積丹ブルー

積丹 神威岬 美国町へ一泊 癒しの旅へ行ってきました。

積丹ブルーが 美しかったです。 鳥も嬉しそうに鳴いていました。

私たちも 嬉しそうな鳥の気持ちそのものになりました。

楽しかったです。

 

 

整形手術

大きなため息で 「整形・・・って する価値あるものなのだろうか・・・」と呟くと。

「やめときなさい。 一か所じゃ済まなくなるから」と家人に窘められる。

どーゆーことよ?と、一瞬ムッとするけれど そうかもなぁと納得できるほど

一か所ではすまなくなるもの。 って 整形と家の修繕工事なのね。と、つくづくと思う。

神の創造で アインシュタインの “ I cannot believe that God plays dice with the cosomos”  「私には、神が宇宙を相手にサイコロを振ると信じることができない」 という言葉はあまりにも有名ですが・・・

神様の不公平・・意地悪。と、思うことが世の中たくさんありすぎて・・・それも 神のお考えなら・・・僕である自分も受け入れましょう・・・(涙)というくらい 世の中というのは不公平にデザインされている・・・その最たるものが顔の造作だと・・・また 大きなため息が。年月は全ての人に平等に訪れる。とはいえ、先輩の友達をみても やはり 美人は 年とっても美人だ。と 思う。

Thompson Internationalに小学生くらいから習いに来て 高校もずっとやってきてくれて 今年 慶應義塾大学に一般入試枠で合格したという 勉強が得意なHちゃんという子がおりました。英検準1級の試験まで 試験に落ちるということを知らずにいるような子で、準1級の試験後に 「水上シャン(彼女がさんというといつもシャンというように聞こえました)、今回 準1級落ちたかもしれない」と涙声で悲壮な顔で訴えるのです。私は 「いいっしょ これまで落ちるということを知らずにやってきて 高校1年生で準1級受けられる子なんて そんないないよ。それだけですごいんだから 何もそんなに悲観的になることないっしょや」と、ぼんやりと受け応えると。

「何を言っているんですか 水上シャン! いいですか! よく聞いてくださいよ。私の行っている学校に(札幌の超進学校)ですね。私の 大っ嫌い!な女の子のグループがいるんですよ。その子たちがですね 今回2級を受けているんですよ。で、きっと 受かるんですよ。そうするとですよっ! そうすると 今回、私が準1を落ちてしまうとすると、次は あの子たちと私は 同じ土俵に立つ!ということなんですよ。・・・・そんな そんな屈辱に・・・自分は耐えられないっ・・」 と、本気の表情で泣く素振りをみせたりする よーな 面白い子でした。

ある日 勉強の合間の雑談でまた、吹き出すような こんなことを言うのです。

「わたしは、顔とか 女であることとか そんな 頼りにならないものをあてにするよりも、勉強 自分の能力を高めることにしたい。 見た目とかそんなのは いつでも 風化してゆくけれど 勉強は自分を裏切らないものの一つだから」 と 高校2年生くらいの時に そんなことを語って聞かせてくれる まぁ なんともボキャ数の多い子でした。

私は そんな彼女の語りに 「Hはさぁ、自分が頑張った分 応えてくれる 頭をもって生まれたから よかったね・・・その幸運に感謝しなよ。 自分がこれだ と思うものを信じて 投じてゆけるものを 持てた幸せ。それを皆が持てるものではないんだからさ・・・」と 言えるだけでしたが。

これから 彼女は念願だった大学へ行き、そして 社会へ出て、きっと 競争の中で打ち勝ってゆくそんな人生を歩んでゆくのでしょう。

大学合格の報告の電話を切りながら

彼女を待っている人生は どういうものなのか ということを 思ったときに、そこに やはり 神の存在があって欲しいな・・・と 彼女が大好きだからこそ 私は なぜか そう願ったのでした。

自分の顔の造作には 神などいるものか と 思うくせに。

彼女のこれからの人生には 神の計らいが うまく うまく 存在しますように。と願うのですから 矛盾していますよね。

神様は その人のいいように 計らってくれる。

賢さと愚かさの間にある違いは、賢さには限界があることだ” これも 賢者の王者 アインシュタインさんの言葉らしいです。

勉強は自分を裏切らない。と 言った 17歳が どんな34歳になってゆくのか 15年後の あなたにとても興味がある 水上シャンは もしかしたら もうこの世にいないかもしれませんが、 いつか きっと あなたなら 上記の境地に立てるのではないでしょうか。そのときには 愚かさの中でしか学べないような 水上シャンのような人に色々なことを 面白おかしく 話して聞かせてください。

自分が持てた能力に心から感謝して人のために還元できる 人を勇気づけられる そんな人になっていて欲しいなぁ。と、蔭ながら応援しています。

そうだ 顔の造作も 人を幸せにできるレベルになって 初めて 価値があり、輝くものなのだから・・・

頭の良い人は 頭の良さで 人を幸せにしてあげてください。

よろしく頼みます。

お客様

お客様は神様です。と、三波春夫さんは歌っていた。が、ほんとーにそうだと思って歌っていたのなら、あなたはえらい。と思う。

自分もじゅうぶんにおばさんだが、私は 勇気を出して言ってしまうと、お店の店員さん相手に、買いもしないくせにだらだらと話し続けるおばさんが大嫌いである。付け加えると 後からお客さんが来てもおかまいなく我が物顔で 独占状態を、ものともしないような人のようにはなりたくないなぁ。と いう目でついつい、みてしまう。

で、 これはかなり偏見もあるかもしれないが そういう人の多くは 自分を素敵だと信じているタイプの中高年に多い・・・ような・・・気がするのですが、どうでしょう(ちょっと気弱になる)。

本日 久しぶりに 雑貨店も兼ねているカフェSに取りおいてもらっているキーホルダーを買いがてらお昼も食べてこようと行ったところ。入店すると華やかな笑い声がする。お洒落で素敵な60代くらいの人が一人しかいない店員さんと あれやこれやと品物を楽し気にみている。 ああ これは長引きそうだな と 買い物はお昼を済ませてからにしようと 二階のカフェでサンドウィッチとコーヒーを頼んで落ち着くと、その妙齢の女性の ちょっと人を魅了するお話を軸に 接客する人の声が高らかに店内に響き続ける。

聞かなきゃいいのに 聞こえてくるものだから ついつい 耳を傾けてしまうと、そのお客さんの、素敵な、どこかでなにかの話が続く。 で、まだ若い、可愛らしい店員さんは、すっかりとその素敵そうな女性のお話にうっとりと ハイな様子で対応し続ける。 ひねくれたものの見方の2階席に座る人のことなど全く視野に入っていない無邪気さが、こういってはなんだが なんつーか・・・段々と勘に障ってくる。という始末。

で、このお客さん これだけ話し続けるからには どれだけのものを買うのだろうか? と 「じゃ・・・これ、いただくわ」の声を なぜか 2階の席の無関係の私が待ち構える。しかし、一向に その気配はない。

そこへ、勢いづいて入店されてきたお客さんがひとり その二人の声高らかな会話を中断させた。

そのお客さんは あるものを目掛けて入店されたな。と、二階にいる私の目からも一目瞭然で分かった。

しかし、そのお客さんの出で立ちは、そのお洒落なお店の雰囲気からは ちょっと外れるものがあって 会話に盛り上がっていた二人もそう察知したのだろうか、放っておこうという感じでまた二人の会話が始まろうとした瞬間、「ここにあった あのガラスのポット!もう一回り大きいのは売れちゃったんですか?!」という 地のままの声に 若い店員さんは何かを返答したのだ。が その言葉に お客さんの声だけが「えええ~~~ 次の入荷が11月う?あの時もう一度家に帰って確認してから来ますねと言っていたのに」と叫ぶ。 それに対し 店員さんは「週末にある方がお買い求めになってしまって」と、 その声音には ちょっと不服そうななにかが潜んでいるようにも感じたのは 私の行き過ぎた感じ方だったかもしれないが。

でも、そのお客さんは とにかく 買いたいものがはっきりとしていたので、そのオブジェクトに向かい すり合わせのやりとりが成されていき、店員さんと お客様の間にもとりあえずの、笑い声が・・・ 「ホッ・・・」と 私は一体 サンドウィッチを食べながら何をしているんだろうか・・・。と、あれ? そーいえば あのおばさん 静かだけどまだいるのかな? と 下を覗く。 と、まだいたが これ以上 いても相手にしてもらえないんだろうと 分かったのか 退散してゆく。 当然 買い物袋はない。

名夫人の1万円も、どこかのお姉ちゃんの1万円も 同じです。 とは、よく言ったもので、一万円は一万円 販売する人は その一万円に対して 頭を下げるのである。と、どこかでそう信じているゆえに、店員さんの時間をいいだけ奪う。ということがどうしても出来ない。見ているだけなら そう最初から言ってしまう。

素敵婦人は明日のお客様かもしれないが まず ものを買ってから 長話はしてください。と、個人的にはあの、お財布を握りしめて 家からつっかけ履いて、もの目掛けて猛進して入ってきた(印象の)お客さんの方が 自分の好みにあっているなぁと2階から拍手を送りたかった。

 

Mさんの健康

お隣に住むMさんは 御年96歳くらいになる女性です。

いまだに 朝の散歩をしたり、自分でお料理をして暮らしている。

Mさんのお料理は本当に美味しくて、ときどき作ったものを隣の私たち、時には離れた場所に住む母の分まで お母様にもとくださる。 美味しい揚げたての天ぷら、最高に美味な自家製のキュウリの粕漬を使ったお新香巻きや、お手製の揚げで包んだお稲荷さん。五目御飯や 梅干し そして 煮豆もまた、美味で 私はこの煮豆を朝のトーストにつけていただいている。

自分で摘んだ蕗やわらびは、お揚げさんで包んで昆布を紐にして結んで さっと、煮るといった手間のかけようで。

そんなお料理を 私たちは 今の家に引っ越してきてから 8年くらい 幸せなことに 楽しませてもらっています。

いまどき、あまり こういったお料理を出来る人はいなくって。

また、自分の育った家などは とにかく 大勢の人の食事を賄う。そういう感覚だったので、私などはMさんのお料理で初めて 家庭の味を知ることが出来たと思います。

Mさんと出会えたことと、また自分の年齢の程よい適齢期だったのか。とにかく 現在(いま)の台所では真面目にコツコツと料理をし続けているなぁと、料理の昨日、今日、明日が繋がってくると自ずと人間は健康に目が行く。ような、気がします。

で、健康! というと まず真っ先に念頭に浮かぶのはお隣のMさんでしょう。と、先日Mさんに健康の秘訣を伺っておかねばと 健康談議に。

ご本人はあまり贅沢なものは食べなかったからと謙遜しながらも おやつは自分で作った煮豆かドライフルーツくらいで 朝の生卵、チーズ、梅干しはかかさず摂取。で、添加物はあまり摂らずに、素の材料から普通の調味料(普通に売られている醤油やおかめ印のお酢など)で味付けをしてゆくそうです。

生卵はちょっと真似できないけれど、梅干しとチーズは欠かさず自分も真似したり。車に乗ってしまう体をどうにかなまくらにならずにするように。と、朝の15分から20分間は歩いたり。目指せMさん。とスローガン掲げなんとかかんとか生活しております。

でも、こうやって考えてみると、人との出会いって、ほんとーに貴重なんだなぁと思います。

Mさんに出会えて、美味しいもの知れて。美味しくはないかもしれないけれど、毎日作る食事から健康のことを考えられるようになって。

これがもしも隣人にアル中の人がいたら 私も競うように 水曜日の空き瓶の日に空にしたワインボトルを大量に出していたのかもしれないしなぁ。と、思ったり。

友達を選ぶように 隣人も選べたら 本当に幸いなのでしょうけれど。 なかなか そうはならないのが巷の様で。 そう思うと、Mさんに出会えた仕合せ。を じんわりと噛みしめている毎日です。

Mさん。生卵を食してでも、どうか もっともっと元気に長生きしてください。毎日願っております。

 

冷蔵庫管理

親の反面教師というのがある。

一つだけ、自分にとっての親の反面教師に感謝していることがある。

それは、ものすごい几帳面で癇性なまでに奇麗好きというわけではないけれど、自分では掃除、整理整頓は心がけている部類に入ると信じておりまして。

そしてこれは、絶対に自分の場合は後天的、自ら学習しながら会得したもので、親の姿をみて自然に身に着いたものではない!と、言い切れるものなのです。 その反対に、親をみて、こうはなりたくない。・・・という気持ちがうまれたものの一つは、冷蔵庫の食べ物を無駄にしてしまうこと。で、あった。

 

育った家庭は 中学生頃までは賄のおばさんたちが昼、夜と用意してくれるような家庭だった。

台所を受け持ってくれる賄の田中さんや田浦さんがいてくれた頃までは、我が家の台所管理はきちんとなされていたと思う。が、その後、店と住宅が離れて住むようになってからの我が家は、台所を受け持つ人というのが不在となり、それなりに食材は潤沢にあったのだろうけれど、(実際に冷蔵庫はいつも買ったものや頂き物の数々で食べ物が溢れていたように記憶している)冷蔵庫からはなんというか不穏な空気が流れ、奥のほうでは野菜がもはや形を成していない・・・ということが頻繁にみられた。

私はそれを見るたびに、とても残念無念に思い。 働き お金を稼いでも、何かを垂れ流して 食べ物だけではない何か大切な多くのことを無駄にしている生活って まったく 豊かでないんだろうな・・・と、自分が家庭を持ったら こんな冷蔵庫だけは避けたい。と、心に誓った。

そして、ここ数年の話ではありますが、ほんとーに 食べ物を無駄にしない冷蔵庫を手中にしたな。と、冷蔵庫を開き 大げさですが、にんまりとやっと得られた人生かけての達成感に浸っております。

色々なタイプの人がいらっしゃるので、これが 皆さんに当てはまるとは言わないですが、今の生活スタイルと自分の性格、行動パターンに適した冷蔵庫。それを持てた幸せ。自分はこのために生きてきたのではないかと思ったりして。

まず、乳製品:牛乳 バター チーズ ヨーグルト:   ジャム類 味噌 梅干し 保存食 ケチャップ マヨネーズの類の調味料は とにかく目のつきやすいところへ置き 所定の場所に置きながらも 必ずや消費してゆくものという心理を働かすこと。

そして 生鮮食品 それは 自分の場合は買い溜めはNG。2日に一回ペースで買い求め。お肉や魚なら下準備したり、水分をとるのにキッチンペーパーをあてたりと、とにかく コツは これらの食品は 位置を動かすこと。多くの場合、動かさないようにしようとするから食べ物をダメにしてしまう。そんな気がします。

一段を空っぽにしておいて、そこに調理中の冷やすものを入れたり、とりあえずのものを置いたりし、そして冷蔵庫を開けたときに、あれ? あのタッパーに入れていたものはなんだった?と 中身を確認したり すぐに使わなければならないもの。として 緊急を要するものを置く、そーゆー場所として使うところを確保する。

コツは とにかく ものを動かす。と、いうことにあると思う。ずらして ちがうところに移動するということを怖がらない。その感覚。

溜め込まずに ものを流して ぐるぐると使ってゆく。そのイメージが冷蔵庫に定着すると

いちいち冷蔵庫を掃除することもなく、とにかく循環がよい。

いってしまうと 明日はこころもとない 私の大得意とする(苦笑)自転車操業をしている感覚。なのかもしれない。

が、それが気持ち良いということは きっと、そういう性分なのでしょう。

内部留保も大切で憧れますが、内部留保に必死になりすぎずそれは美味しくできた料理を冷凍して、これも日常の食卓に1週間に一回は参加させる心持で。冷凍庫も貯めるところではなく 通過するところを意識する。

だから うちは いつまでたっても ふけばとぶよな なんかなのでしょうかね。

 

そして いま スクールの2階に住んでいる母のところにも 私は、ついつい自分の好みを口出しをしてしまい、最初は「うるさいわね。口出ししないでよ」と反抗していましたが、賞味期限2008年のものを前にして、娘である私に、こんこんと説教されたのが余程悔しかったのか、最近では少しずつましになっているのかな?とそれとなく 改善されているような。

溜め込むことが好きな世代もあるのでしょうし。その人の好きなパターンが冷蔵庫に現れる。とはいえ、料理嫌いでも食材買うのが大好きで そして 溜め込むことを喜びとする そんな母に 唯一、説教のできること。それは 自分の場合は、冷蔵庫管理で、これは反面教師がいうことを効きました。

 

 

Dictatorship 独裁

何の運命だったのか英語を話す人と暮らすこととなり、はたまた 英語を母国語とする人たちと一緒に仕事をしながら、これが英語という言語の根本にあるもの。というのを一つ挙げれと言われたら

英語を話す文化に生まれた人は、ほとんどが 小さなDictatorshipから大きなDictatorshipまでに拒否反応を示す。

私たち日本人 日本語を使う文化で生まれ育った人は どこかで 国の命令に従う または 家の長に従う 会社のトップに従う 命令に従うということを受け入れている部分があると思う。

それに小さなことなら臨機応変に対応し 上から下へ指示へいくなど 当たり前のことではないか?というように私たち(少なくとも昭和の後半生まれくらいまでの世代)は、そういう風潮の中で生かされてきたように思う。

だけれども 英語を母国語に持った人たちは 突然の変更、事前打診なしの独断的な行動というものに対して、非常に敏感だというのが、これ私の印象。 きっと多くの日本の人もそうなのでしょうが、あまりことを荒立てないでいてくれるだけなのかな。

この点において、自分は空気を掴むまで苦労したと思う。多分  まず打診して こうなる可能性があるからと布石をはり、行動に移すというのが身についている気配りの利いた人なら さして苦労がなかったのかもしれませんが。

英語は説明の言語だと、雰囲気でわかってよ とか 忖度?とかいう言葉?そんなのは 存在しないように 私の周囲に限っては思います。

事を起こす前にまず、スピーチ これこれしかじか と 行動に移してゆくために使われる言葉 それが 英語だと 私は信じていた。が! この度のトランプ氏が起こした行動には、思わず目が点になった。 有無をいわさず 国の警察(軍)を 騒ぎの起こっている州に配置したというのだから。

これって・・・ すごいことだと思う。 それぞれの州知事に説明もせずの独裁決断に対し、これから どんな展開になっていくのだろうか・・・と 怖さを抱いてみている。

The Emergency Declaration has been lifted.

緊急事態宣言が解除されました。ね・・・

3か月の間、毎朝ニュースを追い、感染者数に強い関心を示していたのは一体いつくらいまでだったのか・・・と思い出そうとしていますが、実のところ記憶に薄く・・・

この期間ただただ、毎日のルーティンをこなすことだけに意識を集中していたそんな記憶しか残りません。

朝起きて 少しの体操をし ご飯を食べて、身支度して仕事場に向かい、ズーム スカイプ そして対面レッスンの比率が半々の日々を送り、そんな中になぜか大きな翻訳の仕事が入り、こんな時期でもなぜかご入会をいただく方々がいたり。その対応で日が暮れて、買い物に市場や魚屋さんお肉屋さん そしてチーズ屋さんなどに仕事場を抜け出すのが少しの息抜きであったり。帰宅したら普通に手を洗い、ワインをグラスに注いでキッチンに立ち料理を始める。 その日々の暮らしにさしたる変化はなく過ごしてはいましたが・・・それでもどこか疲れてはいるんだな。と、分かるのは、とにかく早く眠くなりました。9時くらいになるともううとうとし始める始末で、あれだけ眠りを求めるのは、普通に暮らそうということに意識を向けるという神経を使っているのか? と思うほどでした。

いづれにしましても、眠気だけで済んだわけですから・・・ありがたいことなのかもしれません。

美味しい食事と、きれいな音楽 この二つが 生活の二大エレメント。と 実感を重ねた毎日でした。

 

おかげさまです

国の緊急事態宣言が延長され、GWが終わり どうしたものか・・・と、また悩みましたが

オンライン・レッスン(ズーム スカイプ等)を取り入れながらの運営をしております。

現在のところ オンラインと対面 半々という状況です。

 

批判を受ける側面もあるとは承知しながらも 開けさせていただいてよかった。

と、いうのは 続けることで 動くことで 発見 進化があることを知ることが出来ました。

もし 完全に閉鎖してしまっていたら、オンラインレッスンの進化もなく。翻訳の仕事依頼も即行で受けることが出来ずにおりました。

 

ですが、常に危険と共存している事実を認識し、これからも 徹底して 手洗い 換気 少人数制 消毒液を使った清掃を心がけながら 今後の社会と向き合っていこう。と、気持ちも引き締まりました。

皆様の安全と 健康 そして 平和な気持ちをお送りできるよう、私共もそのように努めて 安全 健康 平和 という意識をもって毎日を重ねてゆきたく思っています。

 

今後とも、どうぞよろしくお願いも申し上げます。

 

Thompson International

ミツワ石鹸

このコロナのことが始まり。 戦中に生まれた実母に これまで意識したことのない質問を投げかけている。

「昭和16年生まれといえども、戦争の思い出はあるんでしょ? 戦時中ってお風呂はどうしていたの?石鹸という代物はあったの?」という私の質問に対し

「田舎だったから 比較的まだものはあったけどね。 あの当時は石鹸だなんてものは手に入らなくなっていたと思うよ。だから あの ほら 魚油から作った石鹸で 魚臭くってねぇ・・・ そこに 魚だから シラミがよけいに湧くという悪循環が生まれるわけ」

「ぎょっ・・・ 魚油から石鹸作る! クジラではなく?? けっこう辛いものあるね・・・で、あなたも それ使っていたんだ・・・えらいねぇ」

「 いやいや 私はミツワ石鹸使っていた」

「え? なんで??」

「そりゃ あのあんた、キクさんのことだもの 戦争が始まるとなる前に 五番館に行って 毛糸とか またそのほか必需品は数年分を現金で買ってきたっていうから・・・」

「うわ・・・でた。元祖買占めひんしゅく隊」

・・・と あのキクさん こと 西川キクさんは 母の祖母。つまり 私の曾祖母にあたる人である。

明治に長女として生まれ、実家が日露戦争で田畑をとられた後、父親が蚕の相場に手を出し失敗した。

その借金の支払いのために小学校を卒業するかしないかくらいの年に、石川県から船で一人、北海道の地に親戚の家に奉公人(働くために)渡ってきた。

その当時の北前船という船が小樽の港に到着し、札幌に向かってくる停車場でぼんやりと町の灯りが暗闇の中に見えたとき、あぁ 自分は 遠い遠い 未開の地にやってきたのだなと実感して涙で灯りが滲んでみえた。という話には、何度聞いても涙が出てしまう。

このキクさんが93歳で亡くなった時、私は18歳だった。 人の死もお祭りに思えてしまうような年齢の視線の中で、いろいろな親戚たちが集まり繰り広げられる会話。また お坊さんのお言葉などもかいつまんで集め、空知の9月青空の中に、火葬の煙が消えてゆくのを見つめながら・・・「私たちに気前よくお小遣いをくれた優しいひぃおばあちゃんは、もしかすると とても敵の多い人生を歩んだ人だったのではないかなぁ・・・」というう感想をもった。

都合のよいことに 私の母はその祖母に育てられたので、育ての親であるキクさんの話が、会話の端はしに出てくるから 私のその彼女に抱いた感想、疑問 知りたいことを、事あるごとに教えてもらえる機会があった。

13やそこらの痩せた少女は、まず吾妻にある雑穀屋に雇われた。そこでは頭の回転がよいことと数字に強いことで商売の方に間に合ったので、家のことではなく店のほうに駆り出されることとなる。 だから 晩年のキクさんの口癖は「私は、いつも店のほうに出されたから、家のこと料理、裁縫、女のすることを一つも知らないできてしまった」であった。

その雑穀屋で22歳の結婚する時までお世話になったという。

砂川の角ヨ角野という屋号の店に勤めていた曽祖父のところへ嫁にいくように。と、話を持ってきた親戚の叔父と叔母に言われるがままに、風呂敷包みひとつと、それこそ手鍋下げて東から砂川に向かい所帯をもった。

結婚してからしばらくの間、夫と二人でその大店にお世話になった。

そして、いつまでも人に使われているだけでは・・・と 夫と二人、まず最初に荒物屋から始め米穀店に拡げていった。きっとそれは、奉公先の雑穀店の仕込みがあったから踏見切った分野だったのかもしれない。

角ヨ角野さんから頂いた50円の退職金を元に、商売しても借金だけは絶対にしないという方針でキクさんは頑張ったらしい。

借金をしないで商売をするとなると 必ず仕入れてすぐに売れるものでなければならないわけで。 そうなると 味噌 醤油とか毎日消費されてゆくものをこまごまと扱う荒物販売で少しずつ資本をつくり、大きな金額を扱う米穀の商売にもキクさん独特の思い切りの良さというか・・・ここぞというときの決断の速さは大したものだと言われていた。

なのに 旗色の悪い話となると「西川の母さんときたら、流れのいい話にはこちらも出来ないような男並みの決断をするくせに。ちょっと具合の悪い商売の話となると、(いっとき算盤かりさせて、うちへ帰って父さんへ聞いてみないことには、いますぐには返事が出来ん)とくるから敵わん・・・」と 男の沽券で仕事をしている衆からは評判が悪かったと・・・私は想像する。

私の覚えているおばあちゃんは、もう半分寝たきりになっていたが、記憶の中にある着物姿は・・・それこそ 漫画の意地悪ばあさんの、あの姿なのである。

洗いざらした木綿素材の着物は丈が短く、骨だけになったような細っこく青白い足元がみえていたな。そしてなぜか、料理をするわけでもないのに前掛け(それもまたゴワゴワっとしたような質感の)をしていたような記憶がある。で、和服姿の肝である襟元(純白であったり素敵な柄の物をお洒落の工夫を凝らす場所)に 半襟を汚さないように白いハンカチを挟んで入れていたような。

私の知っている80代の姿がそうであったが、若い時は違ったかというとあまり様子は変わらないものであったということは、しっかりとしたかまどを持ちたいという一心でいた彼女は兎にも角にも、新品の着物はそのままにして置き、万が一の時はそれをお金に換えるとばかりに、着古した着物につぎはぎをあて、すりきれた袖口も補修しながら着ている姿に、たまたま訪ねてきていた角ヨ角野の大旦那さんが、見るに見かねて

「キク!おまえ、西川も男だぞ」と夫の代わりに怒鳴った。という話からうかがえる。

そんなキクさんは、おしんの世界を地でいって・・・着実にかまどを確かにしていった。

キクさんの残した数多くの名言の中で 「亭主とふたり、欲と二人連れで商売に身を入れている時が、人生の花だった」というのがある。

「おばあちゃんは、太平洋戦争でそれまで築いたものすごい財産と、大切な長男(母の父)を失くしたんだけれど、あの気質があったから また商売を立て直すことが出来たんだよねぇ・・・大した人だったと思う。おばあちゃんがあんな気性の人でなかったらさぁ・・・ お母さんは中学出たらすぐに働かなければいけないような身の上だっただろうに・・・女子大にまで行かせてもらえたんだから・・・。かえって 自分の実母(彼女は夫が戦死してから実家に帰り、違う人と再婚した)に育てられずにいた方が お母さんにとっては幸運なことだったんだよね」と よく言葉にする。

そのキクさんが したことだ・・・。 元祖買占め買い溜め派ではあるが 家族のことを思い、そして 先のみえる人であったから・・・ それに 嘘はつけなかったのであろう。 毛糸を買い占めた。石鹸を数年分買い求めた。あとは 何を調達したのだろうか・・・ 生きていたら ぜひ聞いてみたいことだった。

現在、ひんしゅくを買う行為であるのなら、当時もきっとそうであったと思う。影口をたたく人もいたと私はそう思う。お金にものをいわせてひどいことをするものだ。と、総ざらいになった空っぽの棚を見ながら訴えた人だっているだろう。

で、呑気に母は ミツワ石鹸を当たり前に使い暖かいものを着せてもらい育った。

キクさんは

日露戦争も知っている。 その後に親が相場に失敗し売られた立場となって遠い地にやってくる悲しさも知っている。借金がどれだけ怖いものかということを身をもって知っている。その怖さゆえ借金はしない方法で工夫をこらして商いを進め財を築けたちょっと珍しい人だった。そんな大した人である彼女の(誰もが必ずもっている)欠点のひとつは・・・計算が先に立ちすぎてしまう。そんなところであったと母は言う。

戦争が始まる。物がなくなる。早めに手をうたなくては。と・・・ それは当然人間の本能で起こす防衛行動ゆえに・・・仕方のない部分もあるが。

生きてゆく中で 曲がり角にくると必ず出てしまう欠点・・・・(それは 私も 誰でも必ずや持っているものだと 諦めるしかない種類のもの) それが そうであったという。

彼女のその先の利く性格おかげで、家族はミツワ石鹸を使いながら戦中を過ごした。が、大切な長男の命だけは買いつなぐことは叶わなかった。

そうだ いま 思い出した。 曾祖母の葬儀の時に、お坊さんがお経を唱えたのちに、故人を偲ぶお話が必ずあるが。そのときに

「西川のお母さんは、なかなか苦労も摩擦も多い一生であったかとうかがっております。(そんな感じのことを言ったかと思う)が、あの方ほど、一生懸命に念仏(お経)を唱える方をわたしは知りません。一心に心を込めて仏さまに向かう方でした」

戦死した息子のために一心にお経を読んだのだろうな・・・と 18の私はそう感じたのを憶えている。

 

 

 

 

本日の午前、札幌駅前にある小林皮膚科さんの帰り道、北海道大学の正門の前を車で左折するときに

卒業式の女子大学生さんたちが卒業証書を持ち、はかま姿で順番で写真を撮っている姿が目に入ってきた。

もちろん 皆さん美しい中で、それまた群を抜いて美しい子がお母さんと歩道を渡ってゆく。 その桜の花吹雪のような女の子(といっては失礼か 若い女性)の姿を目で追いながら、文句なしに美しい時って 人にはあるのだな。と、とても眩しかった。

がっくりとくるニュースに追われる毎日の中で、光輝くものを見、ホッと頬がほころんだ。

 

きっと あんなに輝いて嬉しそうに卒業証書を掲げて・・・ 一生懸命勉強をされたのだろうか。 充実した学生生活を送られたのだろうか。 色々な想像をしてしまう。

卒業 の 節目に礼節を尽くせる 生き方って とても大切なことなのだな・・・ と思えた そんな街角の一枚の絵が 私にとっての桜の木にみえた。