I made a bad blunder.

やらかした・・・ と 英語で言う時 どういうのかしら。 トランプが使いそうな言葉だけれど
I made a bad blunder. あたりで やらかしてしまった。となるのでしょうか。

と、久しぶりに こちらに字を綴るような気がします。

中尾彬さんがお亡くなりになったのですね。 テレビに出て活躍されていた人が亡くなるのを聞くと 当たり前のことですが人は必ず死ぬことを改めて ほんとうに 確認させられます。 残念です。好きな芸能の方でした。

先日、こんな夢をみました。

雑踏の中を歩いています。そこは暗くて陰鬱な感じのする雑踏でした。
光のあたる 向こうの塔がみえているところに行きたいのですが、行き方が方向がつかめません。そこで後ろにいる人に
あちらへの行き方はわかりますか? と尋ねます。すると その人は お金をくれたら教えてあげる。と言いました。
私は 驚き とても 寂しい気持ちになって また てくてくと一人で歩き始めます。
少しだけ あかるい道に辿り着きました。 そこに犬を連れて散歩をしている初老の女性がいました。
私は、また 同じ質問をしました。 どうやって あちらへ行くには どの方角が一番 よいだろうか?と。
すると その人は とても親切に方角、道順を教えてくれました。そして あら、雨雲があちらにはあるわ。あなた、傘がないじゃない。うちに使わない傘があるからそれを持ってゆきなさい。返さなくていいから。とにこやかに渡してくれたのです。
私はその瞬間に 感動し泣き崩れ、大泣きし、目を覚ましました。

それはいい夢なのか と聞かれれば いい夢であったような気がします。とても 良い気持ちでしたから。

Self defense and governing system

 弥生時代の頃から、防衛と支配システムが成り立っていたのだからこれが生き物の在り方だと改めて思う。

 強いものが支配する。これはどうやったってなにをしたって変えようのない真理なんだよ。と、いう声に、それは そうだな そりゃ そうだ…と溜息まじりに弥生時代の生活あたりだと、自分の性質なら、このあたりかなと思ったのが 王の身の回りを世話する料理係。いやいやそこまでいければ大したものでしょ…そこまでいったら国家公務員くらいの地位なのかな その当時は。と、自分の育った家の流れをおってみて、知る限りほとんどがなんらかの商いをしていた家系からすると、まず高貴な家柄というのは望めないし、また、学者とか官僚とかはありえない。

 きっと自分の祖先は、このあたりだったのかなと思うのはやはりなんらかの行商をしていたような人。そのあたりと目星をつけた。

 なぜか吉野ケ里遺跡の人々の生活を垣間見て、悠久の昔に存在したであろう自分の血の中にわずかにも流れているその人のことを考えた。

 平均寿命50歳くらいと考えて 44人分 母、祖母 と辿っていくとその人にいきつく。
 

Wrinkle and deep line

弟の奥さんがエステサロンをしていることから一か月に一回、ボディと顔のマッサージを課しております。

先日、その義妹が「あつこさん、今日はすごい皺が目立ちましたよ。ここ ここの眉間のところ。いつになく 深い縦皺がくっきりと」と最後の方でキツイ一言をぐさりと。
「あらっ! そう? 気をつけなきゃ・・・なんだろう 原因は、あ!」…と必死に原因を探す自分。
「あれかもしれない…ここ最近、寝るときにさ…救いようのない内容の本を読んでいたのよ。それを読んでいるときにさ…わかるのよ。自分の眉間にすっごい皺が寄っているのが。それでも興味があるから夜の、もう目も見えないような時刻に老眼鏡かけて必死の形相で読む自分のことを ああ…いまの私の顔って、もともと良い造りでないところに ますます 悪いものが刻まれているような気がする。と、思いながら活字追ってたわ確かに」
「そう、それですよ。夜は救いようのない暗くなる本は読んじゃ駄目ですよ。いまだからなんとか皺伸ばしできるかもしれないけど、これが慢性化した暁には、もう手遅れですよ。すごい形相の人になってますよ」
…と、この弟のお嫁さんは 身長150センチより小さく小柄で、可愛い顔に似合わず、言うことがきっついのが特徴のヒトであります。

 しかし、彼女の美容にかける意識はズボラな私に、色々とアドバイスをくれるので、ズバリ本音のアドバイザーとしてありがたく聞いております。
 
 …そうか… そうかもしれない。 図書館から無料で借りれることをいいことに、自分ではおそらく購入しないであろうようなジャンルの本を借りてきて、ここ一週間ほど読んでいた。
そのタイトルも 「すすきのの女たち」 という夜の世界で生きる人たちの実話に沿った一冊だった。
 自分の知らない世界は気になるもので できれば やくざの世界も知ってみたいと思ってはいたけれど
すすきのの女たち を読んだくらいで、眉間に皺が刻まれるくらいなら ヤクザの本など読んでしまったら 一体、どういうことになってしまうのだろう…と 実話に基づいた感じの ノンフィクションはやめておこう。と、思った。
いや、結末が明るいとか 読んでいて 笑いを誘うとか 光の感じるようなタッチが入っていると どんなジャンルのものでも義妹に指摘されるような皺は避けられるのかもしれない。が、 読んでいて くらああくなるような 泥沼に入っていくような内容の本は、これからは夜に読むのは避けよう。

 あのスマホも寝室に持ち込みは禁止した方が良いというのも分かる。 検索で「水原」とかうとうものなら その内容に寝る前、どっぷりと浸かってしまい… それが 眠りに繋がるのだ。
 寝る前の 時間は 良い眠りに繋がるものを、これからは心がけねば。

Doing Doer

わかったことがある。

もっと若い時にわかっていれば もうちっと違う人生が辿れたのではないか?と思ったことは。

出来ないと嘆く前に すればいいことだらけで世の中は出来ているのではないか?ということ。

汚い皿があれば洗えばきれいになる。庭仕事もひとつひとつ手を動かしてゆくとどこかに光があたる。

ケーキ作りもそうだ。手を動かせばなんとかなるのだ。

頭が悪いと 私はあまりにも自分のことを嘆きすぎた。いったい何を考えていたのだろうか。

頭が悪いと嘆く前に、字を読めばいいのだ。問題を解けばいいのだ。問題を解いて解いて 自分なりの記憶術をどこかに見出して 自分なりに記憶にとどめてゆく方法を見出すようにすること。

机の上で 文字を読み 記述を読み、問題を解いて 出来ていくことが得意ではないと嘆きすぎることに時間を遣いすぎたと思う。

出来なくても、問題に向けて、問題を解く、そうやって愚直でも前に進んでいく。

巷には、字が上手くなければだめだとか、ノートはこう整然と書くようにとか、たくさんの方法が溢れている。が、究極は自分の汚い字でも雑でもなんでも することにあるんだ。手を動かし、机に向かい、一問でも二問でも、いや三問でも問題を解いてゆけばいい。庭でも手を動かした分景色が変わる。

頭がよくなることに汲々とすることはなく、きれいな仕事をすることだけに心を費やすのではなく、することのなかに自分の有りかが生まれるのだろうから、まず、自分なりに、する。

そうすれば、混沌のなかにも生まれるものがある。それでよかったんだ…と開き直ってしまった。

学生の頃にその開き直りがあったのなら… 努力のヒトになれていたのかも、しれない。

これからでも遅くない 残り時間をちらりと考えて、目のサプリをごくりと飲み込む。

おめでとう!

寒さ厳しい北の冬。それでも、朗報がはいってくると心に桜が咲いたよう。

大学へ進学の子たちは、すでのお知らせが入っていました。東京へ神戸へ、そして京都へと飛び立っていかれます。

そして高校、合格発表、昨日でしたね。

お母様たちからの嬉しいニュースは、もう推薦入学の子なら早くにいただいてましたが、公立高校、英語で自己採点だけれど96点。本当は満点狙えたのに。と残念がっていた子もいました。

皆さんにそれぞれの春がやってきたようです。

Thompson Internationalに高校になっても通い続けます。との言葉を各々からいただいた時には、嬉しさと同時に、気持ちが引き締まりました。

刻々と変わってゆく、成長期の子たちへ伝えてゆけるものをもった街角の英語を教える場所。そして安心して通えるスクールであり続けるために出来ること。

無理な経営をしない。教える仕事で蔵は建たない。を常に心にとどめて、まいりたいと思っています。

2024年から 高校生クラスには、月一回、TGセミナーの伊藤伸哉さんに担当をお願いする予定でいます。

伊藤信哉さん経歴

幼少期を米国エバンストンで過ごし、東京大学へ進学。26年間で800人以上の留学生をサポートし、ハーバード大学やMITなど有名校への進学を実現されてきました。

Thompson Internationalでは、月1回、大学受験対策等を受け持っていただく予定です。

 

この小さなスクールにやってきたことで、英語から多くのことへの興味を引き出し、自信と優しさとを持てるそんな人生を送られますように。

いつも この小さな学校で応援をしています。

Thompson Internationalの大人の生徒さんたちは、本当に自信と優しさに溢れた方たちばかりだなぁ…と、はた…と学生さんたちへの想念を語りながら、いま思いました。

あ。そうか…。ご利用くださる大人の生徒さんたちの残照が、子供たちにも伝染してくれている。

そう思えました。

 

The News

あることにこの度、気づきました。

地方新聞 北海道新聞などの、28ページとか そのあたりにある、全国版にするほどでもないような類の刑事事件の記事の中に、非常に面白いものがある。ということを。

先日、理由あってそのあたりの記事に珍しく、目をあてておりましたら、自分が読みたかったNewsの隣に

盗撮の示談金名目詐欺疑いの2人逮捕。 という見出しが。

なんだ?これ? ‥‥と読み始める。

ある商業施設で盗撮をしていた男を、その逮捕された二人は目撃し、でっち上げた話で盗撮した男からお金をだまし取った。 それは、盗撮した相手の女性は盗撮されたことを知っていて、示談金200万円で警察には届けないことにすると話はついているが どうする? と 仲介役を装い示談金をまきあげるものだった。

その盗撮した男は もともと (強姦でもなく盗撮ぐらいしか出来ないような男だから) 度胸がないゆえに ←これは あくまでも私の感想。その示談金を言われるがまま支払った。が、のちにおかしいと思い警察に届けた。 ←これには 読みながら自分も驚ぃた。いったいどの面下げて警察にその事情を報告したのだろう。その様子を想像するだけでも笑いがこみあげてきた。

結果として その示談金を受け取った二人組が詐欺罪として逮捕。と、しっかりと実名で新聞に載っている。

しかし、その盗撮した男は 名前載っていなかった。はず。

こういうことを なんと称するんだろうか… うわまえのうわまえをいく? いや、底の底をいくようなお話。

この盗撮した人の罪は もはや マイナスのマイナスと うやむや状態となり、お咎め程度で終わってしまった? と、いうことか?

全国版ニュースについつい目がいきがちな自分でありましたが、この地方新聞のそのまた地方ニュース…の中に すごく すごく 目を見張るようなものがある。くだらなさの中に何か考えさせられるものもあるように感じるのは いま わたし 暇なんでしょうかねぇ…。

縁 繋がり そして 運

昨日、ある方の葬儀に参列させていただいた。

お別れに行きたいと思わせる、そういう方だった。

冷静に考えると、前のスクールの内装の解体工事をお願いしたことが基本にある間柄でしかないことから言えば、告別式に伺うほどの濃さでもないように捉えられるけど、縁のある方で、そして、とても後味の良い気風の方だった。

スクールの荷物を、自分のとこのトラックだしてやるよ。と、空っぽのトラックに荷物を次々と、解体作業の延長のような放り投げるような粗さではあったけれど、積み上げて、数ブロックさきの新設の場所まで運んでくれた。

その後も、鏡を吊るしてくれたり色々なことをしてくださった。

で、スクールの2階に引っ越ししてきた母の住まいの仏壇の下に棚をもちろん有償でお願いした。とても良心的な価格で腕の良い大工さんの息子さんも助手に連れて、その棚は出来た。その後にも、色々なものを金づちと釘で 取り付けてくれたり。 結構大変なこともあったと思うから、それに対して お代をと求めても、こんなんに代金もらったらばち当たるよ。と、一笑して背中を向けた。

そのHさんが、1月29日の少し気温の緩んだ日の朝に、南区にある自分の作業場へ朝7時に行き、そこで亡くなっていた。と、連絡をくれたのは共通の知り合いのMさんだった。

このMさんは、偶然にもHさんの高校時代からの友人で、私も20年前くらいから不思議な縁で繋がっていた。更に、なぜにHさんに解体をお願いする運びになったかというと偶然にも、Hさんは、トンプソンが尊敬して止まない素晴らしい腕を持つ大工さんのH君のお父さんなのだった。

この頃、とてもとても強く思うのだけれど。

人と人との縁が繋がれてゆくときは、ものすごく 強烈な縁を持つ相手が必ず、その渦のなか。というかサークルの中にいて。

私たちは その中でビーズの様に繋がって、お互いの誠意や思いやりや、または 友情であったり、情を交わし合ったりしてゆくのだろうかと。

この数十年を振り返ると、夫との出会いも含めて、自分にすごい影響力を持つ結果となった相手というのは、多くの人々が、お付き合いは考えた方がいいと思う。と、忠告をしてきた。…、と苦笑いとも、それこそ一笑で、吹き飛ばすようにも。いまとなっては、その忠告してくれた方々の多くとは、皮肉にも縁が遠のいてしまった。その付き合いを考えた方がいいと言われた相手の一人は、夫となり人生の山あり谷ありを一緒に過ごしてくれている。そして もう一人のMさんは。自分の人生に多くの影響を与えてくれた人だった。と、いまならハッキリと断言できる。

Mさんは、確かに普通の人の一般的な常識からいくと、お付き合いするには、ちょっと腰がひける相手かもしれない。

バブル経済の真っただ中はバブルの泡の中で生きたような人。と、私が初めてMさんと出会ったときは、その勢いを、バブル景気がはじけた後でもまだ、どこか引きずっていて。その勢いをどこにぶつけてよいのか分からないような様子だった。

でも20以上年の離れたその方は、不思議な縁のある人だった。なにというわけではないが 色々なところで繋がった。また、別に男と女の関係になるはずもないようなこの私を相手に、よく心にかけてくださったと思う。

そして、ある時、日本の法治国家権力に自分は牛耳られるのはまっぴらごめんだ と 運転免許停止となっていた免許証でずっと運転をし続けていたことで、ついに塀の向こう側に1年近く入るということを、人づてに聞いた。

私は、もうMさんとは会うこともないんだな…と 思いながらある日、交差点を歩いていた。

そうすると、向こう側から A子さーーーーん!と 大きく手を振って近寄ってくる人がいる。まるで子供のような まっすぐな笑顔で、近寄ってくる。

私は その瞬間に分かったのだ。 ああ この人との縁は強いんだな・・・ その満面の笑顔をみたときに、全てを諦めたように 降参したように 私は、悟った。

わ! Mさん!! Mさん! 刑務所に入ってしまうって聞いたんですけど、ホントですか???

と 言葉の運び方を知らない私は、あられもない言い方をし尋ねた。その失礼な質問にも少し笑った顔のまま、そうだよ 明日から行ってくるよ。と答える。

えええ!!明日からって なんか普通に スーツケースなんか持って仕事しているじゃないですか。と驚く私に そりゃそうだよ 色々と迷惑をかけてしまうから その前にやることだけはやっておかないと。と。

Mさん、少し時間あるんですか?もし あれでしたら そこでコーヒー そして ケーキ食べませんか。今日は私がおごります。 これまで たくさんMさんにお世話になって、ケーキくらいじゃ足りないけど。行く前に ケーキ!食べましょ! と 苦笑いのMさんと、店内でしんみりとコーヒーとチョコレートケーキを前に話したことを今でも忘れられない。

あちらでじっくりと本でも読んできますよ。と言い残して、それから 本当に1年間、Mさんは姿を消した。

そして 1年が過ぎて数か月くらいした時に、Mさんは同じ笑顔でスクールにふらりと現れた。

背広の肩の線が合っていないことがすごく印象的だった。 痩せたけど いいダイエットになったよ。と、衰えたという印象は全くなかった。

それからの数年は、Mさんは口では言わないけれどきっと、大変だったと思う。まず免許をしばらくとることを許されないから 歩き、公共の乗り物とで仕事をし、これまでのMさんの様子とは一転した。そして自分で会社をしばらく起こすわけにいかず、それでもMさんの能力が欲しい人はたくさんいて、仕事先には事欠かなかった様子だけれど、やはり良い相性のパートナーと出会うまで少々時間がいったように覚えている。

その時、自分なりに何か恩返しができないかと、自分たちは前の中古の家をMさんを通して購入することにきめた。 そうしたら そのことをMさんは 口ではあまり言わないけれど、誰かに 感謝しているというようなことは言っていたらしい。

しかし、その後のMさんの仕事での発展ぶりは、もうそんな私ごときのちっちゃな温情など鼻にもひっかけられないような勢いをみせることとなる。

いま、Mさんの…(言葉は 悪い響きかもしれない)が、地上げ いや 土地開発の土地は、この札幌で多くみられると思う。

この15年くらい Mさんの仕事の仕方、不可能を可能にかえてゆく人って実際にいるんだ。と、驚くほどの交渉力。そして不思議なありかたを みせてもらったと思う。 少し 危険なくらいの 一本の細い綱の上をものすごい集中力で渡ってゆくその姿は、すごい金額を動かしているのだろうけれど、当の本人は全くお金に執着しない。お金を、この人はみていないな…と 驚くことが重なった。

前のMさんは知らないが、刑を終えた後のMさんは、前もそういう性質の人だったのかもしれないが、自我をどこかへ置き忘れたようなくらい、自分で万屋のようなことやってますよ。と、言うくらい、一銭の得にもならないようなことに、目を輝かせて奔走していた。人の問題解決に精出して仲介し、そして、本当にこの人の頭の中はどうなっているんだろう。と、思うくらいの頭脳の回転の速さと、彼独特の交渉能力で多くのことを解決してゆく。

夫がこう言ったことがある。Mさんだけは、自分の知らない日本人だ。と。

20年近く年月が過ぎる中で、なぜか、Mさんとは交流が続いている日常がある。接点などほとんどないはずなのに。いや、土地をめぐっての接点があったのか。そうか、そういう接点があるから繋がっている。いや、それだけでは ないような気にさせるのがMさんという不思議な人だ。

2年近く土地を探している中で 笑いあり、涙ありの思い出の中で、売りに出ていないのに気になる土地がありMさんに相談した。売りに出ていないその土地の持ち主が神奈川に住んでいることが分かった。なんとMさんは色々な情報を(いま個人情報で色々うるさいのに)たどって、神奈川のその土地の持ち主の家まで実費で2回足を運び、交渉してくれた。残念ながらその土地は縁がなかったけれど。その後、また売りに出ていない土地の持ち主を口説きおとしてくれて、今、自分たちの終の棲家がそこに建っている。

そして、気づくと、建築士さんも 10年くらい前にMさんの紹介で知り合ったKさんに繋がり。なんだかわからないけれど、あのずけずけと色々なことをお構いなしに聞いてくる、おかまいなしにしゃべくりまくるMさんが中心に自分の交流関係が回っているような錯覚に陥るくらい… 現在の自分にとって大きな影響、運を与えてしまっている人がそのMさんという人だった。

かなり話が 長くなってしまいながら、一体、何を言いたかったかというと。

一人の個人に影響を与える相手というのは、どんな人にも必ず一人か二人はいるように思えてならない。

それは両親で始まる人もいるし、親との縁が薄い人も、成人まで生き伸びることが出来たら、誰かに必ず会ってゆく。その時、私の場合は、どういうわけか… 正よりも負の要素が多いようにみえた相手の方が後の自分への影響がある相手たちだった。それが果たして、良い運気を運んできてくれる相手とは全面的には言えないかもしれないが、影響を与えてくれて、自分との人間関係を育ててくれた間柄でいてくれた。

それが人との縁なのだと最近、抗わないようにしている。どんなに恋焦がれる相手だって、縁のない星のもとではもう、どうしようもない。そして、どんなに素敵だなと思う相手でも(男女問わず)、相手の方が自分をどのようなポジションに置いておきたいのか。それは必ず尊重しなければいけないと思っている。

そんな中でも、自然なほど、何か強い力で縁のある人というのがいてしまう。それならば… 人間関係はもう、その中で精一杯の誠意と友情を交換し合ってゆけばよいのではないかと。その要となる人を軸にそれに纏わる縁を出来る限り、大切にしてゆけば良いのかもしれない。と、思うことがある。

幼稚園からの幼馴染。小、中学校からの友達も、そういう人たちの一人なのだと最近よく、思う。

HさんとはMさんとの繋がりの中で出会ったような形となり、これまでも続いていた。

本当によくしてくださったと思う。いい思いでしかない。

だから、最後のお別れに行きたいと思うそんな相手だった。

Arts

アートのない世界は 一体、どんな様子になっていたのだろうか。

シンガポールで 心打たれた 一枚の絵があった。

1950年代のシンガポールの様子を描いたもので。

衛生管理局のお役人さん(普通のお兄ちゃんにしかみえないが)が 路上の魚売りの衛生面を厳しく取り締まろうとしている様子の一枚だった。

何があったのだろうか・・・

商売に使う魚が アスファルトではないような道の上に、散乱している。それを 黙し、大きな変化の前の抑圧に耐えるように拾う姿の行商人。

人々の冷たい視線。変わってゆく時代。政府の理不尽な取り締まり。

これまで こうやってやってきたじゃないか。俺はこういう生き方しかしらない。

それを今日から 違う生き方をすれ。と 一体 どうすれっていうんだ。

そう 下を向き、黙って魚を拾うこの魚売りの背中が・・・

シンガポール自治州となり、シンガポール共和国となってゆく その時代の大きな変化に ついてゆけない一人の人の姿を語っていて。

こともあろうか その絵の前で ジワリと涙が。

いつの時代だって、時代に取り残される人はいる。

いやいや 私も すでにその一人だと思うが。

しかし、このシンガポールの激動の時代は、いまの私の、この日本における時代についていくのに右往左往の数倍、辛いものがあったのではないか?・・・と

一枚の絵で涙ぐんだのは、自己憐憫・・・そして共感。と、諸々のものが入り混じってしまいました。

2024年スタート

あけましておめでとうございます。

2024年 本日よりスタートしました。

日本の年明け、まさか、元旦から大地震がこの日本のどこかで起こるとは…自分の一生の中では想像をしていませんでした。

被害に遭われている方々へ かける言葉が どこをどうやっても出てこないのが ほとんどの人の現なのだと想像してます。

影響力のある人たちは 言葉より 寄付 出来ることを と呼びかけているかと。

日本の片隅に住みながら… 小声ですが。そうなのだろうな…と思います。

生きているということを 考えさせられる 年明けとなりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

Thompson International

トンプソン水上 敦子

スクールのお休み

寒さが身にしみますね。 道路もつるつる。足元お気をつけて!

さて スクール12月22日から2024年1月8日まで冬の休暇をいただきます。

長いですね・・・長いといえば 長い。ので、通常は冬期講習などを行うといったところなのですが

今年は 冬期講習(無念)ながらないです。

今年の冬はトンプソンに引きずられるように 赤道直下の国に行ってまいります。 あまり行きたくないといったら怒られるので 黙ってますが。

日本人は 日本でお正月を過ごしたいのが本音。

と、母が心配だから とかなんんとか 言い訳をつくり、自分だけ年内に戻ってきて 年末年始 なんと年の暮れと一月一日から女友達を招びパーティ、食事しよ。ということになっております。^m^

女友達も あれだけ 20代 30代 40代は 恋人のため 家族のため 子供のため と 年の暮れ 年始に集まるなどかつてはあり得なかったことが。 50を過ぎると この指とーまれ。と 声をかけてみると とまってくれる人も ぼちぼちと出てきてくれる その不思議さ。 生きてみるものです。一声発してみるものですね。

スクールの皆様へ年末のご挨拶へ トンプソンの親友から送られてきた静岡のお庭で採れた無農薬レモンを使って レモンケーキを数度に分けて焼き上げました。

来年のスケジュールと年末のご挨拶。感謝を込めて 一口サイズ 召し上がってください。

今年も本当にお世話になりました。コロナの騒動が少し収まったとはいえ、まだまだ色々なことに注意をはらわなければならない日々のなか、皆さんの笑顔がスクールを照らしてくださいました。

本当にありがとうございます。

本年は多くの学生さんたちが 実用英語検定2級、そして準1級の壁を乗り越えていかれました。

一人でも多くの方に、Thompson Internationalできっちりとした英語の土台を築いてもらい、そして力強くそれを生かして 勉強を 人生を楽しまれる。そのことを心から応援しています。

どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。

Thompson International