式(トイレ、洗面台と共になった)のバスルームも各階につくられた個人部屋に其々設けられ、最上階のリビングルームには目の覚めるようなブルーのゆったりとした長いソファが曲線を描くように置かれ、それをピリリと引き締めるように幾何学模様のクッションがすてきなアクセントととして散りばめられていた。壁面はセンスの良い写真や絵で飾られ、ここで この家の人たちは 本当に寛いでいることが伝わってきた。きっと きちんとした出で立ちで。

そしてリビングルームの階下には食事室があった。食事室と呼ぶのに相応しいような作りなのだ。 台所は 対面式でもなんでもなく 料理をするためのオープンな部屋であり、そして 食事をするテーブルは 食事をいただくためにある。といった具合だった。 洗濯室や、なんとメイドルームというものまであった。 室内から床と同レベルのウッドデッキをつけた半室内ともいえる庭(バルコニー)に出れるのだ。その箱庭が えらく美しかった。

この洗練された エレガントな家は、色々なものを見聞きし それを仕事にし経験し、大きなお金に縁を持てた人が住んでいるものであるのは インターネットの画像からも伝わってきた。

美しいなぁ・・・とため息が出た。

残念ながら 私がこの人のインテリアの何か一部を真似したところで、まったく このようなエレガントな空間は作り出せないことは一目瞭然であり。 私には私にしか出来ない暮らしを コツコツと積み上げてゆくしかないことを 思い知るだけなのだ。

けれど

精一杯の衛生管理と、少しずつ少しずつでも 美しいものに向かって 生きてゆこうとする姿勢の中でエレガントという言葉はもしかすると宿ってくれるのかもしれない。と 思えた。

10万円を出して 一人かけのソファでも それは 素敵なものもたくさんあるし 高級品の部類だと思うが・・・なぜか ビビビッとくるものはないように思うのは私だけだろうか。

私は 私が20代の時に買った 店じまいセールで買い求めた28000円のソファが 死ぬほど好きであり、買った当時から表情のある家具だなぁと愛しく思っている。

この一人掛のソファは私の体の一部と言っても良いくらい。一緒に色々なところに行ったし、生地を張り替えたりして大切に使っているもので死ぬまで使おうと決めていたものである。

が、なぜに ここで 過去形を使ってしまうかというと。

いま このソファをぜひ交換してくれないか?とある人に請われているのである。北欧家具の Hans.J.Wegnerとかいう人のデザインしたレザーの一人掛用のフォルムのきれいなソファで・・・。実は上記の10万円くらいのよくあるタイプだったら 即NON! と言えるのだけれど。さすがに 有名なデザイナーさんの作った椅子だけあって 美しいし 座り心地もまるで宙を仰ぐように気持ちが良い。 ううむ 悩ましく いま 毎日 葛藤しながら 悩んでいる・・・。

 

 

身だしなみ

 

髪を切ってもらうYさんとは、かれこれ 数えてみると15年くらいのお付き合いになる。

彼が50になるかならないか。で 私が30代の後半といったくらいに知人の紹介でお願いしたのが始まりだった。

15年間 多い時では毎月一回はヘアカットをお願いしていたのだから いいだけ その人のことを知り尽くしていてもいいはずなのに。

私たちは 最初の数年間 見事なくらい話すことがなかった。

職人気質のYさんは、今でこそ やわらかい雰囲気になったが、出会った頃は 話しかけられないほど 髪を切ることに集中していて 下手に話しかけて その集中力を乱すことなど小心者の私には、恐ろしくて出来なかったほどだ。

また 私も 話すことに熱中して手がおろそかになる髪結いさんより 無口でも手が動いている人の方が信頼できたし。何よりかにより 彼のカット技術は 自分にとっては最高峰だと感じている。

そんな 言葉を介さない間柄の 私たちは いつもの。 了解。 と  そんな言葉だけで 常に済んでしまうのだけれど。

昨日、たまたま 女性誌をパラパラみていて 歴史に残る 三人の女性のファッションアイコンの写真が数枚載っていた。

まずは 女性に根強い人気の ジェーンバーキン。 あの エルメスのバーキン を有名にしたフランス(イギリス出身)の歌手であり女優。 自然体の着こなしが得意で 白いTシャツにジーンズに海風にさらされたような風貌が素敵。

そして ジャクリーン ケネディ(オナシス) は あの大ぶりなサングラスに ストレートなラインに見えながらも 繊細な裁断で仕立てられたシャツや太目のパンツが ラグジェリアスな スポーティさを魅せている。

もう一人は オードリーヘップバーン。 ティファニーで朝食をの時のものかな? プチブラックドレスにジュェリーをきちんとつけて、髪を結いあげて、ハイヒールを履いている。 上の二人の服装に比べると、従来の女性らしい装い。

最近 ぽつりぽつりと話をするようになったYさんにおもむろに私は、こう尋ねてみた。

「Yさん、この3人の着こなしの中で どれが一番 Yさんなら 好み?」と。

Yさんは 60過ぎのおじさまである。ファンキーなTシャツに 夏は ショートパンツ 冬はハード仕立てのパンツ。といったスタイルの人だ。 ジェントルマンスタイルの人ではない。 ゆえに 私は 自然に ちょっとボヘミアンなジェーンバーキンスタイルの人を選ぶと思っていた。

が。

驚いたことに 指で示したのは きれいにきれいに仕立て上げたという感じの オードリーヘップバーンの装いを選んだのだ。

「ブッ」と 失礼ながら 私はむせてしまった。

「・・・ ちょっと Yさん・・・ この際だから もうちょっと尋ねてみてもいい? Yさんの好きな女優さんって・・・オードリーの他には、いったい誰?」と 私は 笑いを堪えながら 興味をもち聞いてみる。

「ん? ぼく? カトリーヌ ドヌーブ・・・が・・・好きかな」

「カ カトリーヌ ドヌーブ? って Yさんって ちょっと もしかして すっごく 分かりやすい 美人が 好きな人だったのね(笑い) ごめん 笑っちゃいけないけれど なんか なんか ね 結びつかなかったものだから。 ってことはよ ってことは・・・ 日本の女優さんなら あの若尾文子なんて すごく好きなんじゃない?」と 私が 失礼にも大笑いしながら 言うと。

強面の顔を ポッと赤らめながら。「もう ばっちり・・・」と恥ずかしそうに答える。

私は この瞬間に そうか と あることを悟りましたね。普遍的なものを。

どんなにファンキーな格好をした おじさんも きれいな女が好き。ということ。

この きれい というのは、生まれ持った容姿のことだけではなく。

汚いスポーツシューズのプレミアム物をありがたがって 履くといった ひねくれた感性ではなくて

普通の靴でも きれいに磨いて履くといった 分かりやすいきれいさの女らしさ。とか・・・

体の線を男っぽいラインで かっこよくみせようとするよりも。 既に持っているものを大切に引き立てようとする素直さとか。

ジェーンバーキンのような洗いざらしの雰囲気も 20代 30代最初頃までの年代なら 賛美されるものに映るかもしれないが Y氏は60過ぎのおじさんである。と、なると いくら 若いほうに目が行ったとしても 同世代は 50代以上になってくる。 白いTシャツと そのまんまのジーンズが似合う 50代というのも いることはいるのかもしれないが まず 大体は ちょっとくたびれた印象を残してしまうのは避けられない。はず。

それを鑑みて、分かりやすい きれいな身だしなみを重視した装いを よし。とするY氏の 答えは すごく自分の合点にいくものだった。

多くの人が 50代になったとたん 何を着ていいのか分からなくなった。これまで似合っていたものが 突然似合わなくなった。と 嘆く理由は ここにあるのかも、しれないな。 と そうか・・・と思う。

クローゼットから おもむろに出して ひっかけるように着ても なんとか様になったものが 似合わなくなってくるのが 残念ながら50代なのだろう。

和装をするように、仕立て上げるといった匙加減が必要な年代だというのに。

私を含め どれだけの中高年が きれいに仕立て上げようとする毎日の身だしなみを怠っていることか・・・と、Y氏の 独り言のような呟きが 耳に残る。

「ボクは、ヒールを履いた女性の方が 好きかな・・・どちらかというと・・」

私は自分の足元をみた。 ああ 今日は 街を少し歩くから ヒールを履いてきてよかった。 と いつも車なので移動の際のウォーキングシューズ や フラットなものが段々と増えてきているな 最近・・・と ひやりとした。 このセール時期に 自分に合う木型の店で 8センチヒール いや 6センチヒールを新調しようかと思い立つ。

桃井かおりのような魅力もおじさま方には受ける一方で、身だしなみを整えてゆくという 分かりやすい女性らしさも不動のものなのだろうな。と あれこれと 冷静に考えてみていた。

お洒落よりも 身だしなみというものを もう一度 考えてみようと 思えた Y氏との語らいだった。

真似したいこと

冬になり、多くの人が行き交う街の大型書店で気の付いたことがあった。

BO Body Odor いわゆる 体臭というの? 衣服についてしまいとれなくなるようなレベルの、言ってしまうと不愉快な匂い。

あれは 夏ではなく 冬の時期に気を配り、エチケットとし注意を図らねばならないものだったのか。と。

そうか。 冬のコートは毎日洗濯できるものではない。意外と汗をかく。ましてや子供などは外遊びで汗をかいたものを冬の間中、洗いもせずに着てしまうケースがある。防寒用の服を洗いもせず、風も通さずいる結果の匂いがそうか これなのか これなんだ。と 真冬の札幌市のと、ある大型書店で気づく自分の鼻は、東京に行ったばかりの19の夏、満員電車でのそれと同じものだった。

嗅覚の悪い自分がそういうのに気づくことは滅多にないのだが これは 自分自身気をつけねばならないなぁ・・・と 自分のや同居人の防寒ジャケットも、裏返しにして風にあてたり 洗うことは出来なくても 裏側をデリケート衣類洗剤を薄めたもので拭いたりと。やっているうちに

これって 家だけではなく どこかで コートをかけるときも 同じように裏返しにしてかけてもいいのではないか? と 思っていた矢先。

Thompson Internationalに札幌で有名な建築家の方がおみえになっている。

もちろんお仕事柄お洒落な方ではあります。そのうえに その方はいつも自然に自分のコートをスクールにある一畳ほどのクローゼットにかける。 そのコートに昨日何気なく目をやると なんと!仕立ての良いコートを裏返しにかけてあった。

おおお! これでいいのだ。 冬はこれでいこう。と確信しました。

昔 お茶の先生に、よくたしなめられたことを思い出した。 まず風呂敷をもっておいでなさい。

その風呂敷に自分の身の回りの物を包んでから それから ご挨拶です。と。

そーだ そんな教えもあったよなぁ・・・と、身についているのか身についていないのか あやしいもんだと反省しながらも。

気の利いたレストランに入ったときは まず コートを脱ぐ、または脱がせてもらう。そして お店の方に 必ず 預ける。 どこかへ行った際も コートをかけるところがないか。 それをみれるようになれたのは、あの教えのおかげであるの、かもしれない。

あの方は男性だというのに、この作法に加えて、コートをさらりと裏返しにしていることに いやぁ さすが 一流といわれる方なんだなぁ・・・と 昨日は改めて感心してしまった。

コートを裏返しにする。ということは 上記の問題も緩和できる・・・かもしれないし。それに 隣の人のコートが当たっても 自分のコートの表生地を傷めない。という 昔の知恵もあるのかもしれないな・・・。と考えさせられた。