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Long time no see(2024.10.16)

すっかりとご無沙汰をしておりました。

HPが 変になってしまったことと、個人的な提出物の締め切り日がおしていたことと重なり、すっかりとブログ更新をせずに月日が過ぎておりました。

やはり、あれですね なにもしないでいると あっ!という間に、HPの なんというんですか?あれ 順位というのかしら

なにも仕掛けをしていないので なんか こう ほこりに埋もれた感じになるんですね。

動かしていないと、停滞してしまう感じというのでしょうか。


HP更新とは別に、個人的には色々なことがあり、ああ 世の中というのは広いのだなぁ

そして 色々な世界で活躍されている人たちがいらっしゃるのだなぁと刺激をいただけるそんな集まりがあったり。

また、先日面白いことがありました。

このシーンは この面白いことからかなり昔の話です。

ずううっと前になるのですが、歯科医院で、こんなシーンをみたことがありました。

予約で埋まっている医院で、コーディネータ? 助手さんのような方が、次の予約を、ある患者さんと打合せをしていたのです。

確かになかなか予約が思うように取れないんですよ。(聞こえてくる会話によると)***日は?と聞くとその日は予約が埋まっていて、じゃあ***日は?というとその日は院長先生が出張で…という具合に。

それで その声に特徴のある女性の患者さんがついに、

「…あなたねーえ、それならはっきりと最初からこの日しか予約は伺うことは出来ませんが。と、最初からそう言えばいいじゃあなあい?」と意地悪うな口調で、キレたのです。

20代の助手さんはたじたじとなり、「は…はい。確かにそうですね…申し訳ありません」と声も虫の声の様に小さく小さく縮こまっている様子です。

声だけのやり取りしか、待合室で座っている私には聞こえてきませんが、その患者さんの声の様子からいくとおそらく自分と同じ年か、もう少し上ってあたりかな。と、自分までもが縮こまる気持ちで聞いていました。

「そうよ~~~ こっちだって時間が勿体ないじゃあない?」とその声の持ち主はいよいよと意地悪さが高まっている様子。

そのくらいにしておけよおおと私、心の中で祈ります。

そして その患者さんは、自分に有利な主導権を握れたと確信したのか、私はこの日と、この日しかこれないから、なんとかしてくれないかしら? と畳みかけるように攻めてゆきます。

そして、治療の歯を早くフィニッシュしたいから(おそらくインプラントか被せものなのだろう)、一番早いプランではいつになりそう?なんとか技工士さんをそう仕向けてほしんだけれどぉと…そこでその声に意地悪なものを含んだ持ち主が…いまがそうねぇAugustだからぁ…と八月をあえてAugustと言い。

「はい。August の次はナニ?」とその若い女の子に不意打ちをかけるように問いかけるのです。

その子は突然そんなこと聞かれたって即答できるわけないですよね? 

涙声になって「…あの…え?え?」とシドロモドロになっています。

私は思わずSeptember!はいSeptemberの次はナニ?とその女性患者に問いかけたくなりました。

するとその人ももうその辺にしておこうとでも思ったのでしょうか、声にたっぷりの笑みを含めて「ウフフSeptemberぁ。おぼえておきなさいそれくらい」と言い放ちました。

その、相談室から出てきた女性はとても目立つタイプの、おそらく美人の部類に入るタイプでした。

せっかく美人なのに…そうやって色々な人と戦って来なければいけないような環境で生きてきたのかな。

にしても弱い立場の人に意地悪って…してはいけないことだな。と思いました。

意地悪はいけない。

しかもこんな低レベルな意地悪はするべきことではないのにな…と人間、我慢をすることを忘れるとこうも低次元なところまで自分を貶めてしまうのだ。気をつけよう我儘は控えよう…と身震いしたものでした。

そして昨日、その声の主と久しぶりに会いました。

その歯医者さんではなく、あるところで会いました。

ブランドのサングラスなどがとても似合うタイプの、相変わらず華やかな美人でした。

ある会員制のところで、みかけたのでおそらく今後も、時々は、すれ違うこともあるのでしょうか。

彼女は私のことなど もちろん 知りません。 

彼女はあれから変わったのでしょうか。

それともそのままキレてしまうと意地悪をしてしまう癖は持ったままなのでしょうか。

私はどこかで彼女の逆鱗に触れ、怒らせ、私に意地悪をしかけてきてOctoberの次はナニ?と聞いてくれることを夢見ているのかもしれません。

そのときのためにも 語の特訓をしておこうと心に決めています。

女ざかり(2024.08.28)

円山動物園と北海道神宮の間の裏山道に抜けるあの道を、ゆっくりと車で降りてきていました。

球場のあたりの雑木林の中を小さな子供を連れて歩いている女性がいました。

遠目から、銀色のスカートをはいているのが映りました。

銀色?と 自分の目を疑いました。銀色のロングスカート、けっこうボリュームのある。

うっそでしょ?…と、自分のファッションの常識範囲の中では受け入れがたく、近寄りながらもすんなりと受容機能が働くまで時間がかかりました。

いくら老眼が進み、運転用の眼鏡は必要ないと言われた自分の目でも、それこそ目を疑う気持ちで、信号に近づく彼女に近づいてきました。

運のよいことに車道が赤になりました。車を停めて(とめて)彼女をゆっくりとみることが出来ました。

本当に銀色の長いスカートを身に着けていました。遠目から見たときは、どんなイカレタ感じの人がそんな無謀なファッションをしているのだろうか。と、一瞬拒否反応の動いた目でみたその女(ヒト)は、とても美しいひとでした。

ファッションが好きな人なのでしょう、シルバーに光り輝くたっぷりとしたスカートに、白いぴったりとしたTシャツに白いベースボールキャップ。

小麦色の焼けた肌は若々しく、小さな子供の手をひいて颯爽と歩いて行きました。

銀色と、白と、そして小麦色の粒子が目の前を爽やかに、その暑い空気の中を通り抜けるように去っていきました。

私はその粒子を素直に目で追いました。 

爽やかで、美しく、そして ああ 女の盛りだなぁと首を横にしてまでもうっとりと眺めていました。

車道は青になっていたのでしょうか。 

後ろに車がいなかったから良かったものの、クラクションを鳴らされていたのかもしれません。

それくらい長い間、私はうっとりしていました。


30代の女性は、思いっきりお洒落を楽しめばよい、そして自分の女の盛りを十分に享受した方がいい。と、その季節を過ぎてみると本当に心からそう、思います。

30代はきっと色々と大変なこともあるかと思います。思い悩むことも多い季節であるだろうし、ミクロにみると苦悩に満ちた毎日なのかもしれません。

おそらくおそらくですよ…その苦悩も30代を美しくさせる美容液に繋がるのかもと思います。

苦悩に満ちた50代は心配になるけれど、葛藤に苦しむ30代というのも影が光を強調するようでいいものなような気がします。

全て光のあたる面だけで生きてゆこうとする人にも、屈折した考え方しかできないと、自分に悩む人にも、30代は公平に与えられ、その季節の中で光と影をきれいに美しく描いていける時にいるのですよ。と、私などメガホンを使って言いたいくらい。

お洒落して、美しくして、私たちの目を楽しませてください。

そうするとみている私たちも楽しくなってあれいいな買ってみようかなとか思ったり。

社会全体が美術館のようになればいいのになぁときれいなものをみると嬉しくなるもんですよ。

秘すれば花(2024.08.20)

けっこう深刻な歯の治療を始めて、8年近くが過ぎようとしている。

時間のかかるもので、先生との出会い、そして手術への決断等、また時間をおきながら治療を進めていかなければならなく、気が付くと、父が亡くなってからと同じくらいの月日が経っている。

が、これもやっと10月くらいには、ひと段落つく希望が生まれ、気持ちも少し前向きに明るくなりつつある今日この頃です。

8年近くもずぅーっと暗い気持ちでいたわけではありませぬが、まぁ気持ちが晴れ晴れとしたということは数えるくらいしかなかったのでは?と、ここにきてみて振り返ると けっこう身体的にシンドイものでした。

その月日のなかで 大病をした人の気持ちに、ほんの少しとは自戒しながら、それでも少し寄り添うことのできた気もし、また、これはある発見のひとつに、歯の治療過程にあたり見た目がどうとかこうとかよりも、口内の違和感から自然と口が重くなり、話し切る自信がなくなることから、自ずと黙る言わない。という行為に繋がりました。


言葉足らず、情報伝達不足は仕事のうえで大変な失礼にあたることは重々承知していますが、プライベートでは喋らないということは、これはとても大切な行為だったのではないかと…

いいだけ無駄にだらだらと垂れ流しにしていた過去の発言をもう一度かき集めて何かの袋にいれてどこかへ捨ててしまいたい。

いや!無かったことにしたい。と、口から出た言葉の大切さに気付くのが歯の治療と共にというのが、情けなくもほんと、そうでありました。

かといってこうやってどうでもいいことを書きつらねヒンシュクをかってしまう自分はとめられないのですが。

こういう人を自己顕示欲、自己主張が強いと言ってしまうのです。おそらく。


池波正太郎さんという作家が晩年無口になったといいます。

これは病気をなさってからとまた、歯の具合が悪くなってから人と話すことが億劫になり、不機嫌なことが多く、同時に寡黙になられたとか。

池波さんくらいのヒトならいくら話されても、ありがたく多くの人は傾聴したでしょうが、普通の人は少し黙るくらいでちょうどよいのでは。

秘すれば花とはこういう場合に使ってもよいのでしょうかと思いました。

特にお酒の入ったときとかは、お酒の入っていない時よりついつい滑らかに出てきてしまう言葉を70%くらいまで抑えて削り、人の話に耳を傾ける。

自分自身では少し物足りないくらいの…、そういう行為に努めたいものです。

それが自然に出来るようになればいい、ああ出来るようになれますようにと祈るばかりですが。


思い起こせば、人間関係のなかで友人だと思っていた人に対する賛同できない点、または感性の違いからくる不愉快な感情などを口にしてどうするのか?と、これまでの自分なら、言わないとギクシャクしてしまうと、相手に直ぐに深く考えもせず伝えたような行為も、口にするのも面倒だと思っているうちに、いやまてよ、言ってギクシャクするくらいなら言わないでギクシャクしていた方が余程良いのではないか?と、そのうちグレーのゾーンに落ち着き、ああ 言わないでよかったのかもしれない…と、最終的には至ってしまうことが、ずっと口の重い人でいれる利点だと思います。

 そして黒でもなく白でもない振る舞いを、生まれて初めて意識して試みると、あれ?これって自分もおそらくある人からそういう扱いゾーンにいたことが多々あるのでは?と白と黒としか知らない自分からすると愕然と、ハッ!と背筋が寒くなり、精神的にもゆっくりとブロウが効き、改めて自分の言動を反省する気持ちになりました。

しかし不利な点は、口の重い人はどこかで発散をしないと、なにか神経の病にかかってしまうのではないか?とも思ったりもします。

発散型でないと神経を病む。これが私の出した結論でした。

父の方の血統がそういうタイプが多く決して人に自分の心のうちをみせない、曝け出すことを恥としている。

なんだかイギリス王室の掟のようなことを信条としてました。

私の知る限りでは父の母、祖母が特にそういう人でした。

美しい人でした。

そして柔和な顔で 祖父の仕事に一役も二役も買うことの出来る よく出来た妻であり 母でありました。

祖母の口癖は、みっともない真似は例え、夫にも子供にもみせたくなかった。と、なぜか晩年孫である私によく昔のことを話して聞かせてくれました。

他人の悪口など口にするのはみっともない。

そして 自分の実家の恥となるようなことは一切家族に知らせなかったというから閉ざされた口元もここまでするのには、並の根性ではないな…と孫の私に思わせた。

晩年はそれでも色々なことを孫の私には話して聞かせた祖母は、あれは いったいなんだったのだろうか?…と、おそらく残り時間が少ないことと、体力の限界があって黙していることも疲れたのかまた、または、おそらく、パーキンソンかなにかにかかっていたのだと思うのです。

当時はパーキンソンという診断がつかなかっただけの話であり、パーキンソン病の特徴に、ある時期独白のようなモードに入る。と、父の症状をみて、祖母もそうだったのでは?と思いました。


父も祖母も口に嗜みのあった人たちでした。

だから 同じ神経の病気にかかったのかはともかく、母かたの親族たちはおおくが100歳近くまで神経系を病むことなく長寿でいれる。

また、いれたことはあれはみーんな発散型または、愚痴をだらだらか口から適当に人を批判し勝手なことを言い、血族集まってはああだこうだとお互いがお互いを批判し合い、ちびくろサンボのライオンがくるくる回って走っているうちにバターになってしまうといったような、もう、みんながバター同化同レベルバタバタそんな感じです。

バターになり長生きするか。

孤高な花となり、神経を病むか。

融合できるケースを知っていたら教えてください。

どうか。

Listening comprehension(2024.07.11)

Listening comprehension リスニング力。

これを鍛えるのは、どのレベルでも、残念ながら、大方の人はボンヤリ聞いているだけでは難しい。

私の場合は、目、耳といった感覚器官がエリートと呼ばれる人の半分あたりを位置しているためにぼんやり聞いたままだと真の意味を理解するのに紆余曲折、10年くらいはかかるはず。

耳の良い人は、どうやって音をひろえていくのか分かりませぬが、まず、CNNニュースなんてぼんやり聞いてたって、何言ってんの?がずうっと続くのみです。

そんな私が、ニュースの英語を即座に通訳してゆくというクラスに身を置いて公開処刑されるような思いで、練習を重ねておりまして。

そのさなかで、何度聞いてもわからない拾えない言葉。

ニュースの言葉など一語一語全て拾って聞き取るというようなこと日本語でもしない人間がですよ。

それをいきなり英語の場合は全て聞き取れ一句一句もらさず通訳するように。との指導を受けているのです。

はっきり言って、拷問です。

昨日は正直言ってもうやめたいと真剣に思うほど、落ち込んでました。

「トンプソンさんは、聞き取りが甘すぎる。ニュースを普段、みてますか?」と先生。

わたし 「みてません」と言うしかなくそう言いました。

「え??」と絶句する先生は、次の言葉をそれこそ拾えなく…

「いえ、あの、流す程度にはつけている時もありますが、このような状況下でみるということはないです」と私は付け足す。

「スピーカーをつけて聞くと、聞こえてきます。私はそうしています。いま一万円くらいでスピーカー買えますから、ぜひそうしてください。あなたの場合はせっかくすごいリスニング力が育つ環境に恵まれている中にいながら、あまりにももったいないことをしている!」…と、余程腹に据えかねた挙句といった具合のお厳しいお言葉。


一万円のスピーカーかぁ…先生は自己投資につながるけれど…

あ確かトンプソンが持っているな。でもその前にイヤフォンでまずしてみるかと、確かにイヤフォンをつけて聞き取るとアメリカ南部あたりの人の、つながってくる言葉でも、少しずつ、拾えるのは確かだと思いました。 

そこまでやってやっとの思いで、人間の発する言葉を拾いとり、ニュースで羅列される言葉を出来るだけ多くストックして、その時のために刀を研いで研いで、通訳者の人たちは頑張っていらっしゃる。


通訳者になる夢など、微塵もないのにそこに席を置いてしまっている自分に問いかけた。

やれるだけやってみるしかない。と、スピーカーはともかく、イヤフォン繋いで全て聞き取ってみせる食いつきでやってしんぜましょう。と。☚何語だ☚?

…と、いうわけで皆様にもこれを伝えたかったのかもしれません。

聞き取りの精度をあげ、分からない単語は文字を出してその意味を調べて、そして 日本語に訳したものを 次は英語に言い換える。

これだけの訓練を重ねると、少しずつですが今より明日、明日よりその後、と、少しずつ少しずつ伸びてゆくことは、この落ちこぼれの私が保証します。

でも、一つだけ、英語をいくら話せてもどうしてもその言語を話す人たちに嫌われてしまう人というのがいます。

そういった方は 大方 自分が話すことだけに意識を集中してしまう傾向があるように思います。

リスニング力を上げる目的は相手の話を聞き取る力を上げたいからなのです。

どんな込み入った話にもついていける。

数字のはなし、政治の話、どんな内容の話も一語一語多くを拾えていける自分をつくりたいために、リスニングに力を注いでいると思えばがんばれそうです。

土壌改良 Soil Improvement(2024.06.19)

やっと、前の家から持ってきたバラたちが花をつけはじめました。

去年は移植はしたけれど新しい環境に無理があったかな。

そのまま置いてきたらよかったかな…と申し訳ないことしたなと思っていたバラたちが今年は咲き始めました。

去年はひたすら土壌改良につとめた甲斐がありました。

土を掘り起こし石をとりのぞき網にかけ堆肥、冬の薪ストーブで出来た灰と腐葉土を入れて作った土を作ることに専念した一年。

それでも木が2本淘汰された。

そしてダメでもともとと思って持ってきた木の数本が新しい土地にあったのか、生き生きと、前よりもぐんっ!と成長してくれたり。

フェンスをトンプソンが建てたおかげで風の向きが大きくなったのか、これまで花をつけたことのなかった沙羅双樹の木に花がつきはじめたり。

面白い現象が多く起きた。

バラも咲いた。

一番花は切らないほうがいい。

明日の朝に切り花にしよう。 

楽しみだ。

家(2024.06.18)

神宮祭の頃、札幌で好きなお宅を外から眺めるために見回って車を走らすことが恒例です。

札幌市内に、自分で知っている限りの数になりますが、好きだなと思うお宅が5軒ほどあります。


そちらを毎年、この6月になると どこかかしか見て回る習慣があります。

理由は、お庭のよい季節。

今年はどんな感じで励んでいらっしゃるのだろうか。と、参考にしたいのと、自分自身の家事のマンネリ化を避けるために喝をいれる為でもあります。

自分が好きだなぁと思うお宅は、立派な家とかお金がかかっているとかそういうことだけが理由でないような気もします。

5軒のお宅の中には、ごく普通の一般的な造りのおうちもありますが、5軒が5軒、みなさん、そこはかとなく暮らしを楽しんでいるのがうかがえるそんなお宅たち。

あるお宅は、渋いグレーのコンクリートの外壁に、黄色(それも選びに選び抜いた黄色、マスタード色 品の良い黄色)を窓枠そして数か所の扉に使用していて、カーテンのタックのとりかたも贅沢にとって窓辺から静寂さを醸し出している。

几帳面な人が住んでいるのに違いないと思う。

家周りは、雑草が生えていなく家の前に置いた二つの茶色い甕には、パステルに色づいた花が植えてある。

お庭は、家の持つ静寂な空気に程よく色合いを添える。という具合のタッチ(このタッチ具合がすっごく微妙なのだ)で、淡いのに色味の持ってゆきかたが、これもまた、選んでいるなと思わせる花を選んで植えている。

センスの良いお宅だなぁと、いつも感心してしまうお宅。

男の人が家周りに関しては主導権を握っていると感じさせる家。

悔しいけれど、男の人のセンスの良い人には敵わないと思うような人が、世の中には大勢いる。

もう一つのお宅は、白い壁とガラスと、そしてシルバー色のスチール素材(今風なんだけれど、それだけではない印象を持たせる)を使ったお宅。

白い壁、ガラスで出来た風除室を引き立たせるのに、トロピカルなビビットカラーの花々の鉢植えを毎年、賑やかに飾っているお宅だった。

今年前を通ったら、表札がなくなり、そして目に鮮やかなお花たちは飾られていなく、植木も元気がなく、持ち主を失うと、家は本当に精気を失うのだなぁと思った。

きれいに、楽し気に、一生懸命に家を、暮らしを楽しもうとしているお宅からは、なにかいい和音が流れてきてついつい走らせている車を停めて見入ってしまう。

庭仕事が好きではない人もいるから、無理強いは出来ないけれど、土いじりの好きな人のいるお宅は木も花も嬉しそうだ。

全てのものは生きているんだなぁと、風も生きているのではないか…と思うほど、風の向きで、対流で、木の成長も変わったりするのを目の当たりにみると、生きる、成長する、そして終わりを迎えるという絶対の真理を、小さな小さな庭の中の小宇宙で、体感できるのだから。

Nightmare(2024.05.08)

GWの旅の疲れのせいだろうか…ここ最近 後味の悪い夢ばかりみて起きる。

枕の向きが悪いのだろうか。

後悔の諸々の出来事が出てきたり、父から叱られる夢であったり、またそれが結構ありありとリアルで…今日こそはいい夢みたいと思いながら眠りにつく。が、いつも惨敗の結果でうなされる夢ばかりみているから朝起きても今一歩疲れがとれない。

九州の旅は、終わってみたら、行ってよかったとは思うものの、根が旅好きではないから家でガーデニングしているほうがやはり幸せと、無事に帰ってこれたことに感謝しながら育てたバラを玄関先に飾り悦にはいる。

GWは念願の吉野ケ里遺跡、祐徳稲荷神社そして平戸 大河内山をめぐってきました。 

吉野ケ里遺跡の弥生時代の人のマネキンがすご~~く力のはいったもので最初の数体で力尽きたのか最後の方の数体はもはや顔のない簡略化したものであったのが残念。

もっとみたかったなあ、あの魂を入れた作品。

Soap 石鹸(2023.12.09)

音と香りには贅沢しました…と、自嘲気味に言う人からはたしかにほんとにいい香りがするものだなぁと思います。

ある人がすごくいい香りをしてたので、いい香りですねぇと言ったら紹介してくださったのがDiptyQutというあのフランスからの香りのライン。

石鹸と、髪にかけるスプレーを買い求め、お風呂場で豊かな香りに包まれ、白髪の髪に少し華やかさをとスプレーをふりまき、まぁなんとかがんばってます。

しかし、この香りの魔術。

これは 嗅覚が人より発達していて香りにこだわるタイプの人というのは必ず香りを羽衣のように何重にもレイヤーするように思います。

香水をプップッとかけて終わりではなく。

石鹸からボディクリームそしてフィニッシュのフレグランスと段階をおってゆく贅沢Luxuriousな時間を楽しんでいる洒落者です大体。

我が夫のように、セーターの上にオーデコロンかけて満足しているような人はまずいません。

その洒落者がおっしゃるにはですよ…香りを一つだけでなんとかしようとすると直線的になりすぎるから面白くないんだそうです。

同じラインのものをSoapからCreamそしてScent(香水)までつなげていってごらんなさい楽しいよ。という言葉を実行してみたことがありました。

まだシャネル19番に石鹸があった時のこと。

ある時期から店頭では買えなくなり、それでなんとなくその贅沢な時間はなくなってしまいました。

でもいままたこのDiptyQutとの出会いを機にクリームはさておきSoapとScent(今回はHair用スプレー)で楽しんでいます。

イタリアの香りは少し宗教的な香りがし、フランスの香りは少しだけワルな香りがするんだなぁ…といまは ちょいワルな香りに酔いしれております。

よーく観察してみると、この羽衣をレイヤーのようにひとつひとつ重ねてゆく感覚というのは洒落者の人たちの極意なのでしょうかね…

服にしてももちろん、肉体美で一枚のTシャツを魅せる着こなしもあるのでしょうけど、大体お洒落上手な人たちはカーディガンひとつとっても、体を温めるために羽織るだけという着方はしないように思います。

シャツの色を際立たせる色を必ず選び、カーディガンを羽織ります。

例えば少しクールなミント系のシャツがあるとその上に同じようなトーン、少しミントの入ったアイスグレーの狐でも狸でもできればカシミヤだと最高なのでしょうけど、下に身に着けるもののトーンが繋がる色と質感のハーレーションをカーディガンに求めているといった具合。

または清潔な白にキッパリとしたネイビーのカーディガンとか。

寒い時に一枚うえに羽織るための面白みに欠けると思っていたカーディガンが突然、色々と自分に問いかけてくるようになり、へぇぇ カーディガンはそういうものだったんだ。と、嬉しくなりました。

これから寒い季節になりますね。

まずは石鹸と、そして羽織る楽しさも取り入れ味わいたいものです。

おでん作りよーいどん!Let’s make Odens!(2023.10.12)

秋が深まってくるとコトコトと台所で煮炊きものをする気になってまいります。

先日の休日は オックステールのワイン煮をしました。新しいレシピにそって試みたのですが失敗しました。

私には少しハードルの高い方法であったことと、母から図書館に行きたいから連れていけだのなんだのと邪魔が入り作業が中断されてしまったからです。

それなりの味と食感になった従来の人のレシピにお肉系のワイン煮は落ち着くことに決定しました。

さて、おでんはあのばあばと親しまれていた鈴木登紀子さんのレシピに従いました。

お出汁にコンソメを入れることがコツのようでした。

やさしいいいお味になりました。

母の友達が泊まってゆかれるというので差し入れとしてシニア向けかなと作ったのですが、私たち自身も大好きな味となりました。

これから出番がある一皿だと思いました。

秋の休日の午後は台所でコトコトトントン過ごすのが嬉しくなります。

The dream seekers(2023.06.30)

誰かが言っていた。想念は現実となる。と。

いいだけ時を重ねてひとつひとつ振り返ってみると。

それは本当かもしれない。と思う。

その想念が出来るだけ純度の高いものであれば高いところを目指すことのできた人はそこにいけるのかもしれないし。

高い運動能力と知能と健康とまた度胸のそろった人ならば大きく大きく羽ばたいていけるのかもしれない…と、時々思うことがある。


けれどほどほどの運動神経と、人より少し劣り気味の頭脳と気の弱さが虚弱体質につながるといった自分といった人間の想念を大きく支えてくれたものは数少ないながらも同じ本を何度も何度も読み返し、イメージを膨らませることが大好きだったその習慣だったのかもしれない。


Penelope Keeling stood in the middle of her warm and cluttered kitchen and tried to thing what she had to do next, and then decided there was nothing, because all that could be was already accomplished.  …

But now all was ready.  Fires lighted in the sitting room and the dining room, drinks set out, wine opened to chambre.  Here, in the kitchen, the air was filled with the scent of slowly roasting sirloin, baking onions, and crisping potatoes.  She had made pastry, peeled apples, sliced beans* from the deep- freeze, scraped carrots.  Later, she would arrange cheeses on a board, grind the coffee, decant the thick cream she had fetched from the village dairy.


自分が料理をするとき、常にこの情景がイメージの中にある。この人の描くキッチンの文章が脳裏に刻まれて私の身体が動く。

辰巳さんの料理の本。そして、このRosamunde Pilcherという人の書く文章が私の脳に映像をつくっていく。

それらが私の想念なのかもしれない。と思う。

本は、字を読むことが出来る人でもしもあるなら。(読むことが難しい人もなかにはいる。その場合はオーディオという便利なものもある)出来るだけ自分が関心のあるものを選んでいくと無理だと思っていたことが 数十年後には出来てたりするから不思議だ。

早い人なら数年なのかもしれない。

わたしには十年以上の月日がかかったが、昔々、辰巳さんの料理本を読み、こんな料理を作れる人になるのは一生かかっても無理なんだろうなと思いながらいた。

が、レベルはどうであれ作っている。

そして読んだ本の文章のようなことが出来るのは無理なんだろうな…と思っていたけれどそれに近いことはなんとなくしている。

想念は 現実となる。

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