誰かが言っていた。想念は現実となる。と。
いいだけ 時を重ねて ひとつひとつ振り返ってみると。それは本当かもしれない。と思う。
その想念が出来るだけ 純度の高いものであれば 高いところを目指すことのできた人は そこにいけるのかもしれないし。高い運動能力と 知能と 健康と また 度胸のそろった人ならば 大きく大きく羽ばたいていけるのかもしれない・・・と、時々思うことがある。
けれど ほどほどの運動神経と、人より少し劣り気味の頭脳と 気の弱さが虚弱体質につながるといった自分といった人間の想念を大きく支えてくれたものは 数少ないながらも 同じ本を何度も何度も読み返し、イメージを膨らませることが 大好きだった その習慣だったのかもしれない。
Penelope Keeling stood in the middle of her warm and cluttered kitchen and tried to thing what she had to do next, and then decided there was nothing, because all that could be was already accomplished. …..
But now all was ready. Fires lighted in the sitting room and the dining room, drinks set out, wine opened to chambre. Here, in the kitchen, the air was filled with the scent of slowly roasting sirloin, baking onions, and crisping potatoes. She had made pastry, peeled apples, sliced beans* from the deep- freeze, scraped carrots. Later, she would arrange cheeses on a board, grind the coffee, decant the thick cream she had fetched from the village dairy.
自分が 料理をするとき、常にこの情景がイメージの中にある。この人の描くキッチンの文章が脳裏に刻まれて私の身体が動く。
辰巳さんの料理の本。そして、この Rosamunde Pilcher という人の書く文章が私の脳に映像をつくっていく。それらが私の想念なのかもしれない。と思う。
本は、字を読むことが出来る人でもしもあるなら。(読むことが難しい人もなかにはいる。その場合はオーディオという便利なものもある) 出来るだけ 自分が関心のあるものを選んで いくと
無理だと思っていたことが 数十年後には出来てたりするから不思議だ。
早い人なら 数年なのかもしれない。 わたしには 十年以上の月日がかかったが
昔、昔、辰巳さんの料理本を読み。こんな料理を作れる人になるのは 一生かかっても無理なんだろうなと思いながらいた。が レベルはどうであれ 作っている。
そして 読んだ本の 文章のようなことが出来るのは無理なんだろうな・・・と思っていたけれど それに近いことは なんとなくしている。
想念は 現実となる。