徒然日記:A.M.T
映画、本、マイペースの悦楽
先週の金曜日から、Thompsonはお決まりの3月、東南アジアへ出かけて不在。
ジッと同じところには留まることの出来ない、もう あれは病気だと半ば呆れながら 諦めるように彼の半生を眺めながらも。 持った性分なんだろうなぁ と 最近では 無事に帰って来いよ。 と 事故のないことだけを祈りながら、普段、彼との生活では没頭することの出来ない時間を、休みの日にすることが上手くなってきたように思います。
ネフレックスでも、普段 トンプソンさんがいるときは いくら いいよいいよ いくらでも好きなの視なさい。と 言われても 遠慮があり、なかなか 一人で日本語のものを観れずにいます。 それを! この週末に 一日 朝から夜までかけて 陸王 という役所広司さん主演の映画を観ることができたり。本を数冊 夜ご飯も作らずに はやばやと 布団にはいり読み耽りました。
一人の時間をこれだけ遠慮なく 観たい!と思う映画を観ることができたり。
読みたい! と 思う本に 充てられることが出来たのは 幸運でした。
陸王は 地面師 に続く 観きった感の強い映画でした。
役所広司さん 寺尾聰さん 竹内涼真さん そして ピエール瀧さんという 役者さんたち 役者さんたちが 出てくる場面場面で 全ての 色が違って映る そんなドラマでした。
私世代は 寺尾聰ファン。 ファンとまでいかなくても 知名度は高い寺尾さん。それでも
これまで 寺尾さんの役者さんとしての凄さというのは 全く 分からずにおりました。
ルビーの指輪謳っていた おじさん くらいにしか 認知出来ていなかった自分の時間を取り戻したい!と 食いつくように 彼の演技の色を追ってました。
人間の狡さ、卑怯さ、いろおおおんなものが入り混じって 入り混じって 善行に至れることの偶然性。 それを あの寺尾聰さん独特のお面相の含羞ある演技で みるものに じんわりと 伝えてくれているのですよ。
いやああ いいわあ と 惚れ惚れと ご飯作る時間もおしく ご飯チンして うめぼしと おひたしと 納豆ごはん 片手に いいわあ と うっとり。
役所広司さんが画面に出ると そこは なぜか 灰色に近い黒と白
若く美しい 竹内涼真さんが いると 透明感のあるグリーン
ピエールさんが 登場すると あの人は なぜか 自分の目には ターコイズブルー にみえる。
そして 寺尾さんは なんだろう なんというのか わからないけれど 昔 我が家にかかっていた 簾があって そこに夕暮れ時に かかってくる 西日のような そんな色。
役者さんたちは 色を持っている人が 残ってゆく。
その色を 納豆ご飯片手の人に 魅せてくれる。 すごい仕事だなぁと思わせてくれる作品をみれたことに嬉しかった休日でした。
ところで ベトナムにいるトンプソンさん 日曜日から音信途絶えているけれど 大丈夫かしら…
デート服
春ですね🌸
スクールの窓から道を 見ていると 春の訪れと、秋の声が
若いカップルの増減により、みえてきたりします。
夏の盛りなど スクールの畳2畳分くらいの大きな窓が道路に面しており、その窓の前を
ブッチューとキスしたまま 通り過ぎてゆくよーな 若いカップルがいたりして
小学生に窓辺のカウンターで教えているときなど 大騒ぎしたものでした。
あれ なぜに わざわざ 窓の前でしなきゃいけないのだろうか? と、不思議に思いました。
と、デートの服というのが 女の子にとって いっちやん、ハードル高いのかなぁと みていて これも 不思議に思いました。
白いパンツを着ることを予定していたのだろうか、大雪の道がぐっちゃぐちゃの大荒れの日にも 白いパンツの裾が 雪の泥道についてしまうじゃないか? というスタイルで頑張ってます。 それを連れの男の子が わずかばかり ひいた視線でみているように映るのは これは余計な心配しすぎというものでしょうか。
最近 少し暖かくなってきたので 驚くべき スタイルを拝見したのですが
お尻が半分みえそうな あれ ショートパンツなのかなぁ それともスカートであったのでしょうか それに ガーターベルトを下につけていて その短いお召し物から ガーターベルトを大胆にみせて歩いているのです。 あれは 隣にいる男の子の母親なら 腰を抜かしてしまうかもしれない と また 余計なお世話ですが 思いながら 英作文のチェックをしておりました。
デートの服っていうのは 実に難しいのだなぁと 教室の窓から眺めています。
男の子というのは、女の子がかまわない 恰好や 顔で デートに来られると 悲しいものでしょうし。
何週間も前から 気合入れて用意していた感の強いデート服で来られた彼女を前にすると ちょっとばかり 白けてしまうという 実に難しい 生き物であるような気がします。
いったい どうすれば いいのでしょうかねぇ と 本当に 他人事ながら 考えてみたりします。
デート服を一生懸命色々と考えている時が 人生の花なのでしょうけれど
清潔感のある服装がいいもんだなぁ と 女の私の目からは 思いますが。
私に好感持たれても仕方ないかもしれませんが
リリーフランキーさんが、こんなことを言っていました。
ビンテージものとはいえ 乞汚い スニーカーを履く 女の子より
洗って きれいな白いスニーカーを履いている子を 男は好む と。
これは ひとつ 真実かもしれません。
70近い 我が相棒も 私が もんぺのような服とか Gジャン そして オーバーオール 着ると 似合わないから やめた方がいい と言います。
実際 私には 似合わないのでしょう。 また 私には それらの カッコいいアイテムを きれいに見せる 器がないのだと思います。
と。 器と そういうアイテムを 美しく 清潔感あるように 魅せる 技術と 持っている素質が 足りないといった方が正しいのかもしれません。
一瞬 ざっくりとしたものを羽織っていても 人目を惹く 魅力のある人は かなり素材がよいということが多いです。
自分の素材と照らし合わせて、どうやって清潔感を打ち出してゆくか。あたりを考えているとデートで失敗することは少ないのかな と ああ 自分がもう一度 人生をやり直せるのなら と 全てにダメ出ししたくなるほど デート服 失敗だらけだったんだなぁと 懐かしく思います。
意地
意地悪は 控えた方が好ましいけれど。 意地は持った方がよいと 思ったりしています。
昨夜、再び 北大受験を終えたと 笑顔で3年ぶりに顔を出してくれた 男の子 ← であった 青年が 夜6時近く、レッスンを終わる妹さんを迎えにと 顔を出してくれました。
わたしは、こうやって 顔を出してくれるということは 大学合格したんだなと思いました。
「どうだった?」との問いに
平静を精一杯装って (かわいいなと思いました)「あ… 合格しました」と 嬉しさが溢れ出る笑顔で答えました。
ロビーにいる これからレッスンの始まる 大人の生徒さんたちからも おめでとう🌸の声があがり。本人も出されたお茶をすすりながら ありがとうございます! と
一浪せずに、合格できた喜びと 一浪で試験に挑んでゆくことがどれだけ精神力を鍛えるかという話にロビーで大人たちとしていました。 大人の生徒さんの中にも一浪を経験された方がいて、夏のあたりがねぇ…… とか 昔を懐かしみながら 若さの春を囲んでいました。
わたしは、子供を育てたこともなく、また 男の子を育てたこともありません。が、
こうやって 男の子たちの成長されてゆく一刻を拝見させてもらいながら
男の子には意地が必要なのだろうな… (女の子もそうなのでしょうけれど)と 思いながらいます。
3年前、志望校の高校への挑戦が残念に終わったとお母様から伺っただけで、D君はThompson Internationalへ一切顔をみせることはありませんでした。
妹さんが通われていることを思えば、彼の人懐っこい性格なら、何かの折にひょんと顔を出すこともありそうだなぁと思いながら… 高校へ受かったらまた戻ります! と 高校受験数か月前が最後に、もう会えることもないのかなと どんな青年になったのかな?
いまでも 高校生になっても通い続けてくれている子たちの姿にD君を重ねることが度々ありました。
こうやって、すっかりと大人になったD君をみながら
「新しい酒は新しい革袋に盛れ」 の言葉が何度も浮かびました。
意味合いは違うのでしょうけれど 新しいことをするには新しい場が必要である。
残念だったね と 慰めの言葉を貰うような 場所に行ってはダメだ。
そんな場所に行っては 自分がダメになる 伸びない と 人間は 分かっているのです。
男であれば 尚更です。
きっと、何事においても それは 言えるのでしょう。
ある時から それに 気づき 私は 受験のために スクールを後にする男の子が すぐに2月の受験終わったら 戻ってきます。と 言葉のうえで そんな 優しい言葉をかけてくれる子がいても
これが最後のお別れになるくらい名残惜し気に 見送ることにしています。
男の子には意地がある。それを 優しく 見守れるくらいの 母親にはなれなかったけれど
一人の 人間にはなりたいものだな… と 男の子たちの成長から教えられる自分でした。
堆肥づくり
わたしは 算数 数学が出来ない。
数字が出てくると うろん うろん と 目がまわってくるのだからして
もう その周辺のことはあきらめている。 足し算と引き算だけ 間違わないように。
支給させてもらう 給与も 支給先(講師たち)と 一緒に照らし合わせて 間違いがないか確認し合い、完了するという始末である。
そんな 自分が 唯一目にする 数字の扱いは 本当に 家単位であれば 毎晩つける家計簿と 仕事では 給与支給と出納帳のみ。それだけを真面目につけて あとは税理士さんへ お任せするしかない。
でも 数学がもっと もっと 出来たらなあ と思う出来事は 生活の中の多くの側面に潜んでいる。
台所で計量するときとか (それくらいは なんとかかんとかにしても、慎重になる) 奇数単位での割り当てとか ああなれば こうなるという 計算が ピピピッ! と 働けるような頭に生まれていたら もっと 人生 いけてただろうに。と 数学脳の方々を 尊敬の目でみつめるしかない。
最近、小学生のHちゃんに そんなことを 雑談で話したら
あつこさん 公文に行けばどうですか? と 勧められている。
そうしてみようかな と 春の陽ざしの中で 思ったりするが
まず 今年は 庭で自ら堆肥づくりをしてみようかと 思っている。
数字と 堆肥づくりは まったく 関係ないだろ? と 自分でも思うが
これまでしたことのなかったことの 作業の中で
おおお そうだったのか とか 机上の数字よりも 大切なことがあるではないか と感動することが 庭にはある。
堆肥づくりをして 土をふかふかにするのだ。 前の家では バラが見事に咲いてくれた。
新しい土地での 土壌改良に もう少し 時間がいるようで、それには 自ら手を動かし せっせと まず身体を 動かしてみようと 思っている。
甘エビ
先週の土曜日 朝10時から夜6時まで 結構働いたと ←自分にしては 思う。
クラスルームも3クラス 全て使用しながら 私の授業も 6クラス 続けてあった。
精神の 持ち具合で 6クラスも 授業が続くと 妙にテンパったり とか 疲れが残ったり などすることがこれまであった。し、油断するといまでもある。
段々と経験を積んできて 会得した 心身を疲れさせない 自分なりの方法は。
その時間だけに没頭すること であったりした。
一人一人の授業のときに 他のことを考えないように。
受付や 他のことも 重なったりと 授業が行われているときに起こる周辺の状況もみながら受け持つことの多い 自分の授業。 それだけに 没頭するということは 難しいのですが、 そう 意識するようになってからは 疲れることは少なくなりました。
この 自分を疲れさせない方法は 仕事だけに限ったことではなくて
全ての動作に利用できることかもしれないと 気づきました。
甘エビを昨日、買ってきました。
頭つきの甘エビでした。
翌日が生ごみ出せる日というのにあわせて イカや捨てるところのある魚類を求めることが多いです。
塩水につけて しばらく 冷蔵庫で冷やしてから、殻をむき始めました。
頭を 捨てずに 出汁をとったりすることは これまでもありました。
頭をとりながら、これを片栗粉でまぶして油でサクッと揚げて、塩をパラㇼとかけたら、さぞかし美味しいだろうな。と、美国観光さんで出される酒肴のことを思いながら
頭のひげや足をハサミで切り、キッチンタオルで 身同様に 水分をとりました。
月曜日、仕事が休みの日の終わり。
トンプソンがテーブルについてから、エビの頭を、さっくりと揚げ始めました。
とても 美味しい 一品でした。
あっ!という間になくなりました。
料理も、その時だけに集中するとなぜだか疲れないことを、知り始めてから
料理をすることがとても楽しくなったのだから…… 仕事にも それと同じものを求めましょうよ。と、私の場合は 仕事が先か 生活が先か と 全くわからなくなります。
どちらも同じくらい大切です。
玉三郎さん と トランプさん
トランプ政権が始まり そんなに経っていないというのに、毎日毎日 彼の オレンジ色の顔と げんなりするNEWSの渦の中、玉三郎さんの講演会と踊りを観に行ってきました。
人間国宝の方の言葉たちは 一つ一つが 威圧的でなく、お仕着せがましくないのに じんわりと 染みわたるものがありました。
前もって玉三郎さんに 質問を寄せ、司会者の方がそれを読み上げ、玉三郎さんが答えるという コーナーがありました。
質問者は、こう 玉三郎さんに 聞きました。
「ある俳優さんのファンでした。が、近年 その方の振る舞いや言動に、違和感をおぼえ、前ほど、好きになれない自分がいます。もう、その俳優さんの作品は観ないほうが良いと、思う自分がいますが。玉三郎さんはどう、思われますか?」の、ような質問だったと思います。
それに対し、玉三郎さんは 「みない方がいいと思います」と即答でした。
劇場は笑いに包まれました。
「……あのね、私も人間として完ぺきとは言えないと思いますが、人間性と作品は、どこかで必ず、繋がるんです」
私は、世界を揺るがす トランプ大統領のことを思いました。
私たちが 目にするもの 耳にするもの あの 姿が 彼の本質なことを忘れてはいけないのだな。と。 奇跡的な偶然が重なり、今後 政治家として 偉業を果たせたことが仮にあったとしても、目を背けたくなる、あの言動をしっかりと目に焼き付けておこうと誓いました。
春の声
春は 三寒四温を繰り返し 訪れてくるもの。
先日、国立大学の試験が終わった翌日。
とてもハンサムな男の子が、スクールに笑顔で現れました。
ハンサムな笑顔で、お久しぶりです! と 言われても 私は数秒、戸惑いました。
ですが 5秒くらいで D君!!! と 名前が出てきました。
3年前に高校受験を機に、妹さんがやってくるようになり、バトンタッチで会えなくなったD君でした。
大学受験の試験の感触に自信を感じているという様子でした。晴れ晴れとした表情がとても眩しかったです。
3年前、希望の高校への挑戦が、残念なこととなった。と、お母様から聞いただけでその後、会える機会に恵まれなかったD君。
私たちのことを そんな風に覚えていてくれていたんだな ということが 嬉しかったです。
春は これだから いいですね。
挑戦するということ…
受験の季節ですね。
挑戦し、受け入れられ 涙流す人もいる。
挑戦し、違う選択をしたほうがいい。または 次にがんばりなさい。と提示される人もいる。
この季節、とても とても 切ない気持ちになる。
いや… 年を重ねるごとになってきた…といった方が正しいかもしれない。
私自身は、超難関の学校を受験した経験もないので知ることはなくいたけれど。
ある基準の学校に入学させるために、ふるいにかける試験というのは
3年間または4年間の限られた時間のなかで学校の授業についてこれるのかどうかを視るためのもの、実に厳しいことをおっしゃっていたし、いるのだな。と、はっきりと分かるようになってから、視線を落としたくなるような切なさに襲われるときがある。
どうしたって受け入れてもらえない片思い。
どうしたってかなわない夢。
どうしたってどうやったって一ミリ違うだけで全てが崩れる顔のパーツ配分。
若い時は 生きているだけで 健康があるだけで どれだけ幸せか という言葉なんて何にも 心に響かない どこかの言葉だったはずなのに。
生きている年数を貰えたというだけで
届かなかった恋心も、いまでは 心を 暖かく灯してくれる大切な宝物になっている。
振り向いてもらえないような相手への思いを 持ちながら 生きるのも悪いものではないと雪道を踏みしめる自分がいる。
かなわなかった夢よりも、今年実行したいことを決めて、1日1日それを実行しているだけの毎日だから、夢よりも 舌打ちする癖を直したい。 もう少し歴史のことを勉強しよう。 健康づくりを心がけよう。勉強しよう。ということだけ 追いかけている。
そして 受け入れてもらえない場所。相手。多くのことに受け入れてもらえないのだ。と、分かった心持で過ごしながらいると 段々と 段々とだけれど 来るもの拒まず去るもの追わず の 心持が 芽生えてくる。
これは 昭和のプレイボーイ 恋愛上手と呼ばれる人たちの 合言葉だと思っていたけれど。
受け入れられることを目標にしてしまうと、受け入れられなかったときの我慢が足りなかったんだな…あたし。と、やっと気づく。
来るもの拒まず、去るもの追わず
昨今、気に障ることを言われると すぐに 人との関係を断ってしまうというようなちょっと幼児性の残るパターンの大人が増えている中で こんな 飄々とした 大人な人がいたら いかすなぁ と 惚れてしまうかもしれない。
買い物しない日
汚らしい画像で失礼します。
前に偉そうに 冷蔵庫で おおかた、食べ物をダメにすることが少ないと、語ったことがあります。
どうしてそれが出来るのかな。と、思ってみました。
冷蔵庫を見渡せる状態にしておけばいい。と、それには、週2回買い物に行き。
大体3日分の食材を買い求める。3日分なので 週にすると 1日は、買い物をせずに、冷蔵庫にあるものを使って料理をする日。と、課すリズムが出来上がる。
ぬか床は、実に便利なもので、ちょっと余った野菜を入れておき、食す。ビフィズス錠剤などいらないくらい、日本人にあった発酵食品だと思う。
そして、煮野菜(煮サラダ)は、野菜をベーコンや ハムなどの塩気と 塩だけで味付けしていった 野菜本来の味を 楽しむ一品。
冷蔵庫のものを空にする日。買い物に行かない日を1週間に1日、その日は冷蔵庫にあるもので料理。と決めると 大体 冷蔵庫はきれいでいてくれる。
不思議だ
2月に入り 少し経った頃に 気持ちが騒がしくなるのは何故か。
大体 2月の満月が欠けてくると共に その兆候は現れる。
月の満ち欠けと共に、神秘的な自然との融合がいち生物である自分になにかを問いかけてくるのだろうかなどと、思うようにしながらだましだまし過ごそうとしているけれど。
2月も後半になると、はっきりと分かってくるのでした。その原因が全て税金関係にあるということが。
この2月というのが一番嫌いです。
人の心も落ち着きを失くし始めるのは、これは 確定申告 他諸々のことだったり、春の変化の忙しなさで…情緒が不安定になっている人も多くなるような。更にここ近年、落ち着かない出来事の多くなっている世界情勢とあって、これまで以上にざわざわとしたものが伝染しやすく感じる。
そんな中で、この寒気に梅の花の咲く頃に、ゆったりと落ち着いた空気を纏っている人は、実に魅力的に映る。
お洒落とは、魅力とは、みための造作ではなく、身に着けているものなど全く関係なく。その人の中から漂ってくる心意気。心の在り方にあるのだと。気をつけて自ら身につけようとしている生き方の姿勢からくるものなのだと感じさせられるのが 2月である。
寒い空気の中に、そのような美しい存在感の人に出会うと、心の中に花が咲いたような気持ちになる。